noteの悩みの話
今日も起きれました。
昨日は深夜1時に夜の散歩をしました。
なんとも湿度の高いべたつきのある風が吹いていて、なんとも言えない気持ちになりました。ただ、小学生の時には21時以降は起きててはいけない時間だと思っていたので、そんな時間に堂々と外に出れてしまうあたり、大人ってすごいなぁと思います。
さて、今日は最近の悩みを吐き出したいと思います。
今日の記事で『私が朝起きるためのnoteとしての無料公開記事』が324記事になります。8月19日で365記事になるんですね。もうすぐじゃん。
これを書き始めたときの私の心境としては『死にたいけど死ねないので生きてる意味が欲しい』という感じでした。
真っ暗な部屋で布団を被ってずっと泣いて、なんで自分ってなにもできないんだろうと思っていました。
……という話は散々してるのでショートカットします。
で、今なんの有益な情報も出してないくせにフォロワーが100人越えたり、一番最初の記事が60スキを越えたりしているのですが、まぁ思うわけです。
『本当にこのままの質でいいのかな』
と。noteってある程度何かを求めている人が来る場所だと個人的には思っているんです。そういう意味では私の記事に何かがあるとは思っていないんです。先日『量より質』というのを見て、やっぱり文字を書いていく以上、人に求められる物を書くべきなのでしょうか……。
内容も充実させて、きちんと自身の意見を持った誰かのためになるような記事を目指すべきでは?
それが文字を書いて生きていくということでは?
在り方を見直すべきなのでは?
でもチョコミント食べながらスプラトゥーンしながら思ったんです。
『私、書くために生きてるのであって、生きるために書いてるわけじゃない(今のところ)んだから好きに書けばよくね?』
じゃあいいじゃん。
解決じゃん。
完。
色々考えたんですが、やっぱり私はとりあえず何かを書くことをつづけたいんですよね。それが毒にも薬にもならないとして。
いや、少なくとも私にとっては薬なんです。これだけ毎日続けてこられたっていう、お守りのような薬。私は続けることができるぞ
もう完全に日課になってしまって、note書かないと気持ち悪くて寝れないくらいなんです。
何も書けなくなることの方が辛い。何も生み出せなくなることの方が苦しい。書けないなら死んだ方がいい。
と、いうわけで、今後も何も考えず、文字を書く練習として、まずは365記事をめざそうと思います。
今後もどうぞお付き合いください。
そんな感じです。
それではおやすみなさい
トーマのブラックボックス
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