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結局、デキ公募はあるのか?

研究業績がずば抜けているのになぜか内定どころか面接にも呼ばれない・・・そういう愚痴をX(Twitter)上で見かけた。Xに限らず、公募の話をすると「あれはデキだ」とか「当て馬だ」とかそういう話は枚挙に遑がない。特に研究業績が多い人が落ちて、研究業績が少ない人が着任した場合にそのような不満が聞こえてきやすい。

では本当に大学教員公募でデキ公募が蔓延しているのだろうか?

私の感覚から言うと、今は「デキ公募」はほぼない。「ない」と断言できないのは科学者としての性ゆえで、実際はないと言っても良いのではないかと思う。ではなぜ研究業績が多い人が選ばれないかというと、選考基準が研究業績だけではないからである。大学側が公募を行うとき、欲しい人材像は明確に決まっていることが多い。例えば研究分野だったり、年齢だったり、担当できる授業だったり、学内業務をどれだけやってくれるかだったり、私立大なら出身大学だったり・・・。本来、公募要領にきちっと全て書けばよいのであるが、そうすると今度は応募者があつまらない。大学側の要求を全て満たす人なんてほとんどいないので、そこは大学側としても妥協となる。ある程度応募者が多くなりそうな条件を提示して、そこに応募してきた人の中から条件に当てはまるものが多い人を採るということになる。

 そして、これらの条件を満たすかどうかは書類審査でだいぶ絞ることができる。従って、面接に進んだ人は少なくとも大学が欲しい人材像に合致しているといえる。面接では主に人柄をチェックするので、アピールすべきは「他人と協調できる」「聞かれたことに簡潔に答えられる」「下の職位の者に当たりが強くない(学会での様子や意見を伺える人に聞いたりする。大学によっては教授採用の面接に学科の助教を同席させて質問させることもある)」等である。自分がいかにすごい研究業績を挙げたか「だけ」をアピールするのは愚の骨頂で、採用する側からしたら早々にお引き取り願いたい候補者である。

教員公募にとって研究業績はあくまで指標のひとつである。指標どころか、研究業績は足切りのための最低ラインが示されているだけである。「研究業績が多い」ということは「研究面では基準を満たしている」ということにしかならず、教育面や運営面、人柄に対して一切加点にはならない。前述の通り、教員公募はあくまで総力戦で、研究だけ、教育だけ、人柄だけを見ているわけではない。近年は大学院の重点化を進めるため研究業績の重要性は上がっているものの、それでも他の指標が基準に達していなかったら候補にもならない。

ではなぜ、面接で当て馬にされたと感じる人がいるのか?
これは面接の順番が関係していると思う。私も経験があるが、面接の雰囲気はその状況によって色々変わる。例えば下記7校目の面接は研究や教育内容についてだけでなく、具体的な授業のやり方や地方都市での生活など教育・運営・生活面も含めて様々な質問が出た。それに対して11校目は研究に関する話が90%以上で、学内業務に関する質問、引越しに関する質問は一切出なかった。

11校目を当て馬と感じてしまうのは仕方ない。しかし決して当て馬であったわけではないと今ではわかる。それは前述の通り「面接の順番」によるものである。面接は主に人柄を見ると書いたが、面接に呼ばれている時点で研究・教育・運営は大丈夫そうと判断されている。書類審査で点数がつけられているため、人柄が問題なければ基本的には点数の高い方から採りたい(明確な基準ができるので教授会などで揉めない)という要求がでる。面接の順番は候補者の都合や移動時間等勘案すべきことが多いので、1番目だから書類選考1位だとか、最後に呼ばれたから有力候補だとかそういうのは一切関係ない。しかし、書類審査の順位が高い人が(たまたま)1番目で面接に呼ばれそして人柄にも問題なかった場合、2人目以降の面接が「なあなあ」になってしまうのは、(本来あってはならないが)仕方ないことではないだろうか。
面接官だって人間だもの・・・

と言うわけで面接で塩対応されたからといって決して当て馬というわけではない。じゃあ書類審査で1位になるためにはどうするか・・・というのはまたいつか書く。

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