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大学教員公募の忘備録 第2話

私の研究分野は複数の分野にまたがっています。その分野をA、B、Cとします。私はA分野の学部教育を受け、大学院時代と学位取得後はB分野の研究を進めてきました。助教時代の教授もB 分野の専門家です。助教時代の後半は独自研究としてC分野の研究もはじめたところでした。以下の各公募ではその対象となる分野をA、B、Cで表記します。

2年目:公募の仕組みやコツを理解しはじめた期間

公募戦士2年目となり、所属校でもいよいよ内部昇進の難しさをダイレクトに感じはじめてきました。学部トップから昇進無しを直接言い渡されるのは3年目になってからですが、いくら鈍感でも「このままではヤバイ」と気付く状況になってきました。したがって2年目は1年目の反省を踏まえ、応募する分野を広げつつ、大都市圏以外の大規模私立大学にも応募を広げていきました。その結果、複数の面接に呼んでいただき内定につながる貴重な経験ができました。

6校目:首都圏大規模私立大(書類落ち)
募集分野はC分野。これまで応募したことのない分野に初めて応募した。初めての分野のため、研究の抱負などに苦労する。応募締め切りから4ヶ月後にメールでお祈り通知が届いた。

7校目:地方工科系私立大(書類通過)→面接落ち
募集分野はC分野。締め切りから1ヶ月後にメールにて面接の連絡が来た。その連絡から3週間後に面接。学長をはじめ、C分野の学科の先生、それ以外の学科の先生など合計10名ほどが面接官として部屋にいた(C分野の学科の先生の顔と名前は面接前に頭にたたき込んだので他学科の先生が部屋にいることがわかった)。全額ではないものの、旅費を支給していただいた。初めての面接でガチガチに緊張しまくり、うまく答えられないことが多数あった。また、しっかり準備したはずの模擬講義も散々であった。後から思い返すと、この面接はいわゆる「本命候補」に対する扱いであった。しかしそのチャンスをうまく活かしきれず、面接から10日後に郵送でお祈り通知が来た。以降、「この面接で聞かれたことに対してどのように答えればよかったか(先方はどう答えて欲しいのか)?」という点に集中して対策を行なった。

8校目:首都圏工科系私立大(書類落ち)
募集分野はC分野。締め切りから2ヶ月後にお祈り通知がメールで届いた。C分野に合わせた書類の書き方を試行錯誤する。

9校目:首都圏工科系私立大(書類落ち)
募集分野はC分野。締め切りから1週間後に「再公募とするが、このまま応募するか?」との確認メールが届く。この時点で諦めたが、私にとって応募を続けることにコストがかかるわけではないので、元公募の書類そのままで再公募にも応募する旨を伝える。応募書類のアップデートも可能であったが、この公募に余計なエフォートは割かないようにした。当初の締め切りから2ヶ月後に再公募の締め切りが設定され、再公募の締め切りからさらに2ヶ月後にお祈り通知がメールで届いた。

10校目:高等専門学校(書類落ち)
募集分野はC分野。大学だけでなく高専にも手を広げる。締め切りから2週間後にお祈りが郵送で届いた。高専は研究の進め方や教育、校務等が大学とは異なるため、応募書類の書き方もカスタマイズする必要があることを学ぶ。

11校目:首都圏国立大(書類通過)→面接落ち
募集分野はC分野。締め切りから11日後に面接の連絡がメールで届く。メール連絡の3週間後に面接。面接官はC分野の学科の先生が8名ほど。7校目の大学の面接とはだいぶ異なる雰囲気で、質問には的確に答えられたと自負しているものの、面接終了後は漠然とした大きな不安が残った。面接から4日後にお祈りメールが届く。「当て馬」とは言わないが、本命でない候補者に対する面接はかくも違うものかと勉強になった公募であった。逆に本公募面接と7校目の面接を比較検討することで、面接において本命候補かどうかの嗅覚を磨くことができた。その後、その嗅覚はあまりずれていないことがわかり、本公募の面接は貴重な体験となった。

12校目:旧帝大(書類落ち)
募集分野はA分野。よく知っている先生のところの公募だったため、無理を承知で突撃した。応募締め切りから1ヶ月後にメールでお祈り通知が届いた。結局、募集分野にぴったり合致した業績のお化けみたいな人が着任して、これでは勝負にならないと思った。
 ただし、嬉しい誤算もあった。私が職探しをしていることを応募先の先生が気にかけてくれて、今後推薦書を書いてもいいと言ってくれた。旧帝大のとある分野の大御所なので、これほど力強いことはない。

13校目:地方工科系私立大(書類通過)→面接(通過)→内定 →辞退
募集分野はA分野。締め切りから1ヶ月後に面接の連絡が電話できた。電話連絡の2週間後に面接。過去2回の面接経験を踏まえて、最大限の対策を行い面接に望んだ。地方の小規模工科系私大ということもあり、面接は全学科の学科長がそろっていた。3回目の面接ということもあり、教員公募の面接でよく聞かれる内容にもスムーズに答えることができた。また模擬授業はなかった。面接終了後に控室にて学長から最終面接(理事長面接)の案内をいただく。最終面接は10日後だった。
最終面接は理事長をはじめ、理事がそろう前での面接だった。大学での面接と異なり、地方に移住すること、本学の発展にどう寄与していくか、など今まで経験したことのないような質問もあった。しかし最終面接後に事務担当の方から採用条件の提示があり、正式な通知はないものの内定を確信する。その一方で、待遇面(任期や再任規定など)で折り合わない点があり、内定を受けるかどうかの迷いが生じてしまった(公募要領には「基本は任期無しだが、任期付として採用する場合もある」との記載あり)。最終面接の2日後にメールおよび郵送で内定通知が届くが、結局内定を辞退することにした。翌日にメールにて辞退の連絡をして、郵送の内定通知は返送した。

14校目:高専(書類通過)→選考辞退
募集分野はC分野。締め切りから1週間後に面接の連絡がメールにて届く。その2週間後に面接。しかしその面接が13校目の最終面接と日程が完全にかぶってしまい、面接の日程変更を打診するも変更は難しいとの返信だった。13校目の選考が進んでいることを理由に面接選考を辞退した。一方で、高専用の応募書類の書き方を試行錯誤してきたため、結果的にその書き方が良かったことがわかったのは収穫であった。

15校目:首都圏大規模私立大(書類落ち)
募集分野はA分野。締め切りから2ヶ月後に郵送でお祈り文が届いた。年末が書類の締め切りで翌年4月1日着任の公募だったため、誰かが辞めた後を埋めるための玉突き人事だったのではないかと思う。

2年目は10件の公募に応募し、面接に進んだのが4件(1件は面接辞退)、内定を頂いたのが1件(内定辞退)となりました。公募においてかなりの手応えを感じ、いよいよ内定受託する3年目に繋がります。

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