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今日は用事があるから遊べない

小学生の頃、毎日のように外で遊んでいた。家の周辺で私はいちばん年上で、ひとつ下、もうひとつ下の子が二人、私の妹、二つ下の子の妹と、妹。

「宿題してから遊びなさい」なんてよく言うけれど、夕方の歌がなったら帰らないといけない小学生にそんな時間があるのだろうか。律儀に宿題を先にしてしまうと、暗くなったから遊べないねと言われて、結局遊ばせてもらえなかったのだろうか。特に約束していたわけではないのに私たちはなんとなく同じ時間に外に出てきていたから、そんなにとやかく言われる家庭ではなかったのかもしれない。(言われていたけど無視して出てきていた、はありえる)

学校からの帰り道、いちばんに着く家の前で今日はどうするか確認するのがお決まりのパターン。「今日も遊ぶ?」「今日は用事があるから遊べない」「そっか、ばいばい」

ひとりで遊ぼうと家を出ると、私以外のみんなは外で遊んでいた。遊べないと言った子はみんなの中心にいた。泣きながら走って帰ると、どうしたのかと尋ねる母親に、私はあったままを話した。

私はさんざん泣きながらも仕方がないことと思っていた。私と遊びたくないのだとしたら、嘘をついて遊ばないのは当然だろう。「あなたとは遊びたくないから、来ないで」そう言われれば納得できたのか。思ったことは陰口ではなく直接言いましょう。ほんとに?嫌々ながら私と遊び続けるのはそれも違うだろう。いちばん正しい選択を、彼女はしたのではないか。それでも悲しいものは悲しい。だから私は泣いていた。悲しかったね、とそれだけで良かったのに、母親が言った言葉は「それはいじめだ!」大人ってなんか違うな、そう思った。

先生はきれい事を言っているだけ。親は自分の子がかわいいだけ。その頃の私はそう思ったけれど、必ずしもそうではなかったのだろうと今は思ったりもする。

私に何か問題があり、だから一緒に遊びたくない。そうだとすれば、仲間はずれをするのではなく何が嫌だったか言いましょう。それがきっと、先生の言う「直接言いましょう」。でも片思いって、あるでしょう。なんとなく性格が合わなくて、なんとなく話も合わなくて、一緒にいてもなんとなく楽しくない。それでも相手はなぜか一緒に遊びたがっている。そんな人とはどうすればいいのかなんて大人は子どもに教えられないのだと思う。嘘を本当にするには子どもは子ども過ぎる。大人だって嘘に嘘を重ねないと上手な嘘はつけない。完全犯罪のような嘘は苦しくて、しかも滅多にないのだとしたら、上手に作られた嘘に気付いてしまった瞬間のほうが傷付くかもしれない。それよりは目に見える形でいじめられる方がいいのかもしれなくって、「みんな仲良く」の方が断然いいのは当然で、先生はきれい事を言っていたわけではないのかもしれないな、と。

それでも悲しいことにかわりはなくて、悲しいな、と思って今日も、消化していく。

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