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集う漱石、集う他人

『文芸の哲学的基礎』を読むと、東京美術学校(現在の東京藝術大学)で夏目漱石が行った講演に参加することができる。そしてこれを知ったのは、図書館をうろうろしていたらたまたま見つけた、古田亮『美術「心」論 漱石に学ぶ鑑賞入門』で、今から読む。読書会をするかも、と風の噂で聞いた、岡崎乾二郎『抽象の力』の書評を読んでいると、唐突に出てきた、ここにも夏目漱石。なぜか漱石が集まってくる…ちなみに『文芸の哲学的基礎』は青空文庫と検索すれば今すぐ読めます。最近は長文を読む気力がないので、青空文庫で短いものをあさって読んでいるのですが、夏目漱石『変な音』も読みました。ああ、また…

出身大学の卒業制作展に行きました。友達というには図々しいような、知り合いというとちょっとよそよそしいような、後輩ではあるだろうけど後輩ではない、ような人たちが外にテントをたてて受付をしていたので、しゃべっていると、気付けばなぜか私は受付に座っており、みんなはいなくなっていた(なぜ?)。非正規雇用どころか、非正規非雇用である私がひとり残るわけにはいかないので、その時間のシフトではない人を呼び込んでどうにかこうにかする。つまりこの人は非正規雇用?そして私はこの人を知らない。

会期中、24時間自分の生活をzoomで流すというパフォーマンスをしているらしい。私との会話はその場で作品に吸収されて消えていく。私は彼の進路や、パフォーマンスの経緯(この日は3日目)を聞いた。本来、道の白線の上を歩こうと思っていたらしく、ここに座っている場合ではないのだとも言っていた。そりゃあそうだ、私と接触しなければzoomで配信されるはずもない話を、聞いていた人がいたのかは知らない。

「私たち何してるんだろうねえ」などと言いながら、私は気付いてしまった。彼はパフォーマンスをしているわけだが、私は本当に、何をしているんだ?正規雇用の2人が無事帰ってきたので、おしまい。

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