ブキミちゃん

 小学2年生の時、人生2度目の手術を経験した。それについて語る前に、私の先天性の病気「口唇裂」について語らなければならない。口唇裂とは、生まれた時に、文字通り唇が裂けて生まれてくるという病気のことだ。私は生後3ヶ月の時に人生で1回目の手術を経験した。これは口唇裂によって裂けた唇を縫合するというものだったらしい。時々、私は人から鼻血が出ているというふうに指摘されることがあるのだが、それはこの時の縫合跡が鼻筋に沿って赤く伸びているのを鼻血と見間違えているからだろう。

 さて、本題に戻るとしよう。人生2度目の手術も、口唇裂に関する手術で、太腿の骨髄を歯茎に移植するというものだった。入院期間は10日間程度だったが、印象に残る思い出の1つなので、これについて書くことにした。

 自治医科大学附属病院の小児科の病棟だった。今調べたら、子ども医療センターという名前だったらしい。自分の病室には私以外に3人、小学6年生と小学4年生、それから学年は忘れてしまったがもう一人、全員男子だった。彼らは私より先に既に入院を開始しており、その小学6年生の子は、愛知からはるばる栃木までやってきて、既に3ヶ月間病室で過ごしていたらしい。同じ小児科病棟にいる子の中には、後頭部から首筋にかけて銀色の金属の管が入っている子や、脚が片方しかない子がいて、彼らの姿を見ると、皆私より重い病気であるのだと容易に推測できた。
 
 入院して初めての夜、ナースコールを連打して、息も絶え絶えになりながら泣き叫んだのをよく覚えている。それは次の日の手術に対する不安ではなく、親が自宅に帰って一人病室に取り残されてしまったことに対して悲しくなってしまったからだ。

 手術の日、白無地の手術服を着て、ちょうどドラマで見るようなストレッチャーに乗せられて手術室へ運ばれた。手術室に着いて、左手の甲に麻酔の針を刺された。刺した瞬間、針が自身の血で赤くなったのを覚えている。それから医者からタブレットを渡され、それでアニメ(確かポケモンだった)を見ていると、意識が遠のいていった。 3時間半後に手術が終わったと同時に目が覚めた。激痛。痛い痛い痛い。右の股関節と太腿の間をメスで切られ、骨髄を取り出されて、信じられない痛みだった。思い返したくもない。その時の痛みが蘇って来る。きっと人生で一番の痛みだった。

 そこからの2〜3日は地獄だった。脚を動かすだけで痛いので、ベッドに1日中横たわっていたかったのだが、食事と風呂とトイレの時は自分で歩かなければならなかった。

 食事は、なるべく歯を使わないような柔らかいものが出されていた。日替わりのおかずとは違って、ドロドロで味のないおかゆが毎日出てきていたのだが、これが非常に不味かった。そのせいで今でもおかゆは食べたくない。

 風呂は1日の中で最も嫌なイベントだった。まず服が脱げない。ズボンやパンツを脱ごうとして脚を上げると激痛が走るからだ。それから体を洗う時も、水がメスで切られた箇所にしみるので、これがとにかく嫌だった。

 トイレはこれら2つと比べるとマシだが、やはりズボンを脱いだり履いたりするのが痛かった。 そして一番辛かったのが、笑うことができなかったということだ。笑うと傷口に響いて痛みが増すからだ。笑うことでなるべく体が揺れないように、声を抑えて息を出すことに専念していた。そのため、他の人から見ると自分の笑い方はいかにも不自然で不気味だったらしい。この頃私はその様子から親からは「ブキミちゃん」と呼ばれていた。まったく、俺はなりたくてそうなっているわけではないのに、なんて言いようだ。でも今その頃の自分の姿を見れば、思わず笑ってしまうのだろうな。

 だか、4〜5日もすると、楽しいことの方が増えた。友達ができたからだ。夕食の後、私達はフリータイムが与えられていたのだが、その時に同じ小児科病棟の皆で人生ゲームやらトランプやらで遊んでいた。人生ゲームでは、銀行やら利子やら何だか訳のわからないローカルルールが追加されて、それが非常にくだらなかったので、毎回爆笑していた。

ーこの頃から笑わざるを得なくなったので、痛みも気にせず大声で笑うことにした。そうしたら痛みが徐々に減っていって、手術から1週間後には完璧に痛みがなくなっていた。笑いは百薬の長とはよく言ったものだ。ー

 また、この頃DSのポケモンソフト「ポケットモンスターブラック・ホワイト」が流行っていたのだが、それは小児科病棟も同じで、フリータイムには皆で集まってポケモンバトルや交換をすることもあった。

 そんな中ついに退院日が来て、皆に別れを告げる事になった。これは入院する子どもたちによくあることなのだが、退院して一番最初の食事には決まってマックを食べる。私はポテトMサイズとナゲット5個を食べた。当時はハンバーガーが嫌いだったので、その2つにした。この時よりもマックが美味しいと感じたことは、今までで1度もない。あのおかゆを食べ続けた後なのだから当然だ。 

 そういえばこの時、偶然マックはワイヤレス通信を通して、ポケモンBWで黒のレックウザが手に入るというイベントをやっていた。私もそれに乗じて黒のレックウザを入手した。それが私の退院のご褒美となった。最初にレベル100まで育てたポケモンもこの黒のレックウザだった。現在のリコロイ編のポケモンアニメは黒のレックウザが物語に関係しているので、個人的に何か特別なものを感じる。

 以上が入院中の話の顛末である。不思議なことに、直近1〜2年の出来事よりも、10年以上前のこの入院に関する出来事の方がより詳細に覚えている。この時の話を思い出す度に、私は懐かしさと共に、生きる希望や勇気をもらう。彼らは私と同じく生まれながらに病気や障がいを持った子どもたち。しかし、そんな彼らだって、自身の境遇にめげずに、今この瞬間もどこかで懸命に生きているのだから。



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