【読書】チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学

 シェアリング経済なんてことばやその可能性が最近よく耳に入ってくる。
それに対し勝手にわたしは「お互いに助け合う(助けられたら助けなければいけない)」「お金とはちがう原理で助け合う(なんらかの特技や魅力に自信のない人はコミュニティ内の弱者になる)」と解釈しとても恐れており、お金があればなんとかなる今の経済のしくみの方が、まだ対策がしやすく、神経がすり減らず、面倒くささがなく、ありがたい、とまで思っていたりする。
 著者の小川さんは香港に住むタンザニア人コミュニティに寄り添い、生活をともにしながら彼らにのあいだに発生するシェアリング経済のひとつのかたちを見せてくれるのだけれど、わたしの勝手な思い込みは見事にうちくだかれた。

 彼らは確かにお互いに助け合い協働しあい仲間の死を全力で弔ったりするのだが、そこに「義務や重圧」はなく、むしろ「冷淡かつ刹那的」だとさえ思える関係性がかいまみえる。「偶然居合わせ」「たまたま余裕がある」から助ける、「誰かの気まぐれに」助けられる、だがもちろん騙されることもある。信用していいのは「今時点」のお互いの関係性だけで、人は変わる、未来の関係性も変わる。あくまで今現在のわたし、の置かれた境遇や状況を基準として、動き合う仕組みというのが、とても魅力的で格好よい。『とくに秀でてもいないし、時に不真面目でもあるけれど、それでも誰かの気まぐれによって必ず生きていける分配の経済のユートピアが築かれることを夢想している』という小川さんにはまったく同感だ。
 「お互い様」なんて言葉のひびきの重苦しさゆえに、だれかに頼りづらく、なんとか自分でやろうとしてしまう、そんな人にこそ一読してみてほしいと思う。






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