死ぬのが怖すぎて死にたくなった
私は、死ぬのが怖い。タナトフォビアという症状らしい。
死を初めて意識したのは、小学一年生の頃だったと思う。
ある日突然、死と無を意識した。
いつかこの幸せな日々が終わるんだ、無くなってしまうんだ、って思うと、怖くて悲しくなった。
「死」というものに現実感がまるでなく、まるで物語の中のものかのように思えた。
人が、自分がいつか死ぬなんて嘘だと思った。
そのとき私は、お母さんに泣きついた。
お母さんは「生まれ変わってもまたママの子に産まれてきてね」なんて言って、慰めてくれた。
私は生まれ変わりなんて信じてなかったけど、お母さんの言葉に安心した。
それからしばらくは思い出すこともなくなった。
小学生のころは、その後も、数年おきぐらいに死を思い出して、夜、泣いていた。
ただただ死ぬのが怖かった。
自分が死ぬのも怖いし、大好きなお母さんが死んでしまうのも怖かった。
けれど、やっぱり「死」に現実感はなく、夜あんなに泣いていたのに、昼間は、「死ぬなんて嘘でしょ」とケロッとしていた。
そしていつの間にか「死ぬこと」を忘れている。
そんなことを繰り返していた。
中3のときが転機だった。
また、ある日突然、死の恐怖が襲ってきた。
私は、「またか」と思った。
死を恐れながらも、この恐怖はいつのまにか収まってる、だから大丈夫、と思っていた。
でも、このときは違った。
今まで感じたことのないほどの恐怖が襲ってきた。
「死」を現実のものとして感じていた。
「死からは逃げられない」「いつか絶対死ぬ」「こうしている間にも寿命は減っていく」
初めてそう感じた。
いつか自分の意識がなくなってしまうのが本当に怖かった。
どこにも逃げられなかった。
だって、生きてる以上、必ず最期は死ぬのだから。
恐怖に追い立てられるように、じっとしてられなくて、部屋の中を歩き回った。
え?やばくね?これがち?
って思ってた。
その日から、死の恐怖は常にあった。
昼間学校で授業を受けても、友達と話していても、心の真ん中では死のことをずっと考えてた。
駅の階段を登ってる時、あ、自分もしかしたら5秒後階段から落ちて死んでるかもしれないな。と思った。
北朝鮮のミサイルに怯えて、落ちたときのシュミレーションをしていた。
津波が来るのが怖くて、海抜が低いところに出かけなくなった。
いろいろ死の恐怖をなくそうと、頑張った。
けど無理だった。
ずっと怖かった。
3ヶ月ぐらい経って、自分の精神は限界を迎えていた。
寝落ちじゃないと眠れなくなった。
バス停でバスを待ってる時に、訳もなく涙がこぼれてきた。
一度寝ても、1時間ぐらいで目が覚めてしまう。
夜中、過呼吸になった。
ここまで来ると、死の恐怖に怯えてる「今」が辛すぎて、逆に死にたくなった。
完全に矛盾してるけど。
お母さんに相談した。
心配はしてくれたけど、理解してくれなかった。
タナトフォビアってたぶんそうじゃない人には一生理解できないのだ、とそのとき感じた。
あの時から、5年が経った。
今、大学2年生。
相変わらず、死ぬのは怖いし、夜、発作みたいに突然死の恐怖が襲ってくるけど、そこそこ元気に毎日暮らしています。
中3の自分みたいに苦しんでいる人が、死ぬのが怖いのは自分だけじゃないと知って、少しでも楽になればいいなと思い、この文章を書きました。
Twitterやってるので、感想とか思っていること、辛いこと、なんでもDMしてくれたら嬉しいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?