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当事者ではない能登半島地震と家族に彼女を初めて紹介する日が被った話

2024年1月1日、僕が人生で彼女と両親、祖母が初めて僕の実家で食事をする日。
日中は地元のデパートに行って、疲れたので休憩所で寝てのんびり過ごしていました。
目が覚めたとき、震度5の地震が起きたとスマホに通知がありました。
大きい規模ではあるけれども、去年からよく地震が起きていた気がしていて、能登から遠く離れた広島にいた僕たちは、事の重大さを理解していませんでした。

本当は震度7で、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震と同規模だったことが後々分かりました。

実家で彼女と両親が話している中で、ただ無音で話しているのも寂しかった母か父がテレビをつけました。
YouTubeで会食に適したBGMを流すなんて発想はなかったようです。
常に地震の速報や火事で家屋が燃えている動画、現地でのいたたまれない映像が流れ続けました。

遠い街の出来事だけれども、同じ日本で起きていることで多少なりとも知り合いがいる状態。そんな環境でテレビを切るのももどかしく、なんとも言えない空気の中で和気藹々とした話はなく、
それとない会話を続けてその場は終わりました。

地震で困っている(そのような表現も緩い)方達がいる中で、自分が彼女との結婚を考えていてそれを両親やいつ亡くなるか分からない祖母に対して報告することはできませんでした。
しかし、僕がそんなに地震に対して悲観的かというとそうでもなかったんです。

当事者でないから悲しみが心からは湧いて来ず自分と自分の周りのことばかり考えている。自分勝手な人間だなと感じました。

夜にタバコを吸うために外に出て空を見上げると、オリオン座が見えました。東京では見ることがない綺麗な夜空でした。1日前別府にいた時も同じオリオン座が見えていました。天体に詳しくなくてもこの星座だけは何故か見つけられて名称まで分かります。地震で困っている人たちも同じ空を見ていると思います。など、どうにもならないことばかり考えていました。

同じ空の下にいる人でも今起きている現状はそれぞれ違います。
当事者でない自分には、地震の大変さが芯から分かりません。
行動できることは、心配するというアクションを起こすことしか思いつきません。
僕には僕の人生、僕を支えてくれている人の人生がある中で、自分のことだけを優先することもできません。

自然災害は本当に人間の手には負えない問題を引き起こします。
流れに身をまかすしかないといえばそうだけれども、人として正しい行動はしていきたい。
その中で思いつく行動が「自粛」という結果、思想になっていることが、非常に日本的だなと寂しくなりました。

どれだけ考えても解決はしなそうですが、
気づいたのは、皆被災者の方たちのことを心配しているという事実です。優しい人たちばかりです。

自分の身の回りのことは明日以降どこかのタイミングで解決できるので気にしないようにします。自己満足かもしれませんが、心ばかりの募金もしてみます。

1人でも多く助かってほしいです。
祈っています。

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