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今はいつも何かが起こる前

(このnoteには、震災遺構の写真が含まれます)

朝から、東日本大震災から10年が経ったと報道されている。今は2021年3月11日の午前中。10年前の今頃はまだ生きていた人がいる。とても胸が締め付けられる。

ただ感情を話してもいいのなら、私は今でも震災が悲しくて、考えると涙が出てしまう。何もできなかったことが情けないし、今だってのうのうと生きているのがたまに申し訳なくなる。もし自分が逆の立場だったら、幸せな人を恨んだり、やけくそになって大切にしたい人たちを悲しませたりしたと思う。だけど苦しくもない、何も失ってない自分がこんなこと言ってもいいのかなと思っている。やっぱり分かりきれなくてごめんなさいと思うし、何を偉そうにと思われても、仕方のないことを自分でも言っていると思う。

だから少しでも現実を知りたい、知ることで体験した人たちのつらさにわずかでも近づけるかもしれないと思ったら、2018年、迎えてくれた東北の人たちはとても優しかった。正直、よそ者に何がわかる、と思われてしまわないかと不安だった。だけど、来てくれてありがとう、とどこにいっても言ってくれた。仙台市地下鉄の荒井駅に併設された、せんだい3.11メモリアル交流館というところでは、当時の写真や救助にあたった消防の方々の証言を目にすることができる。それは、悲しみの感情や、復興途中の海辺を見てわかることを超越する真実を伝えている。人がその時リアルタイムで生きたいとねがって、それを助けるのも人であったこと、助かった命と助からなかった命があったことを知る。それでも知るだけで何にもできなくて下を向いてしまったけど、仙台をはじめ人々は、前に向かって頑張っているからそれを応援してねって言ってくれた。それなら私にもできる。宮城も福島も、美味しいものがたくさんある。何というか、何を食べても美味しいと思う。お米から野菜、海のもの、お肉、食材がとても美味しい。きれいな景色も、楽しい場所も気持ちいい温泉もたくさんある。

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仙台滞在時に食べた美味しいものの1つ、「牛たん料理 閣」の牛タン(2018年、筆者撮影)

そして被害のあった跡を見るとどんな気持ちになっていいかわからなくなった。名取市を訪れて、草の生えた更地の間の道路を、ここに家があったと思えなくて、田んぼだって思いながら必死で歩いた。震災前の写真を見たら、何気ない街角の写真で、それが今は遠い向こうまで見渡せるほど何もなかったことに、悲しいやら怒りやら、ここに住んでいた人はとかもうどう思えばいいのかわからない気持ちになった。誰かのふるさとが失われてしまったことがつらかった。日和山には全国から祈りが寄せられていた。ぽつんと残っていた、佐々直さんというかまぼこ工場の建物は、寂しげで、壁にパネルが貼られていて、ここには町がありました、という言葉がとてもせつなかった。忘れないでって建物全体が叫んでるみたいだった。

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上・佐々直のかまぼこ工場、下・壁のパネル(2018年、筆者撮影)

この建物は、2018年の秋に取り壊しになった。私は忘れないでいる。

私が訪れたところを今調べてみたら、新しい施設がオープンしたり、駐車場が車でいっぱいだったり、前より活気があるように見えて、嬉しかった。これは私の感情を挟まずに伝えたい、閖上の人たちは本当に頑張っていらっしゃるのだと思う。この記事を読むあなたにも見て欲しい。

知ることは簡単で難しい。キリがないし、どうしても感情が入り込むけど、ただ何があったかちゃんと知って忘れないでいたい。そして忘れないだけじゃなくて、考えないといけない。これは口で言うだけじゃできないから、動かないといけない。今は何かがまだ起こる前だ。今なら何だってまだできる、まだ間に合う。避難場所を確認する、非常食が足りているか確かめる、いざとなった時どうするか家族で話す、何でもできる。東北の人は、もう同じことが繰り返されないでほしいって言っていた。災害は止められないけど、人の力で被害の大きさは変えることができる。今はまだ何か起こる前。今ならまだなんだってできる。

いくつか、私が訪れた場所や新しくできた場所、今できることについて↓

東北でお世話になった方へ、たくさん優しくしてくれてありがとうございました。東北で復興のために頑張っている方へ、偉そうなことを言ってすみません、また必ず行きますから、それまでどうか、体と心の健康にお気をつけていてください。



いつもありがとうございます。もしサポートしてもらえたら、とても頑張ります。ちょっとでもいいお話が皆さんにできるように…