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短編「かなわない」

4月の朝。勢いよく降り続いていた雨は、僕が家を出た頃に止んだ。
僕は持っていた折り畳み傘を鞄に直して、家のすぐ近くのコンビニに寄る。どうやら新しいスイーツが出ているらしいが、それは無視して隣にある110円のメロンパンを手に取る。彼女はこれが好きだ。僕はコーヒーとホットドッグを取ってレジに向かい、買う。毎週土曜は僕の財布から582円が消える。
コンビニを出たら公園に行く。その公園は遊具のない、ベンチがただ一つと、大きな桜があるだけの小さな公園だ。公園と、歩道、横断歩道を挟んで、僕が九年前に卒業した高校がある。
今日は早く着きすぎたなと思いつつ、僕はベンチの水を拭き取り、ベンチに座る。公園の土には水溜まりができている。水溜りには桜の花びらが浮いている。彼女みたいな綺麗な花びら。
そういえば本を持ってくるのを忘れた。さっきのコンビニに確か文庫本が置いていたはずだ。彼女の好みに合うかはわからないが……。
またコンビニに戻って変な目で見られたくないなとは思いつつ、僕はコンビニに向かった。
ふと、コンビニに行っている間に彼女は公園に着くだろうな、と思った。

やっぱり。公園のベンチに高校生には見えないくらいには幼げな彼女が白いワンピースを着て座っている。半目開きで眩しいくらいの笑みを浮かべている。顔が赤らんでいないか気になりながら、僕は彼女に微笑み返した。
彼女は僕に手招きをする。それに従って僕は少し間を開けて、彼女の隣に腰掛けた。
僕は彼女との間に開けたスペースにメロンパンの袋を開けて、置いた。彼女は嬉しそうに笑った。でも食べることはできない。彼女は、”匂いが好きなの”と言っている。
僕はコンビニで買った文庫本を取り出す。シリーズ物のミステリー?サスペンス ?だ。

あらすじ
マンション「アベニール」は、駅、スーパー、コンビニ、公園、さらに拓哉の通う事になる中学校にも近い、言わば優良物件だった。そこに引っ越すことになった栗原一家。談笑しながら荷ほどきを始めていた。この時はまだ幸せだった……。血の匂い、倒れている家族。武器を持つのは僕だけだ。生き残るためには、こいつを殺すしかない。戦慄のサバイバル・スリラーシリーズ第一弾!

元ネタ https://note.com/penginjin/n/n6db4248523c2

彼女は意外とこういうデスゲーム系の話が好きだ。どうやら彼がそんな感じの話が好きらしいからだ。悔しい。彼を超えられないのが悔しい。彼女が彼に影響を受けているのが悔しかった。でもしょうがない。僕が彼女に出会ったのは1ヶ月前。これはこっちが勝手に惚れただけの叶わない恋。そして敵わない恋。
ちょっとだけ嫉妬を感じながらも僕は本を開く。彼女が微笑みながら本を覗き込むため体を近づける。彼女の髪が当たった。気がする。わからない。心臓が密かに跳ねているからだろうか。顔が赤らんでいないか気になる。
彼女がぴくりと頷く。僕はページをめくる。彼女の頷きは”次のページをめくって”の合図だ。
彼女は多分人より本を読むスピードが遅い。僕はどちらかというと読むのが早い方なので、彼女よりも先に見開きに書かれた文字を読み終わる。はずなのだが、いつも僕の頭には内容が入っていない。ただページをめくっているだけ。出会ったころは、ページをめくっているのが退屈だったのでイヤホンで音楽を聴いていたのだが、彼女があからさまに頬を膨らませて怒ったのでやめた。
今僕は彼女の指示に従って、ページをめくり続けている。そんな時間が幸せでもある。だって彼女の隣にいられるのだから。

彼女と出会ったのは1ヶ月前、これも今日みたいな雨の日の土曜日だった。本屋に行った帰りの夕方、いつもは通っていなかった公園沿いの歩道を通っていたときのことだ。ふと公園に目を向けると、中学生くらい?の彼女が白いワンピースを着て、傘もささずに、寂しそうな顔をしてベンチに座り、学校の方をじっと見つめていた。彼女はどこか上品で、近づきがたい、不思議な雰囲気を出していた。
学校の窓のほとんどは暗かったが、一つだけ、(確か二階だったか)明かりのついた教室が見えた。文化部の部活でもやっているのだろう。彼女はそこをじっと見つめていた。
彼女があまり濡れていなかったことを不思議に思いながらも、僕は彼女に近づいて傘を差し出した。
「大丈夫……ですか?」
彼女は物憂げな目でこちらを見て、そして、微笑んだ。”大丈夫です。ありがとうございます”と彼女は言った。
心臓がドクンと跳ねたのがわかった。一目惚れだった。顔が熱くなった気がするのでさっと目を逸らす。ばれていないだろうか。
彼女は僕の鞄からはみ出た単行本の小説に目を向けると、”あの、その本の表紙、見せてくれませんか?”と言った。ばれていないみたいだ。その本はちょうど九年前から流行っていた小説 「LINEの生活」の最終巻で、巻末には書き下ろし短編の「くたびれたシャワー」が載っていた。(ちなみにくたびれたシャワーはLINEの生活とは一切関係のない話だ)
”あ、やっぱり”と彼女は少し嬉しそうに言った。
「思い出の小説か何かですか?」
立っているのもなんだったので、僕はベンチをハンカチで拭いて、彼女の隣に少し間隔を開けて座った。
”彼が……すめらぎさんが好きなんです”
珍しい名前だな…なんて思っていたらふと、一人の男の顔が思い浮かんだ。持ってきてはいけないはずのミュージックプレイヤーから伸びたイヤホンを耳に入れて音楽を聴いている。学ランから伸びた白い手が印象的だった。彼は皇貴志すめらぎたかしという苗字に反してありがちな名前だった。確かに顔は整っていたが、そこまでモテているという感じではなかった気がする。気取っていないはずなのにどこか冷たくクールで、そこが受けなかったんだと思う。(一定数人気はあったとは思うがそこまでは知らない)僕はあまり関わったことはなかった人だ。
おそらく彼女は皇に惚れているのだろう。そうすると色々気になることが出てきた。あまり恋敵の話は聞きたくなかったが、彼女に話を聞くことにした。

まず、彼女についてだ。彼女はどこの学校の生徒なのか。彼女に答えを聞くと、僕の高校の近くにあった、数年前に廃校になった高校の名前が返ってきた。ちょうど僕が高校二年の秋だった頃だと思う。おや?と思った。さらに話を聞くと、彼女は皇と同い年だということがわかった。ここでふと、僕の頭に一つの想像が浮かんできた。
彼女は既に死んでいるのではないか?
その答えはすぐにわかった。彼女からカミングアウトしてきた。
”私、高校でいじめられてて。その時に、皇さんに一目惚れしたんです”と彼女は言った。
どうやら彼女はいじめられていた中で皇を心の支えにしていたらしいが、いじめはだんだんエスカレートしていき、ついに耐えれなくなったらしい。彼女は屋上から飛び降りて、そして、幽霊として今もこの世を漂っているというわけだ。

いじめは絶対に起こってはいけない。起きてはいけない。それはわかっているが、今更過ぎ去ったことをとやかく言えない立場なことはわかっていた。僕にできるのは、地縛霊(彼女の見解では、皇に惚れていたため、彼の通っていた学校の近くの公園にやどる地縛霊になってしまったらしい)となった彼女の話を聞くことだけだった。

彼女はしばらくこの公園にいた。誰にも話しかけてもらえず、さぞ辛かっただろうと思ったが、彼女からしたらそうでもなかったらしい。ただ、僕に話しかけてもらえて嬉しいと言ってくれた。

三年くらい立った頃だったらしい。彼女の目に、スーツを着て学校に向かっていく、皇の姿が見えたらしい。どうやら教育実習生として母校であるこの高校に来ていたらしい。
彼女はうれしくなって、彼に駆け寄ろうとした。だが、地縛霊のさだめ。彼女は公園のベンチから動けなかった。それがもどかしくて、彼女は少しだけ泣いたらしい。

その二年後、皇は晴れて教員として、母校に戻ってきた。彼女は高鳴る心臓で、彼を見つめていた。
皇は美術の先生になったらしい。確かに彼は美術の時間にはずば抜けていた記憶がある。
皇は美術部の顧問になった。

どうやら彼女は自分の姿を消したり見せたりのコントロールができるらしい。(といっても僕にしか見えないが)彼女が姿を見せるのは決まって土曜日だ。
美術部は土曜日に活動があり、他の部活は活動がない。(変わった学校だ)つまり、皇が出勤しているところを最前列で見れるというわけだ。(平日は生徒や他の先生がいるから、皇の姿がよく見えないため、姿を見せることをしなかった)

僕にまさか霊感があるとは思っていなかった。いや、実際にはあまりないのかもしれない。人生で初めて見た幽霊が彼女だった。悲しいかな、彼女は僕にしか見えないらしい。いっそ皇にだけ見えていたら楽だったのだろうが。

彼女は幽霊だ。彼女がメロンパンを食べれず、本を自分で読めないのはそのせいだ。

彼女は一通り話をし終えると、”変なお願いだとはわかっているんですけど、その本、読んでくれませんか?”と言った。
”もちろん朗読しろとかそういうわけじゃなくて、私がうなずいたらベー字をめくってくれたらいいですから”

そういうことで、僕ら二人のこの奇妙な関係が始まった。

皇が出勤する頃、彼女は姿を見せる。(別に平日に出るのも可能だが、僕の予定や彼女が土曜日にしか出たくないと言ったため、この週間は毎週土曜にやることになっている)皇が出勤し、学校に入った頃、僕は公園に行き、彼女のために本を読む。彼女が好きだという本を買って、彼女のペースでページをめくる。
幸せだけどどこか苦しい、奇妙な関係。
もう、1ヶ月か。


これからもずっと抱えながら生きていくのだろうか。このかなわない恋心を。
いつまで続けることができるのだろうか。いつまで続くのだろうか、この関係は。

心によぎった不安を振り払い、僕はページをめくり続ける。
水溜まりから香る雨の匂いが、どこか心地よかった。

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