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♯3 生理的発声と音楽的発声

「しゃべるように歌いなさい」「歌うようにしゃべりなさい」

こんな言葉を聞いたことはないだろうか。
parlareとは、演劇でも音楽でも扱う。「言葉」はそれだけ慎重に扱わなければいけないものだから、舞台に立つ者ほど大切に考えなくてはならない。
私がよく利用している「Yahoo!知恵袋」では、どういう訳か西洋音楽である声楽と日本で流行しているJ-POPは全く違う音楽として認識され、特に発声に於いては口をそろえて「この発声は違う!こうすべきだ!」と質問者をまくし立てている状況が多い。
「この発声はミックスボイスじゃない。エッジボイスが大事。裏声と頭声は違う。この音域はアナタには出ない。」確かに声楽を学んできた人の方が知識がある場合が多い。長く学ぶから。基本的には真摯に取り組む者が多いから。ただ、私が言いたいのは発声のダメ出しじゃない。
結局人間と言うのは、話している声(生理的)の延長線に歌声(音楽的)があるという、実にシンプルな意見なのだ。

よく声楽家はどれも声楽的に歌うからポップスは下手と言われる。
上手い歌手は畑が声楽だろうと演歌だろうとミュージカルであろうとポップスを歌わせても上手い。声をどう響かせるか。マイクが無かった時代に効率よく声を会場内に届かせる必要があったオペラの世界から、規模が小さくなったマイクOKの現代曲を歌うというだけ。

「話し声」→特に制約のない歌声=ポップス
     →制約の中に自由がある歌声=声楽

つまり、音楽的発声に関しては専門的知見を持った講師に学ぶ必要はあっても、歌の中に出てくる言葉(歌詞)についてどう発音・発語するかをまず念頭に考えるのが、歌の上手さであると考える。
巷では、どうしても言葉より発声ありきな指導に行く場合が多い。
充実した声でなければ、歌ではないと考える者が多いからだ。実際に音芸大の声楽科の学生も基本はSempre F(ずっと同じ大きさの声)。びっくりするくらい抑揚がない。PP(ピアニッシモ)もない。豊かな声でレガートに歌えば良いと思っている者が多く、大半は楽曲の原語が聴こえてこない。そういった意味では、ポピュラーボーカリストの方が上手く歌っているとも取れる。
歌詞がスッと聴き手が意識せずとも入ってくるのは1流の証であり、これは舞台演劇に於いても同様である。
如何に日本人が言葉をおざなりに扱っているか意識の低さが分かる。
自戒も込めて、今回はこの辺で終わりにしよう。

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