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やれるだけのことは続けてみよう

現在「書くことを仕事にする」という立場から離れて、マイペースな生活をしている。

コロナ禍の時に、もし書く仕事をしていれば、たぶん持病の関係で精神的に無理だったと思う。学校が一斉休業に入り、母親としてやることは増えるし、これに主人が隔日の在宅勤務に入ったので、自分の「居場所」が減った。

ちょうど中3から高1へと進級だったので、今後の授業数がどうなるかをかなり心配した。買い物や外出など、様々な制限がつくし、ちょっとしたことで怖い目に合いかけたし、「どうしてこんなに我慢しなければいけないの?」と悩んだ。

ようやく、コロナ感染者が減ったことで「大阪モデル」が発表され、学校再開が6月15日には行いたいという発表があった。

今のところ何もなければ、通常授業に戻る。

最近、自粛モードが減ったせいか、今までのイライラが爆発している人が増えているようで、先日は主人が帰宅する時に、2つの駅で人が殴りあったり暴言を吐いて、電車を止めた。

私も、ゆうちょ銀行で振り込み手続きをATMでしようとした時に、見知らぬおじいさんにいきなり怒鳴られて、パニックに陥った。

ふと、noteを見返していると、今までいろいろと書いていた人の投稿が減ったし、私のnoteも楽しいネタが減ったし、書く機会も減った。

どうしても、暗いネタになってしまう。そして、攻撃的な内容も入っている。今までの私はどこに消えてしまったのだろう?

こんな自分じゃなかったのに、嫌な自分しかない。

読み返してみると「アホな私やな。涙出てくるわ」と涙が出てきた。ネガティヴな表現なので、これを読んで「あー、この人とは付き合えん」と思われるかもしれないけれど、きっとnoteという場所は、私にとっての隠れ家的な存在だったのだ。

といっても、ログインしなくてもいろんな人が読めるので、隠れ家とは言えないけれど、口汚い言葉が出なければ、多少安全で自分の思いを伝えられる「逃げ場」にはなる。

最近は、年甲斐もなくTikTokに動画投稿を実験的に投稿して楽しんでいる。動画編集の簡単な勉強をさせてもらっているし、他にも動画編集アプリを教えてもらった。あまり好評ではないけれど、ひとつ楽しみが増えた。

書道で、トラブルに巻き込まれたけれど、助けてくれる人や師匠となる方が見つかり、ますます楽しみが増えた。

いろんな人のnoteを読んでいて、面白いことの発見もできているし、noteという存在は、案外私の心を安定させる要素になっている。ネガティブすぎるのは問題あるけれど、それはたまにあってもいい。やりすぎは問題だけれどね。

まぁ、「書くことを仕事にする」人から離れてみてから、様々な出会いが増えて、お金では得られないたくさんのことを得ているので、noteも無理のない程度に続けて行こうと思う。

お金を得ることは幸せだけれど、お金では得られないことを持つことは、一生涯役に立つ。それは覚えておこう。


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