私の憧れる歳の取り方とバームクーヘン論
私は、いつも「憧れの人って誰?」と聞くと、「八千草薫さん」と答えています。
この頃、ドラマや映画に出演することは少ないけれど、元タカラジェンヌで、深みのある話し方と柔らかな笑顔をされる、素敵な女優さんです。
宝塚時代の写真を拝見したことはありますが、もうそれはそれは「かわいい」の一言しか言えません。
かなり高齢のはずなのに、私がなぜ心惹かれるか?
いくつになっても変わらない「物腰の低さ」と年齢相応の「かわいらしさ」を持った方で、そういう人になりたいと憧れているのです。
あくまでも憧れなので、八千草薫さんと同じようにはなれないことは、十分わかっているし、「そうなりたい」と努力しているのが、今の私です。
よく「歳の取り方」がいいからだよとか、「歳の重ね方が素敵」という話がでますが、「歳の取り方」「歳の重ね方」、意味が違うようで一緒の部分もあるんじゃないかなぁと。
私の「年齢の考え方」は、バームクーヘン理論。
バームクーヘンって職人さんが焼くと、こんな感じ。
でも、自分で作るバームクーヘンは、こんなに綺麗な年輪は現れにくいんですよね。
お菓子をたまに作るので、四角いバームクーヘンになっちゃうんだけれど、きれいな焼き色の部分もあれば、焦げかけて悲鳴をあげてひっくり返した部分もあって、それがまた個性的でいいんですよね。
これを、私たち人の生き方に変えてみると、きれいに焼けた部分は、いいことがあったよのサイン。焦げかけた層やこげたかもしれない層は、何かにつまづいた部分。きれいな部分と焦げかけたり焦げたかもしれない部分の連続ができて、オリジナルバームクーヘンが完成するのです。
素人が作るバームクーヘンだから、不恰好でもいいんじゃないのかな?
私のバームクーヘンは、最終的にどんな美味しさが出るかはわからない、だけれど、失敗と成功、苦労と喜びの重ね方次第で、後で「いい人生だった」と思えれば、イコール「いい歳の重ね方をしていい歳の取り方をした」というかなりいい加減なようで、面白く考えればいいんじゃないのかなぁ。
人生なんて、どうなるかわからない。
それをバームクーヘンは教えてくれていると、もぐもぐと本当のバームクーヘンを食べながら、考えてみるのであります。
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