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「自分」がいられる世界

この画面を開けたときに、自分が昨日書いたnoteが「おすすめ」に掲載されたという知らせが出てきて、「え?!」となり、腰を抜かしてしまいました。

嬉しいことだけれど、浮かれてしまうと、また大失態をしてしまうので、ありのままの自分として、書き進めていきます。

「私」は、本当に自分のことはあまり好きではありません。すぐに浮かれてしまうし、調子に乗るというところはあります。そして、少し変わった癖を持っている部分があって、普通の人と違うことをすることがあります。

それを自覚させられたのが、ピアノと書道。

書道については、「お習字」と表記した方がいいのだけれど、やめる前に段を取れたし、少しだけ創作もさせてもらえたので、「書道」としておきます。

どちらも幼稚園年長から、先生が母の知り合いがしている教室で、兄と一緒に通っていました。

兄は、何もかも完璧だけれど、私は注意されてばかり。
ピアノに関しては、「爪を立てる弾き方」はご法度で「卵をつかむようなポジションで弾く」のが正しいとされています。

私は、「爪を立てる弾き方」をするタイプで、習いはじめの頃は注意はされませんでしたが、小学校に入ってからは、しばしば手を叩かれて、いわゆる「矯正という名の体罰」が始まりました。

母には一切話さず、最近になって「こういうことがあった」と話し、驚かれました。母の知り合いだからと「子供心」ながら気を使ったのでしょう。

しかし、先生は気が付いていなかったのです。理想のポジションになったことがあって、それなりに弾いていたけれど、褒めてもらえずに、しょんぼりしたことを。

反対に、書道はどうだったかというと、幼稚園生の場合は、硬筆からスタートしますが、「正しい鉛筆の持ち方」ができず、先生になんども手を添えられて、字を書きました。

でも、お手本通りにきれいに書けないことを見抜いた先生は、「もう自由に持っていいよ」ということで、許してもらいました。

ちなみに、私が指摘された「間違えた持ち方」というのは、正しいようで実は添える場所と指が変だという持ち方で、自分でも今正しい持ち方をしているかといえば、自信はありません。

「自分の好きな持ち方で書いていいよ」という言葉は、ピアノで「正しくない!」と手を叩かれる自分にとって、「この場所は自分を受け入れてくれる」と自信をつけてくれて、その後は、どんどん段級認定を早めてくれました。

毛筆は鉛筆やペンと持ち方が違うけれど、不思議と毛筆はすんなり正しい持ち方ができたので、今振り返っても不思議な世界です。

思うに、「自分をすんなり受け入れてくれる世界」というのは、場合によってはよい成長を促すことになって、特に子供時代に「自分を受け入れてくれる。守ってくれる。認めてくれる。」場所があれば、大人になってからも戻れる場所になるんじゃないかと思うのです。

どこかに心の拠り所があれば、また戻れる。

そういう場所を確保しておくと、大人になってつまづいたとしても、心の支えになるのではと思います。

だから、今、体調面や仕事面でスランプだとしても、手軽に筆ペン書道をしたり、今月から書道教室にも通いはじめたので、私には「書道」という心の支えはできているから、精神安定にはなるんでしょう。

あと、心の拠り所といえば「囲碁」「将棋」と、頭脳戦の昔ながらのボードゲームがあるし、負けが多い私でも相手をしてくれる場所は、楽しいですね。

要は、「自分が自分らしくいられる場所」って仕事以外で別にひとつ作っておくと、心が折れそうになった時、楽になるわけで、力もくれます。

気をつけたいのは、「今の自分の現実も振り返ってみること」も必要で、「逃げ」に用いてもまずいので、手加減は難しいけれど、自分の心の拠り所は必要ってことです。

さて、見つけられるかな?見つけたら、その場所を大切にしてあげてね。

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