見出し画像

ひとりでも私を思ってくれる人がいれば幸せ

久しぶりに書くnoteですが、よろしくお願いします。

元号が「令和」になり、何か変化が起きたかというと、体調面や仕事面でスランプ期に入り、今少しずつ体制を立て直しつつあります。

仕事のことは、詳細は書くことは控えますが、体調面にも影響が出て、持病が悪化しかけたことがありました。

「あー、もう自分はだめだ」ととても落ち込んだし、家族には迷惑をかけれないし、かなり今後のことについて、友人や家族には、あまり話さず、ひっそりとやめようかと思うようになっていました。

しかし、それを覆すというか、救ってくれた人がいます。

私の主治医でした。

私が書いたサイトのことは、診察で話していて、医学会の事情や人の心の世界について、いろいろと教えてくれたり、考え方のヒントをくれていました。

仕事のことを話して見ると、「あー、気になってたんよ。最近あなたの記事が出ていないって。何かあったの?」と聞いてくれて、事情を話して見ると、「そういうことって、医学会でもよくある話だよ」と。

話してくれたことは内緒ということで書けませんが、「あなたの書いていた記事は、たとえ様々な作業で編集されたかもしれないけれど、普段のあなたを知っているから、楽しみで読んでいたし、ワクワクしていた。きっとあなたのことだから、しっかり調べて真面目に書いていたんだと知っている。」

さて、ここがポイント。

「ひとりでもあなたを思ってくれる。ひとりでもしっかり読んでくれる人がいて、理解してくれている。そう思えば、救われるんじゃないかな?そういう気持ちがあったから、今の病気を抱えながらも、長く続けられているんじゃない?」

気づかされました。生活のために書くというのは、まず基本ではあるのですが、一番大切なのは「誰かのことを救う」ことで、何をどこをというと、分野によって違うけれど、私の書いたものをけなす人もいれば、「助かった」と読んでくれる人はいるわけです。

PV数も大切なことながら、内容がしっかりしていれば、ひとりでも私の記事を気に入ってくれる。読んでくれる。

自己満足と言われるかもしれないけれど、少なくとも人間って何か満たされなければすっきりしないところはあるわけで、それをどこに求めるかってことなんです。

仕事でぽっきり折れそうになった心に、主治医がこまめに私の記事を探しては読んでくれていたということに驚き、そして嬉しくなりました。

最初はかなり反対していたのですが、実は気にしてくれて、読んでいてくれた「ファンとしての先生」がとても嬉しかったのです。

他にも、SNSで繋がった方々が、読んでいてくれていたというのも知り、孤独な世界の中にいたのかもと、不安をずっと感じていました。いえいえ、結構読んでいてくれていたことに驚きました。

いつの間にか広がっていた私の支え。とても嬉しかったです。

今は、少し仕事面はセーブしていますが、まだ目に見えない「私の記事を、文章を好きでいてくれる」人のため、そして自分が頑張った証として、今日も何かを書き続けていきます。

「お!応援したい!」「この人のは気に入った!」ということであれば、お気軽にサポートしていただけるとありがたいです。いただいたお金については、今後の執筆活動や本購入に充てさせていただきます。