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【日々のつれづれ】わたしを東京に帰して

仕事柄高校に行くことが多く、今週は高校訪問のピークだ。そんな中、この時期にキラキラしている親子を見ると、どこか微笑ましくて懐かしくなる。

私の両親は教育熱心だった。勉強のためならお金も時間も全て費やしてくれた。頭が良くて小学校受験で成功した弟に比べて私は普通の子だった。けど私は頭良い子と話してみたくて。もっともっと広い世界に出てみたくて。私は中学受験をしたいといった。高知県の中でもどいなか出身の父親は無理してやらなくていいよそんなのといったけど私はやってみたいと言った。そこから私の勉強漬けの生活が始まった。

母は特に過保護だったしたくさん勉強してほしいという想いもあったのか、お弁当をいつももりもりにしてくれた。お菓子もつけてくれた。1人で重い荷物を持って歩くの可哀そうだからと、いつも自転車で迎えに来てくれた。帰りにアイスをご褒美で買ってくれた。小学校6年生の時はそれが週6だった。当たり前だけど2人そろって過去最高の体重を更新しまくった。中学校にやっと受かって2人で並んだ写真はデブがそろった写真だと今でも実家に帰ると2人で笑っている。
父は決めたことを覆すのが大嫌いな人間で、5年生の時一度だけもう私立の中学校に行きたくないと言った。そしたら父は怒り狂って自分の信念を守らない奴に金を払った覚えはないと、算数のテキストをビリビリに破いた。超怖かった。その割には小学校で私が優等生で色々答えている授業参観に来るたびに「いやーうちの娘は頭が良くて!」と大きな声で言いふらして恥ずかしい人だった。

中学校にあがったら1度も勉強しろとは言われなかった。好きにしろーと言われて私も調子に乗っていた。ただ高校1年生の時父親に「なんのために私立に行くのを許したのか、名のない大学に行くくらいなら行かなくていいし金も出さない」と1度だけ釘をさされた。なんか恐ろしくて必死に勉強した結果、それこそビリギャルじゃないけど高校1年の時偏差値45まで下がっていた私が早稲田に合格出来た。両親とも大喜びだった。

けど大学合格後私は目標を見失ってしまった。両親は相変わらず勉強しろとは一言もいわなかった。なのでまた私は調子に乗って2年生は10単位もとれなかった。成績表が家に来た時両親はひっくり返って「4年で卒業しないなら金を出さないよ」といった。そこから何とか頑張って4年で卒業できた。けど、自分の希望の進路を叶えることが出来ず私は人生で初めて挫折した。

親にお金を出してもらって、皆にいいねと言われる大学に行って、でも自分の希望していた進路を叶えることが出来なかった。きっと両親は私を出来損ないだと思っているとずっと感じていた。社会人になっても実家にはいたものの、話す頻度は減っていった。というか何を話していいかわからなかったし気まずかったのだ。両親と向き合うことのないまま、私は自分がやりたい仕事に転職をし、家を出た。

そんな私は今家に帰りたい。東京に帰りたくてたまらなくなっている。

なぜかというのはいったんおいておいて。何で私が仕事で教育に関わりたいと思ったのか?

それは私は教育は「保護者からの愛」だと強く信じているからなんだ。

小学生の時私はもっと広い世界を見たいと言った。そんな私を両親は心から応援してくれてお金と時間を費やしてくれた。確かに人よりは裕福な家庭に育ったけれど、超絶金持ちな家ではなかった。こんなに尊い愛情を私はたっぷりと注がれて育ってきた。この愛情を両親に完璧に返すことが出来ないのであれば、せめて誰かの役に立ちたいと。そう思ったのが教育に仕事で関わろうと決めた原点だった。私が見知らぬ人にたくさん愛を注ごうと。

引っ越したのは営業先の土地。少しでも土地を知って、その人たちに心からの愛を注げるよう。そうやって3年経った。けれど3年経って、なかなか私は自分の思うような結果を出せていない。更に今日仕事の振り返りをしたときに、すごく久しぶりに「あ、もうこれ以上頑張れない」って思った

甘えなんだろうけどその時ふっと両親を思い出したのだ。私が頑張りたいって思えることをひたすらに見守ってくれる両親。私が道を外れないように、という時のみ厳しいことを言ってくれる両親。頼らなくてもあそうなの?って感じでひょうひょうとしていて。私がこうやってやりますと報告していたら頼るのを強制することはほとんどなかったし、頑張ることを強制されなかった。新卒で辛かった時も「会社いつでも辞めていいよ」って言ってくれた。そういったコミュニケーションに今まで甘えていたんだなあって気づいた。

そして今ふと両親に甘えたくなった。東京に帰って、見知った自分の愛する土地で羽を伸ばしたいと心から思った。自分の頑張っていることを話をして、そっかーってひょうひょうと返してほしいって、生まれて初めていまそんな気持ちになっている。

繰り返すけれど私は教育は愛だと信じてる。だから私も出会う人すべてに愛を注げるよういつもいつも意識してきた。けれど私の過剰意識か分からないけれど、少しずつ自分の受け取る愛が減っていて最近パンクしている。だから、愛がたくさん詰まっている東京に帰りたいって思うのも無理はないのかもしれない。

明日から仕事でたくさんの新入生に会う予定だ。彼らはおそらく若いころの私と同じように、たくさんの保護者の愛を注がれていることに気付かない。それでいいんだと思う。いつか本人か違う人に違う形で返せばいい。私のように。少しパンクしている私だけど、そう信じて実家に帰る10連休まであとちょっと頑張ろう。

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