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コロナ禍でも変わらぬ愛を誓うために

2020年6月14日。わたしたち夫婦は結婚式を挙げる予定だった。

2020年1月。わたしと旦那さんは浮かれていた。「今年は結婚式も新婚旅行もオリンピックもある年だよ!将来子どもに自慢したいね」とはしゃぐわたしに「そうだね。一生忘れられない記念の年だよ」とニコニコしながら旦那さんは答えた。

ある意味、一生忘れられない年にはなった。当初と違う意味だけれど。

2020年3月、緊急事態宣言が出されるかもと噂が立った時。苦しかったけれどわたしたちは結婚式の延期を決めた。子育て中の友達が多い中、自分達の式で不安を与えてはいけないと感じたのだ。

頭ではわかっていたけどショックだった。今では当たり前の選択だとわかるけれど、そもそもコロナになる前結婚式が延期になるという人を聞いたことないし、実際ほぼいなかったと思う。やるせなさでいっぱいで、布団の中で静かにさめざめと泣いた。悲しみをぶつける場所がなかった。

それでも一縷の望みはあった。延期先の2021年2月14日に楽しんで結婚式を挙げればいいんだ。来年になったら落ち着いているはずだ…。

11月になった。コロナの感染者は減るどころか増える一方だった。毎日最多感染者数を更新しました、と無機質な声がテレビから流れる。2月までの状況の改善は絶望的だということは分かっていた。
「友人や知り合いを呼んでの結婚式は今の状況では無理だと思う。親族のみで挙式しない?」11月のある日、真剣な目をして旦那さんは言った。

そうだよね。わかっている。わかっているよ。でも…

わたしが結婚したのは33歳。周りから見たら遅いほうだ。自分が結婚するまでに何十人の結婚式に出席した。みんなに祝われて、たくさん写真を撮られてお姫様みたいにふるまう友達を幾度となく羨ましいと感じていた。自分も結婚したらみんなに祝福されたい。大勢の人に良かったね、と言われたい。そうすることで、独身の時結婚式に行くたびに肩身の重い想いをしていた自分を成仏させられるはずだ。

そんな気持ちが頭をよぎり即決できなかった。自分のせいじゃないのに、思い描いている景色とどんどん離れる結婚式が憎かった。「それはあなたの意見であってわたしの想いとは違う。もう少し考えさせて」わたしは冷たく旦那さんに告げた。

誰にもこんな醜い想いを打ち明けられず、ふと思いついて父親に電話した。「結婚式、親族のみでやるなんて。大勢に祝ってもらえないなんてやる意味なくない?」と投げやりな娘に父親はこう話してくれた。

「そうか?お父さんたちも色々あって親族だけだったよ!あと仲人さんか」
「え?そうだったの?さびしくなかった?」
「全然!新婚旅行もバナナワニ園だし。今は海外とか多いのか?世間とは違うな!ハハハ。でも、夫婦が幸せならいいじゃないか。結婚式は2人が改めて幸せです、って思える機会だったら形はなんでもいいんだぞ。」

ハッとした。

そうだ、わたしは旦那さんとの想い出を作りたくて結婚式をしたいと言った。出会って半年で結婚したので、想い出の場所がなかった。結婚式をすることで2人の想い出の場所を増やしたい、というのが結婚式を挙げる原点の思いだった。

それがいつの間にか「みんなにちやほやされることで、自分の過去を葬り去りたい」という自分だけの欲求にしがみついていた。それは、本来の目的じゃない。旦那さんとの願いでも何でもない。

わたしの1番の願いは、旦那さんとの想い出を増やすこと。一生笑い合える想い出をつくって、2人で人生を歩むことを再確認すること。

コロナで結婚式の在り方を再考しなければ気づかなかった。

そして先々週、親族のみの結婚式を挙げることにわたしたちは決めた。規模はぐっと小さくなって、出来ることも限られる。夢だった3段重ねのケーキカットは出来ない。けれど後悔はしていない。旦那さんとの想い出が作れるならどんな形でもいいのだ。

2021年2月14日の結婚式の当日。わたしはなにを思うだろう。10人足らずのゲストを前にして、少しはがっかりするかもしれない。
けれどきっと笑っている。大好きな旦那さんと実家の家族に囲まれて笑っているだろう。それでいいじゃないか。

これが、わたしの2021年の選択。


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