日本人の位置について

みずからの立ち位置を定めようとするとき、周囲を知ることができなければ、正しく位置を定めることはできない。地理上の位置なのであれば、GPS衛星があれば分かる。自分という測定点と、遠くの「動かない」基準点と、地図。でも、ぼくはここで地理の話をしているのではない。

日本人の位置というのはどういうものなのだろう?比較のために、ぼくが住むドイツのひとびとを考えてみたい。ドイツは東西南北に地続きの隣国がたくさんあり、欧州の他の人々が自分たちをどう見ているのかをかなり気にする。どう見られてもいいや、という人もいるが、何しろ休暇にちょっと出かけようと思えば、あっという間に隣国である。途端に自分がドイツ人であること、そしてそれがいろんな仕草やアクセントでバレバレなのに気づくのである。

欧州のひとびとのドイツ人を見る目はここ数十年でかなり変化した、と言っていい。第二次大戦が終わった1945年以降、ドイツ人といえば攻撃的で自民族中心主義的な、アーリア人種優越思想にいかれたナチス野郎どもと思われていた。ルターとか、カントとか、ベートーベンとか、強力な個性と知と天才を発揮した個人がいるし、学問も技術も芸術も秀でている。だが、やつらは極端だ!そして、あぶないんだ!と。だからドイツ人は戦後は相当な努力をして、周囲のくにのひとびとの信頼を勝ち取ってきた。ロボットみたいな話し方をするいけすかない奴らだと思っているひとは今でもいくらでもいるだろう。だが、率先してまたも戦争をおっぱじめる危険な連中だと思っているひとは、少なくともヨーロッパにはもうほとんどいない。

ドイツ人は戦後、周囲のヨーロッパ人の目を気にし、その視点の理解に努めた。そうでないと、多くの隣国に囲まれたくにとして、国家としても民族としても再出発することはできなかったからである。ここで大切なことがある。それは、相手の視点を理解するには相手の言語、あるいはすくなくとも相手も話す共通言語がわからなければ始まらない、ということである。欧州では近代教育が始まる以前から、エリートは欧州の共通語たるフランス語や英語を学んできたし、教育が大衆化すると、すくなくとも大学進学型の中等教育機関ではやはり英語やフランス語は必修だった。こんにち、選択できる外国語は(すくなくとも欧州言語の範囲内で)多様化したが、中等教育、あるいは小学校高学年から英語は学ぶ。ちょっと足を伸ばせば隣国だから、という理由だけではなく、隣人たちも同様に自国にくるからである。言葉が通じなければビジネスはできないし、ビーチでカクテルも注文できない。だから、レベルに個人差はあっても、互いに相通じる共通の言語を持ち、学習することは至極一般的なことであり続けた。

アジアはどうだったのだろうか。アジアはヨーロッパのように、互いのくにの言語を学校で学ぶという組織的な「制度」はなかったのではないか。もちろん、日本には韓国語や中国語ができるひとはたくさんいるし、韓国や中国にも日本語ができるひとはたくさんいる。東南アジアの言語を操るひともいる。だが、国内では少数派だ。日本は戦後、英語の大衆教育に(一見)力を入れたように見えた。そして世界では英語がデファクトスタンダードになり、今はアジアで英語を話すひとびとは非常に増えた気がする。今は、アジアの共通語も英語であると言えるし、お互い東洋人なのになんで英語で喋ってるんだろう?という違和感が頭をかすめることは少なくなったように思う。しかし、日本人の多くはアジアにおける英語普及の展開についていけていないし、昔はなおさらのことだ。つまり、日本語を強制した侵略・植民地主義的統治時代を除けば、アジアのひとびとと会話をすることがあまりなかったと言ってよいだろうと思う。

そうであれば、近隣諸国のひとびとの気持ちは分からないし、かれらの視点を理解しつつ自らの位置を理解する、ということもできないことになる。これは重大なことである。ただでさえ島国なのに、地理的距離、文化的距離を超えるための言語というパイプもない、ということなのだから。なぜこれほどまでに、アジアの隣人たちとの関係改善や、そのための前提となる共通言語の開拓や学習に投資することなく、日本人は戦後再出発ができたのだろうか。その理由は戦後の日米関係である。まるで親子のような関係となった日米関係は、双方にとって好都合だった。米国は防共の砦として日本との同盟を必要としたし、日本は戦争による廃墟からの復興と経済成長のために、米国を必要としたのである。実際、日本は朝鮮特需とベトナム特需と言って、戦後すぐから、米国の戦争にあやかって著しい経済成長をした。GDPが二度、倍に跳ね上がっているのである。アジアの隣人との関係回復どころか、見方次第では兄弟姉妹の流血からビジネス上の利益を得たのである。

高度経済成長によって日本は世界でもダントツの豊かな国になり、アジアをはるか下に見下ろしていた。米国との蜜月が続く限り、アジアとの関係に対する関心は極めて薄かった。振り返ればそもそも富国強兵時代、福沢諭吉を筆頭に「脱亜入欧」を唱え、欧米の植民地主義的国家クラブ、すなわち「列強」の仲間入りを目指していた日本は、アジアを見下していたのである。戦後は、ただでさえ後ろめたい思いもあるところ、経済成長に遅れ、購買力の低いアジアに向き合う必要性を感じなかった。政府開発援助を行い、経済的パトロンの顔をしつつ、日本企業を支援する、それが日本とアジアの「関係」の基本線だったのではないだろうか。そこには、アジアのひとびととの関係改善というコンセプトも意欲も存在していなかった。

お金はひとを孤独にするものである。お金があれば、財やサービスはいくらでも買えるので、ことさら人間関係を構築する必要もないし、言語の違う相手と会話するために時間やエネルギーを投ずることなど考えも及ばない。相手が自分の言語を苦労して覚えてくれるのである。高度経済成長期、そしてその後の日本はお金の力に頼り、アジアのカラオケバーで「ヨ、シャチョウ!」ともてはやされながら、実は孤独になっていった。そして、経済力の衰えにつれて、日本はアジアにおけるパワーをいつしか失った。そして孤独に気づく。

アジアにおいて、ひとびとのレベルでの信頼関係というネットワーク資産を形成してこれなかった日本。加速する少子高齢化と長引くデフレ経済による動かしようのない衰退フェーズに入り、アジア諸国の経済力が大きく伸びている中、はたと気づいたこの孤独を噛みしめる以外にないのだろうか?そんなことはない。今からでも再出発は可能である。ただ、それには条件があるはずだ。それは、自らの位置をしっかり見定めることであろう。高度経済成長期の「アジアの盟主」としての日本の自己理解が、アジアのひとびととの本当の関係改善という文脈においては「まやかし」に過ぎなかったことを、正面から認めることである。そして、本当には清算されることがなかった、アジアにおける日本の「負の遺産」に今こそ向き合うことである。日本人の位置とは、GDPのランキングのことではない。歴史のおける位置、隣人との関係における位置のことである。

では、日本の歴史における位置、そして隣人との関係における位置とは、どういうものなのか。そして後者の測量手段に欠かせない、相手の話を聞き取るための言語についてはどうすれば良いのか?これについては次の機会に論じてみたいが、先にぼくの信じる方向性だけ示しておくと、こういう時間の風景をぼくは眺めている。

ヨーロッパ中心主義も、欧米中心主義も、植民地主義も、白人至上主義も、その力の余韻を未だにいたるところに聞き取ることができるとは言え、歴史的にはもう終わっている。だが、その痛みはまだ全く終わっていない。アジアは、その痛みがもっとも集中的に、深く刻まれた地域のひとつである。台湾、そして朝鮮半島に始まる、アジアにおける日本の植民地支配も、日清戦争・日露戦争、そして第一次大戦も、あのおぞましい太平洋戦争も、原爆も、朝鮮戦争も、ベトナム戦争も、朝鮮半島の冷戦状態も、そして今の東アジアにおける複雑な緊張も、すべて欧米による植民地主義が体現した、優越思想と力による侵略、そして統治の論理に端を発する(「腕力の論理」は無論、欧米人のオリジナルではないことは、琉球やアイヌ人のことを考えればすぐに気づく)。日本はこの暴力的な論理に本当に対峙することはできなかった。対峙して抵抗するのではなく、模倣してしまったのである。そのプロセスと悲惨な結末とを、決して忘れてはいけないと思う。そして、一番深い傷を、今現在も、朝鮮半島が抱え続けていることを我々は知らねばならない。

弱肉強食の論理は20世紀の論理であり、世界の人口増加、食糧不足、水不足、気候変動、大気汚染、核弾頭の処分、老朽化した原子炉とテロの危険、使用済み核燃料などの放射性物質の長期貯蔵など、人類の生存を脅かす地球規模の課題に直面する今日、われわれはもう国家同士の小競り合いや軍拡競争のような20世紀的偏狭さに囚われていることはできない。それどころではないのである。若い世代は、われわれの世代が乗り越えられなかった壁を維持し、睨み合う必要はない。彼らにはまったく違う地平からスタートする権利がある。

なんら生産性のない国家のエゴを鞘におさめ、アジアという新たな地域的アイデンティティの中で、一世紀半に渡って負った傷の回復につとめること。欧州の若い世代が、二度の大戦への反省を踏まえ、ナショナルなアイデンティティよりも欧州人としてのアイデンティティを大切にするようになったように、アジアにおいても地域的アイデンティティを育成すること。そしてそのための言語インフラを構築する柔軟な発想をもつこと。当面は国際語としての英語教育を進めつつも、長期的にはアジアはアジアの共通言語を持って良いと思う。それがアジアを強くするだろうと思う。

「アメリカか、中国か」、なのではない。どちらでもない。強大な軍事力に頼るしかないと信ずる古い世界にとどまり続けるのは無責任である。19世紀と20世紀のもたらした傷の深さに目を据え、新たな時代をつくる若い人々に権限を委譲してゆくべきだ。20世紀を繰り返したいのか、そうでないのか。それが、日々の問いであり、好むと好まざるとに関わらず、ぼくらはその問いに毎日答えているのだ。




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