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【試し読み】『わたし生活保護を受けられますか』全国10,000件申請サポートの特定行政書士が事例で解説 申請から決定まで/三木ひとみ著

「わたし生活保護を受けられますか」

全国対応、24時間365日、1日も休むことなく生活保護申請サポートをする特定行政書士の三木ひとみさんの元には、今日も生活に困窮した人たちから悲痛なメールが入ります。
そして、「これで生きていける 生活保護のおかげで生きていける」と感謝の声も次々と。

生活保護申請サポートは10,000件に及び、「生活保護」分野で士業界隈では知らない人がいないほどの著者が、コロナ禍で貧困が進む中、7月7日、「申請から決定まで」を事例で分かりやすく解説する本『わたし生活保護を受けられますか』をはじめて出版。

本書で著者が伝えたいことはただ1つ。
「1日3食を取る生活が送れていないのであれば、生活に困窮した本人が現に寝泊まりをしている場所を管轄する役所の、生活保護担当窓口(社会福祉事務所)に出向き、決して絶対に諦めないで、生活保護をまずは申請してください。」
「貧困から脱して、明日に向かって歩きだして欲しい」と願っています。

そして、本書の内容が高く評価され、全国の公共図書館等に広く新刊で蔵書されることとなりました。(公益財団法人 図書館振興財団7月度「新刊選書」に選書)

また、本書に対し、上野千鶴子氏(WAN理事長)からは、「だいじょうぶ。なぜって、あなたには三木さんがついているから。申請にはこの本を持っていこう!」と力強い推薦をいただきました。

7月新刊の『わたし生活保護を受けられますか』から、一部を公開致します。
ぜひ、お読みください。

わたし生活保護を受けられますか


生活に困窮しているのならまずは生活保護の申請を

生活保護は、憲法第25条に規定する最低限度の生活を、国家責任として保障する制度です。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

1日3食を取る生活が送れていないのであれば、生活に困窮した本人が現に寝泊まりをしている場所を管轄する役所の生活保護担当窓口(社会福祉事務所)に出向き、決して、絶対に諦めないで、生活保護を申請してください。

通常は、生活保護申請をしなければ、調査が開始されませんから必要な保護を受けることもできません。

申請をして本当に生活保護を受けることができないということならば、その理由が書面で明示されますし、不服申立てをすることも可能です。

また、理由がはっきりと分かることによって、その却下となる理由を理解した上で、状況を整えて再申請をすることもできます。

一度却下になっても、次の申請に影響はありません。
例えば、本人も家族も把握していなかった昔作った銀行口座に、お金が数十万円ほど残っていたことが一度目の申請時の資産調査で発覚して却下になることがあります。これは、資産隠しなどの悪意はないので、何ら問題ありません。どこの銀行にいくらあるのかを調査をした福祉事務所は教えてくれますから、残っていた資産を生活費や借金返済など必要な使途に充てた上で、資産が尽きたら、すぐに再申請をすることもできます。

また、こんなケースもありました。
申請後の資産調査で本人名義の銀行預金が数百万円あることが発覚し1度は申請却下になったものの、その後、預金を本人が引き出すために銀行を訪れたのですが、定期積立をしてきた親族(銀行と取引のある企業経営者)でなければ解約ができないと分かり、福祉事務所も活用できる資産ではないと理解してくれ、最初の申請時にさかのぼって保護決定しました。

そして、申請から決定までの間、1日3食を取れないような状況であれば、生活保護が決定していなくても、国民は国に助けてもらうことができます。

お読みいただく皆さんへ 本書の使い方

生活保護は、今、困窮して暗闇の中にいるあなたの明日への希望の光となる制度です。
しかし、「偏見」や「誤解」、「行政の水際作戦」などによって、多くの人が申請できず困窮から抜け出すことができません。
本書では著者による全国10,000件超の申請実績から、事例を紹介しながら、あなたが生活保護を正しく理解・受託し、もう一度明日に向かって歩きだせるように、法令に忠実に、分かりやすく解説していきます。

生活保護は、今、困窮して暗闇の中にいるあなたにとって、明日への希望の光となる制度

行政書士として、私はこれまで、北海道から沖縄まで全国あらゆる場所にお住まいで、生活に行き詰まり困窮している方、またその家族や友人などから、生活保護に関する相談を数えきれないほど受けてきました。

そして、孤独に貧困の悩みを抱え込んでしまい、明日に希望を見出すことのできない人が日本には大勢いること、生活保護を受けられると知って「助かった」と笑顔になり、最低生活が守られたことで病気やさまざまな問題を解決し社会復帰に至った方、現在は社会で生き生きと仕事をしている方、精力的にボランティア活動などに参加し充実した日々を送っている方などを多く見てきました。

生活保護は、生活にお困りの方に対し、ひとしく最低限度の生活を保障する制度で、日本国の最高法規(あらゆる法律の中で最も強い形式的効力を持つ、国のグランドデザインとして頂点にある法規)である憲法第25条に規定する最低限度の生活を、国家責任として保障する制度です。

憲法は、国民の権利や自由を守るため、国家権力を制限し、人権保障をはかる、国民が国民のために制定したルールです。憲法が定めている決まりに反する法律や命令を作ることはできませんし、法律が国民を縛るのに対して、憲法は国民の権利・自由を守るために国を縛るものです。

「生活保護を受けたい」と役所の窓口に相談に来た人の対応にあたる職員は、個々の事情を客観的な立場において把握して、生活保護制度の公正な適用がなされるよう職務に当たるという法的義務が課されています。そして、生活保護の基準は、全国一律に国(厚生労働大臣)が定めています。

都道府県、市、福祉事務所を設置する町や村は、この国が設定する全国基準に従って、法定受託事務という、法令で特別に定められる国の強力な関与が認められる事務として、本来国が果たすべき役割を生活保護行政においては担っているわけです。つまり、地域格差なく、日本全国どこでも平等に受けられるのが、生活保護制度なのです。

生活保護は、今、困窮して暗闇の中にいるあなたの明日への希望の光となる制度です。

福祉事務所の皆さんへ

行政書士として、私はこれまでのべ10,000人を超える方々から生活保護の相談を受けてきました。お住まいは、全国すべての都道府県に及びます。
相談者の中には、役所に生活保護を受けたいと相談に行ったけれども、福祉事務所の職員の冷たい対応に傷つき、「生活保護を受けるにはあんな屈辱的な思いをしなければならないのですか」と訴える方も決して少なくはありませんでした。

行政書士の私も、多くの場合、生活保護関連法令にのっとり、福祉事務所の皆さんと同じ説明をしているはずです。同じ法令の説明でも言葉や角度を変えれば、相談者の方が受ける生活保護制度に対する理解、印象は大きく変わると実感しています。

福祉事務所の皆さんは、国の最高法規である憲法第25条で定められた最低限度の生活の保障を、生活保護法令に基づき、実際に国民の方々の命と生活を無差別平等に守ることのできる位置、つまり生活保護制度を適切に機能させ、生活保護法の目的を最もよく具現化できる立場にいらっしゃるのです。

相談者に対して、この人なら、親もしっかりした職業だし、身なりもきちんとして健康そうに見えるから、一度帰ってもらっても大丈夫だろう。本当に困っているなら、また来るだろうなどと、安易な考えで心ない対応をしないでいただきたいと願っています。
真にやむを得ない事情で生活困窮している方ほど、役所に勇気を振り絞って相談に行って追い返されたと感じたら、もう二度と足を運ぶ気になれなくなってしまうからです。

生活保護制度においては、生活保護法第2条(P.34)で無差別平等の原理を定めています。また同法7条(P.68)で申請保護の原則をとっていることから、急迫状況で職権を用いなければならないような場合を除いては、生活保護を必要としている人が制度を利用するためには、本人が自らの意思で申請をする必要があります。

生活保護の相談窓口に来られる方は、生活保護制度の内容をよく知らない方も多いでしょうし、何より「お金に困っている」という人に打ち明けにくい悩みを抱えていらっしゃる方ばかりです。
勇気を出して相談をしたとき、対応する福祉事務所の皆さんの言動によって、運命が分かれると言っても決して過言ではないと思うのです。
福祉事務所の皆さん、どうか温かく思いやりといたわりの心で、対等に相談者の方々と向き合ってください。

いつの日か、行政書士として生活保護相談を受ける日が来なくなること、行政書士として生活保護行政に携わる必要性がなくなることが、私の現在の目標、夢でもあります。
その日が来るまでは、皆さんがお仕事をされている福祉事務所に私が生活保護申請者の方と一緒に出向いたり、電話やFAX、メールで連絡をすることもあるかと思います。

その際は、すべての国民の健康で文化的な生活を保障するための生活保護制度であるという共通認識と、高い倫理観を持って、職務にあたるべき使命を共有しつつ、スムーズで円滑な行政手続き、国民の生活向上と社会の繁栄進歩に微力ながら寄与させていただきたいと常々思っております。

イラスト/かまぼこ

目次

生活に困窮しているのなら、まずは生活保護の申請を 2
お読みいただく皆さんへ 本書の使い方 4
福祉事務所の皆さんへ 6
目次  8
カバーの絵文字説明 14

はじめに 
困ったときにはSOSの声を上げ、堂々と申請を  16
1日たりとも休むことなく生活保護相談対応 20

第1章
わたし生活保護を受けられますか ー生活保護制度とは 29

□Step01 もう一度、歩きだせる制度 30 
生活保護制度を知り不安が解消されれば
精神面でも楽になる
□Step02 親族からの相談急増 31
親・子ども・きょうだい……
家族だけでは生活を支えきれない
□Step03 生活保護制度とは  34
生活に困窮していれば誰でも申請できる制度
□Step04 生活保護申請は国民の権利 35
「ためらわず相談を」厚生労働省のホームページ
□Step05 保護費決定までの流れは? 36
①生活保護の申請 ②調査・判定 ③決定
□Step06 生活保護の種類は? 37
①生活 ②住宅 ③教育 ④医療 ⑤介護 
⑥出産 ⑦生業 ⑧葬祭  
□Step07 生活保護費のめやす 42
申請する世帯の収入が最低生活費に満たない場合、
その差額が保護費として扶助
□Step08 受給にはどんな条件がある? 44
生活保護制度を利用するためのいくつかの条件
(生活保護の要件)
□Step09 生活保護よくある質問集 46
□現金や貯金があると利用できませんか? 46
□低額ですが収入があるので、今の状態では生活保護申請しても調査で通らないのではないですか? 47
□ホームレス状態で申請をすると、集団生活の施設に入らなければいけませんか?48
□住んでいる家がなくても生活保護は申請できますか? 49
□別居の親族に収入がある場合は受給できませんか? 50
□働けないことを証明しなくていけませんか? 51
□今住んでいる家賃が高いから、引っ越し後でないと生活保護は受けられないと言われました 52
□借金があると、生活保護は受けられませんか? 54
□Step10 [重要]申請後・決定後の注意点 57
困窮しているのに却下、減額、まさかの不正受給……
原因はココを知らなかったから

第2章  生活保護 申請から決定まで 65
□Step11 どこで申請するのか  66
申請は居住する役所の生活保護担当窓口へ
□Step12 申請の方法 67
申請は書面を提出
□Step13 申請できる人 68
要保護者(本人)、その扶養義務者、その他の同居の親族
□Step14 本人も親族も申請できないとき 70
役所が権限で保護の開始を決定することも可能
□Step15 「相談」は申請ではない 71
つらい生活苦を長々と話しても申請はできていない
□Step16 今すぐ生活保護を申請します 72
「生活保護を申請します」と申請書を1枚出すだけ
【PICKUP❶】
□「扶養照会」を拒否したい。当事務所での事例 74

●提出した実際の文書 78
【コラム】日本国民は誰でも「申請をする権利」がある81
□Step17 申請する際に必要な書類 82
申請に必要な書類は後からでも提出できる
□Step18 金融機関の調査同意書は必須  84
署名を拒否すると、原則、生活保護を受けられないので注意 
□Step19 賃貸契約書のコピーがないとき 85
賃貸契約書のコピーがなくても申請できる

□Step20 低い生活保護申請率 86
6割以上の相談者が申請に至らない
□Step21 なぜ「申請率」が低いのか 88
本来なら調査で通る人も申請前に諦めてしまう現実
【PICKUP❷】
申請率が低い背景「水際作戦」とは 90

【事例紹介】
所持金は数百円 DV男性宅から逃げた女性の申請 94
□Step22 かけがえのない命 98
すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を
営む権利がある
【事例紹介】
絶望し自ら命を絶った精神疾患を抱えた20代男性 98
□Step23 不当却下に不服申立て 99
特定行政書士が書類を作成すると申請が却下されても
代理で不服申立てが可能
□Step24 申請手続きを委任する場合 100
「生活保護申請の受理」について実績のある事務所かを確認
□Step25 貧困ビジネスに注意 102
生活保護申請は決して難しくない
□Step26 学生さんへ。夢を諦めないで 103
受給世帯の学生さん、同居のご家族に知っておいてもらいたいこと
【PICKUP❸】
□給付奨学金制度で大学進学を。未来を拓こう 106

第3章 生活保護申請の事例  109

事例01 
□本人が保護申請に行けず深刻な困窮状態に 110

「兄のようすがいつもとは違う感じがする。生活に困窮して何日も食べていないようだ。一刻も早く相談したい」
世の中がボーナス後の景気でにぎわう年の瀬のこと。
その男性とは離れて暮らしている妹さんが、切羽詰まったようすで当事務所に電話をかけてこられたのは、夜7時を過ぎていました。

【コラム】
福祉事務所にも医療機関にも対応を拒まれ行く当てのない生活困窮者 121

事例02 
□長年引きこもりの30代息子。援助も限界と70代父親  122

「統合失調症がある息子がいて一緒に暮らしてきたものの、同居も生活の援助も限界です」
ホームページの問い合わせフォームから連絡をいただいたのは70代の男性。役所に相談に行きたかったが、父親は朝から晩まで仕事をしており、平日昼間しか開いていない役所に相談する時間もなかったとのことでした。

【コラム】
公正・誠実に生活困窮者の方のため、善意の協力先とともに  127
【PICKUP❹】 
□生活保護と無年金問題  128

事例03
□行政書士、弁護士、医師…… 個人事業主からの申請依頼 130

どのような仕事をしていても、現に生活に困窮していて憲法第25条で保障される最低生活が営めていなければ、生活保護申請は当然可能です。

【コラム】
いつか生活保護に関する相談がなくなるその日まで  133

事例04 
□在留資格のある外国人。役所で母国に帰れと言われ  134

フィリピン国籍の女性の方が、お子さんを連れて生活保護相談にお越しになりました。
「生活に困っているなら、フィリピンに帰ればいい」そう役所で言われて、困り果てていました。
【PICKUP❺】
□外国籍の方と生活保護制度 145

事例05 
□不正受給問題 その中身は  148

「不正受給」と言われるケースについて事例を紹介。一緒に考えていただきたいと思います。
【PICKUP❻】 
□不正の疑いがある事件を断る義務 154
 
生活保護に関する相談先など 158
終わりに 159  謝辞 164
行政書士法人ひとみ綜合法務事務所 171
索引 172
奥付 著者プロフィール

頼ってもいいんだよ

頼ってもいいんだよ

カバーにデザインされている筆文字は、責任感が強く、他人に迷惑をかけてはいけないと頑張りすぎてひとりで抱えこんでしまう、他人に悩みをなかなか打ち明けられない、弱いところを見せてはいけないと思い込んで生きてきた、そんなあなたを思って描きました。
抱え込まなくていいんだよ、頼ってもいいんだよ、しんどいときは助けてって言っていいんだよというメッセージを込めています。
和紙職人さんが1枚1枚心を込めて漉いた楮(こうぞ)和紙に、主に鉱石を砕いて膠液(にかわえき)と混ぜて作られた岩絵具を使っています。
(作・文 絵文字屋 ぴーちゃん)

はじめに

生活保護は、本当に困ったときにすべての日本国民が無差別平等に受けられる救済制度。しかし、さまざまな誤解からマイナスイメージを抱いている人も多い。
困ったときにはSOSの声を上げ申請しよう。

はじめに 困ったときにはSOSの声を上げ、堂々と申請を


●本当に困ったときに平等公平に受けられる救済制度
救済から取り残され、コロナ禍で貧困が進む日々の暮らし。国民がしわ寄せを受ける構図は、いつの時代も変わっていないのかもしれません。
ただ、現在の日本には、先進国含め世界でも類いまれな手厚くやさしい、生活保護というありがたい最後のセーフティーネットがあります。

生活保護は、憲法第25条で保障される健康で文化的な最低限度の生活水準を維持するために、すべての日本国民が無差別平等に利用できる制度です。生活が困窮し最低限度の生活を維持できない世帯に対して、その困窮の程度に応じて保護が扶助されます。

時の首相の「最終的には生活保護がある」(1)発言は、世間からバッシングを浴びましたが、全国から生活保護の相談を受け、毎日、生活保護行政に関わってきた行政書士として、私はこの発言は的を射ていると思いました。

●貧困は誰にでも起こりうる出来事

・これまで一生懸命仕事をしてきたのに会社の都合により職を失い、100件以上の面接に行っても就職先が見つからない40代の男性。
・無年金の父親と同居して介護職をしながら生活の面倒を見てきたのに、腰を痛め仕事ができなくなり、一家心中寸前だったという30代の男性。
・夫のDVにより離婚せざるを得なくなり、3人のお子さんを抱えてパートをかけもちしてがんばってきた女性。しかし、交通事故の被害者となり職を失い病院に行く交通費もなく、成長期のお子さんがお母さんを見かねて、「僕、ごはん食べなくても大丈夫だよ」と気遣うほど切羽詰まったご家庭。

どの人も、決して怠けていて貧困に陥ったわけではありません。一生懸命に働き、誠実に生きてきたにもかかわらず、ある日突然、誰にでも起こりうる出来事により生活保護が必要になったのです。
彼らを、「自業自得」と切り捨てるような日本社会であってはならないはずです。

●多くの人が抱く「生活保護」へのマイナスイメージ

とはいえ、生活保護に関しては、多くの人があまり良いイメージは抱いていないようです。
当事務所に相談に来られた方も、
「生活保護なんて、今までの人生で思いもよらなかった」
「生活保護申請は恥ずかしい」
「人に言えない。これからの人生への影響が心配」
など、不安を抱えているのが現状です。
世の中には、生活保護と聞くだけで、
「本当は働けるのに生活保護に頼っているのではないか」
「我々の税金が酒とギャンブルに使われるのではないか」
という人もいます。

●世の中にあふれる正確ではない情報

このような世の中のマイナスイメージは、多くの場合、誤った理解から来ているのだと思います。
生活保護に関して情報を得たいとき、多くの人が自分でネット検索をして調べます。しかし、こと生活保護に関しては人によってさまざまなケースがあるため、欲している情報へたどり着くことは困難です。
また、これまでに全国からのべ10,000人以上の生活保護相談に対応し、毎日のように全国の役所とやりとりをしてきた行政書士の私から見れば、世の中には生活保護に関する正確とは言えない情報が多いのも事実です。

それらの情報を見て、一方的に行政に不信感を抱いたり、正確ではない情報をうのみにしたり、偏見をもったり、「自分は生活保護を受けられないのだ」と、相談する前から断念するケースも少なくありません。

●困窮したときにはSOSの声を上げ、堂々と申請を

生活保護は「本当に困窮したときには、平等公平に受けられる有難い救済制度」です。
「本当に困窮」とは、私は、お金がなくて家族が1日3食のご飯すら食べることができないような状態と捉えています。
本書の20頁以降に触れていますが、それは私自身の困窮体験から実感していることなのです。

1日3食を取ることすらできない困窮状態ならば、役所の生活保護担当窓口(社会福祉事務所)に出向き、生活保護をまずは申請してください。決して、絶対に諦めないで。

役所がいろいろと理由をつけて申請させない「生活保護の水際作戦」と言われる対応も実際あるとはいえ、本来、生活保護業務に従事する職員は、杓子定規に調査対応するわけではなく、生活保護のマニュアルに沿って、法令を骨とし、そこに肉をつけ血を通わせ、温かい配慮のもとに、生きた生活保護行政を行うこととされています。

申請をして本当に生活保護を受けることができないということならば、その理由が書面で明示されますし、不服申立てをすることも可能です。
また、理由がはっきりと分かることによって、その却下となる理由を理解した上で、状況を整えて再申請をすることもできます。

困ったときには臆することなくSOSの声を行政に伝え、堂々と申請すればよいのです。

(1)  https://www.asahi.com/articles/ASP1W5RWYP1WUTFK00N.html
(2021年1月27日朝日新聞より)
菅義偉首相は27日の参院予算委員会で、新型コロナの感染拡大によって生活に苦しむ人たちへの対応を求められた際、「政府には最終的には生活保護という仕組み」があると述べた。

●本書は、全国の実例をもとに法令に沿った正しい情報を提供● 

本書では、1日3食を取ることができないほど困窮しているのに、誤った知識や思いこみで、自分は生活保護を受けられないのだと諦めていたり、申請が却下・減額になったり、また、せっかく受給し新たな人生を歩み出したのに、生活保護制度の仕組みを正しく理解できていなかったがために、まさかの不正受給になってしまったりということがないよう、全国の実例をもとに、法令に沿った正しい情報を提供していきます。

1日たりとも休むことなく生活保護相談対応

●それは私自身の経験から

生活保護の相談や申請書、生活保護行政に関する書類……
行政書士法人ひとみ綜合法務事務所は、2018年1月の開設当初から、全国対応、24時間365日、年中無休で切羽詰まった方々の生活保護相談に当たってきました。
その数、のべ10,000人以上。
「生活保護のサポートは1日たりとも休んではいけない」
その理由は、過去において私自身が手を差し伸べてもらえず途方に暮れた経験があるからなのです。
20年ほど前のこと、ストーカー被害に遭い、幼い一人娘を抱えシェルターに逃れた私は、職も家も失いました。すがる思いで訪ねた生活保護の窓口ではけんもほろろ。見下されたような対応に心が痛み、生活保護は無理だと諦めました。水商売で働くも生活に困窮する日々。「死んでしまいたい」。
それでも私は娘の笑顔に励まされながら勉強をし、行政書士になりました。

●「お前臭いよ」「いつ服洗ったの?」子どもの頃の記憶

行政書士は官公署での手続きを幅広くサポートする国家資格者ですが、なぜ困窮した方があえて私を頼って相談するのか、疑問に思う方もいるかもしれません。
行政書士になる以前のことですが、私自身が若い未婚のシングルマザーで生活困窮した時期がありました。

私は子ども時代、小中学校の頃の良い思い出、記憶というものがあまりありません。
警察官の父と小学校教員の母のもとに生まれ、横浜の高級住宅街にある大きな新築の家で、幸せな日々を過ごしたのは3歳頃まで。妹が生まれた頃から、酒に酔って帰った父が帰宅すると毎日のように夫婦げんかが始まり、妹が宙に飛んだ記憶がおぼろげにあります。父母が離婚した後、心が不安定になり、かたづけたり洗濯したりということができなくなっていた母との暮らしは壮絶で、新築の広い家はみるみるうちにゴミ屋敷と化していきました。
多くの児童・生徒にとって、学校に着ていく服を選ぶことが大きなストレスになり得るというのは、よくある話かもしれません。ただ、子どもの頃の私の悩みは、他の子と比べてブランド服やおしゃれな服を持っていないといったことではなかったのです。
私は、自分で服を洗えるようになる小3頃まで、清潔な服を着て学校に行くことができない日も、少なくありませんでした。昔のクラスメートたちは、もしかしたら単に私をからかっていただけであって、傷つける意図はなかったのかもしれません。でも、「お前臭いよ」とか「いつ服洗ったの?」といった言葉は、子どもだった私の自尊心を喪失させ、それはそれは、落ち込んだものです。幼少期にわりと長期間いじめに遭ったことによる負の影響の1つで、私は猜疑心が強くなって人を信用できなくなっていました。

●いじめを逃れ奨学金で単身13歳で海外へ。そして進学

中学生になり、図書館で本を読むようになって世界が広がりました。
一念発起し猛勉強をして、日本のいじめから逃れるように、私は海外へ冒険の旅に出ました。親の支援を受けず、奨学金で13歳のときにカナダ・バンクーバーの文通相手を単身で訪ね、15歳で交換留学生としてアメリカ・ユタ州へ行きました。
そして希望の大学に入学。在学中にシングルマザーになるものの、その後リクルートグループに就職しました。この間、中学卒業後は親からの学費支援はなく、育英会と銀行から奨学金を借りてしのぎました。今は完済しましたが、その借金がその後、大きな負担となってのしかかってくるのです。

●就職し充実した日々。しかし……

リクルートグループの個性を尊重する企業姿勢が大好きでした。しかし、充実したリクルート社での日々は長く続きませんでした。シングルマザーで小さな娘を保育所に預けて毎晩遅くまで働いていましたが、ある日娘が保育所でけがをしてしまったのです。
会社を辞めるなんてもったいないと多くの人に言われましたが、当時の私にとっては、娘と一緒にいる時間が何より貴重で優先したいものでした。
私は毎日12時間も面倒を見てくれている保育士さんたちを責める気には到底なれず、むしろ自分自身を責めました。そして、給与は低くても早く帰れる仕事に転職しました。

●ストーカー被害。親子でシェルターへ

新しい職場となった不動産会社はとても良い会社でしたし、私は娘と一緒に過ごせる時間が長くなったことをうれしく思っていました。
でも、平穏な日々は長くは続かなかったのです。
転職後間もなく、ストーカー行為を受けるようになりました。家も突き止められ窓から侵入され、殴られ蹴られ、車に乗れと言われ、「このまま車に乗ったら殺されるだろう」という予感がしたので、通りかかった男性に、「警察を呼んで」と耳元で告げたところ、ストーカー男性が気づき激怒し、路上での暴行が始まりました。
髪の毛を思いきり引っ張られ車に乗せられそうになりましたが、民家の庭の柵に必死につかまり、抵抗しました。その後、1週間も頭皮の痛みが続くほどの力でした。近所の人が集まってきましたが、誰も男性を止めてはくれませんでした。

人の目を気にしてか、男性はいったん私の家の中へ退却。私は警察が来るまで怖いので近所の方の家にかくまってほしいと頼むも、誰も玄関にさえ入れてはくれませんでした。
泣き叫ぶ娘を抱き、警察のパトカーが来るまでの5分間、生きた心地がしませんでした。世間はなんて冷たいんだろう、そう悲しくなりました。

その後、警察に紹介された東京のシェルター(暴力等から逃げた女性の短期避難所的施設)に娘と2人、急きょ入所しました。他の入所者の安全への配慮から、シェルターからの通勤は認められず、自分の居場所を人に伝えることも許されなかったので、仕事を辞めるという選択肢しかありませんでした。

●シェルターの最長滞在期間が30日までだから、母子でここを出てください

シェルターに入居後30日が経つと、行くところがない、頼る人がいないという私の事情は一切考慮されず、シェルター退去を求められました。
無職無収入となった私にどこへ行けと言うのでしょうか。行く当てもないのにと、途方に暮れてしまいました。

「自分も月に20万円くらい生活保護をもらえているんだから、あなたも制度を利用できるはずよ」

シェルターで出会って仲良くなった、3人の娘さんを持つ同じシングルマザーの女性が、そう教えてくれました。
「生活保護」その言葉だけが頼りでした。

●役所の生活保護窓口で門前払い。心が痛み「もう無理」

娘を連れて東京の役所の生活保護相談窓口に行きました。しかし事情を説明しても、けんもほろろでした。

「父親が警察官で母親が教師? つまり親がどちらも公務員でしょう。税金で給与をもらっているわけです。もっとひどい状況の人はいるんだから、自分で何とかしてください」
「引っ越し費用なんて出せないよ。母子寮に入ってもらうけど、環境は良くないし、そもそも空きがあればの話」
「娘さんの学資保険を解約してからでないと、生活保護は受けられません」

両親は離婚しており、私は中学卒業後は親からの援助は一切なく、高校も大学も奨学金で生活していましたが、事情を説明しても聞き入れてもらえませんでした。
見下されたような対応に心が痛み、生活保護は無理だと諦めました。

若く無知だったため、公営住宅の情報などもよく分からず、一時期はクレジットカードのキャッシングは常に上限一杯まで借りての自転車操業でした。

●見知らぬ駅のホームで3時間。死にきれず

何とか日銭を稼ぐ方法はないかと調べ、危うく非合法な仕事に手を染めそうになったこともありましたが、危ない橋は、たとえ生活のためであっても渡ってはいけないと自分に言い聞かせ、常に寝不足の状態で必死に働き、生きてきました。

保育園が見つかるまでは、やむを得ず娘を寝かせてから夜数時間、働きに出たこともありました。急いで帰宅すると、布団にいるはずの娘がおらず、慌てて探すと部屋の隅のカーテンのところで、泣いたまま寝たであろう娘を見つけたこともありました。

保育園に娘を預けて、日中真っ当な仕事ができるようになってからも、学生時代に借りた多額の奨学金の返済と家賃の支払いに追われる日々。
相談できる人もなく、こんな母親で申し訳ないと、娘を保育園に預けた後、わずかばかりのお金を手に電車に飛び乗り、見知らぬ駅に降り立ちました。
「次の電車で、次の電車で……」
気がつけば3時間、ホームに立ち続けていました。

明らかにようすが変だったのでしょう。通報されそうな周囲の視線を感じ、逃げるように改札を飛び出ました。
どこかも分からない町、行く当てもなく、帰るお金もなく、私はただふらふらと歩いていました。すると、私の横に1台のトラックが止まり、運転をしていた見知らぬ初老の男性が声をかけてきました。
「どうしたの?」

●「娘さんのために踏ん張って生きなさい」その言葉に救われ懸命に勉強し行政書士に

母子家庭で生活も苦しく孤独で、娘に申し訳ないので死のうと思ったんですが死ねなかったんです。もう、娘の保育園のお迎えにも間に合いません、というようなことをボソボソと答えたのだと思います。
するとその方は、保育園に送ってあげるから乗りなさいと言ってくれ、都内の夕刻の渋滞時間に2時間近くかけて、保育園まで送ってくれたのです。その方も仕事があったでしょうに。
「死ぬ気になれば何でもできる、娘さんのために踏ん張って生きなさい」
その見知らぬ男性の温かい優しさのおかげで、何とか今日まで生きてこれたように思います。
そして、いつの日か、娘が母である私を誇りに思ってくれるような仕事がしたいという一心で、英語力を生かした仕事をしながら、懸命に勉強をして行政書士になりました。

●今なら分かる、役所の門前払いは不当な行政行為

今となっては、当時の私が役所で門前払いをされたことは、不当な行政行為であったと分かります。親の経済力にかかわらず、生活に現に困窮していれば、日本人であれば本来誰しも平等に、憲法で保障された最低限度の生活が守られるものだからです。
また、母子寮などへの施設入所を役所が強要することはできず、また、そうした施設に入らなければ生活保護が受けられないわけでもありません。学資保険も内容によっては、生活保護受給中も継続できます。困窮していたあのとき、不慣れな水商売をしなくても生活保護を受けることができたのです。

●1日3度の食事を取れる生活を守る

本書では、繰り返し下記の表現が出てきます。

1日3食を取る生活が送れていないのであれば、生活に困窮した本人が現に寝泊まりをしている場所を管轄する役所の生活保護担当窓口(社会福祉事務所)に出向き、決して絶対に諦めないで、生活保護を申請してください。

実は、これは私自身の経験から実感していることなのです。
かつて、困窮していたシングルマザーだった時、「1日3度子どもに食事をさせる」ことだけは絶対死守しようと決め、子どもの食事を一食でも抜いたことはありませんでした。
3度食事が取れないということは、もうそれは親として子どもを守れない、どんなに苦しくても、それだけは親としての最低限の義務だと思っていました。
しかし必死でした。

ですから、当事務所に相談いただいた方にも、「仕方ないから次の食事はがまんして」とか、「週末の食事はがまんして」ということは言ったことがありません。すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するのです。

もし、週末の食事がなければ、役所に交渉して何が何でも金曜中に支援してもらいます。
生活保護申請直後の食糧支援や金銭貸付をしようとしない役所に対しては、「次の食事を取る術がないんです」ということを私が訴えて、すぐに食糧を自宅に持っていってもらったこともありました。

●気づけば生活保護の相談は全国から。切羽詰まった方々の相談に対応する日々

行政書士として最初から生活保護業務を専門にするつもりはなく、当初は英語力と最近の国内での外国人率増加の波から、ビザ申請などの入管業務を専門にするつもりでした。
しかし、実際に受ける相談は生活に困っているという内容が多く、私は自分の生活困窮の経験もあるので人ごととは思えず、昼夜を問わず対応していたところ、口コミでどんどん相談が多くなっていきました。

「生活保護のサポートは1日たりとも休んではいけない」
今では、最も多くの生活保護申請書を作成している行政書士の1人になるかもしれません。

●本書が不安におびえることなく安心して「健康的で文化的な」毎日が過ごせる一助となりますよう願っています

そして今、ますます貧困が進む日本において、生活保護で救える命があることを、もっと広く正しく知ってもらいたいと思いこの本を書きました。

本書を通じ、「生活保護制度は、本当に困ったときには、平等公平に受けられる有難い救済制度」という理解が深まること、そして、経済的困窮という周囲に相談しづらく孤立しやすい問題に直面している人たちが、客観的に自分の現状と生活保護を捉え、不安におびえることなく安心して「健康的で文化的な」毎日が過ごせる一助となるよう願っています。

特定行政書士  三木ひとみ

著者・三木ひとみ
不服申立て代理ができる特定行政書士。行政書士法人ひとみ綜合法務事務所所属。警察官の父、教師の母の元1981年横浜生まれ。3歳で両親が別居し離婚。鬱を患った母と暮らす元ヤングケアラー。同級生から壮絶ないじめに遭うが、勉学に励み交換留学生として1年間渡米。帰国後、英検1級合格、国際基督教大学(ICU)教養学部語学科入学、大学在学中に未婚の母となる。ICUでは「未婚の母」であることを就職活動で伝える必要はないと助言をしてくれた女性職員との出会いに救われる。リクルートHRマーケティング入社するも、転職後、ストーカー被害に遭いシェルターに入所。無職無収入となるも両親が公務員のため生活保護を受けられないと思い込み、水商売や翻訳業で生計を立てながら2015年行政書士試験合格、翌年行政書士事務所を開業。

イラスト/かまぼこ