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五反田ラブストーリー1『RE:スターと。』

「辞めるの、本当に…?」

マサトは申し訳なさそうに小さく頷いた。都会の喧騒が遮断された線路沿いの喫茶店。『トゥジュール・デビュテ』には薄く流れるジャズと、目の前に落ち着きなく座るマサトの声の他に私の鼓膜を震わすものはなかった。

「急だな…」

私は溜め息混じりに呟いた。テーブルに置かれた珈琲。濃褐色の表面から登っていた湯気はとうに消え、代わりに店内を飾るアンティークなランプの灯りが、静かに揺れては反射している。

「いつも、急…」

「ごめん…」

マサトは落としていた視線を更に深く潜らせた。芸歴10年目。明日のライブを最後に解散するという。大事な事はいつも決まって事後報告だった。

「ごめん、もうこれ以上は無理だと思う…」

マサトは細くなった気道を無理に広げ、掠れた声を絞り出した。同期3組が世に出た。いわゆる『売れた』のだった。心臓がえぐられるほど悔しくて辛いのだろう。彼等が画面に映ると、マサトは無言のままチャンネルを変えるようになった。

「相方とは何度も話し合って決めた事なんだ…」

ここ数週間、様子がおかしかった。言葉数も減り、お酒も増え、一緒に居ても上の空だった。

「相方は作家として続けるみたい…」

コンビ2人で考えた事。結成も継続も解散も、2人が決める事。でも、一言相談があってもよかったのではないだろうか。私はなんだったのだろうか。私の気持ちはテレビのリモコンみたいに直ぐ切り替えられるものとは違う。それだけの月日を重ねて過ごしてきた。夢を追う芸人の肩越しで見て来た景色が、この先どう変わってしまうのかと、私は酷く不安にかられた。

付き合って7年、渋谷の小劇場でバイトをしていた学生時代の友人に誘われ、仕方なく観に行った若手のお笑いライブ。マサト達の漫才のネタは正直、大して笑えなかったのだが、楽しそうにツッコミを入れるマサトに、何故か私の黒眼は吸い寄せられていた。

天井の低い舞台。カクテルカラーのスポットライトを浴びたマサト。笑う度に見えるマサトの八重歯が印象的で目を奪われていた。ネタの最後にやる決め台詞の「どうも、サンキュー!」と言って舞台袖にはける、そのギリギリまで、私はあの八重歯と笑顔だけを求めていた。やばい…私、ああいう感じの笑い顔、好きかも…。

ライブ後の打ち上げにも誘われた。そこでマサトを紹介され、戸惑いながらも連絡先を交換した。その翌週、私の住む五反田の外れにある『げってん』で2人きりでグラスを傾けた。

その帰り道、ビルの隙間から臨む、星のない小さな都会の闇夜を見つめながら、マサトは大きな夢を語ってくれた。その瞳には、輝く事を許されなかった星屑たちが、マサトに夢を託しているかのように思えた。それほど、マサトの瞳はキラキラと希望に満ち溢れて、私はその横顔に目を奪われていた。小さな耳たぶ、シャープな顎のライン。その先にある、少し厚みのある下唇。夢を含んだ言霊が白い息となって、次から次へと溢れ出てはネオンの色彩に消されていく。大崎の高層ビルにあるオフィスで働くOLの私には、そんな歪(いびつ)だけど鈍い光を放つマサトが、会社の同僚とまるで違って見え、とても眩く感じた。私はマサトを好きになっいた…。

「どうするの、これから…」

「新しい相方とやっていく。まだOKもらってないけど」

「えっ、そう。また急な話ね」

「ごめん…」

また謝る。いつもそう。私がいじめているみたいに映るじゃない。こういうウジウジした所、大嫌い。丁度いい。こうなっならコップの水でもぶちかけてやろう。そうドラマチックな計画が頭をかすめた時だった。

「でも芸人は辞める」

冷水をかけられたのは私の方だった。

「えっ、じゃあ、新しい相方って…」

「もう呼んでいる…目の前に」

小首を傾げた私の前に、マサトは賃貸情報誌を置いた。

「もう少し広い家、探さないか」

マサトは鼻を掻きながら上目遣いに言った。バッグの中にはもう1冊、就職情報誌が入っていた。

「それって…?」

悪戯な目を向けた私に、マサトは冷めた珈琲を飲み干した。

「いいよ。でも家賃半分宜しくね、相方なんだから」

「厳しいなぁ。でも、サンキュー…」

漫才の最後みたいな言い方で、マサトは首をコクリと垂らした。いつも謝ってばかりのマサトが、やっと言ってくれたね、私だけに…。

店を出ると、人通りが増えていた。五反田が華やかで賑やかになる時間だ。

「あっ流れ星」

「えっ、何処?」

空を見上げたマサトの横顔を、私は盗み見た。そしてクスッと笑うと、マサトは私の嘘に気が付いたて

「うわ、しょうもなっ」

マサトは細い目を更に細めて、久しぶりに八重歯を見せてくれた。やっぱり、なんだかんだいっても私、マサトが好き。うん、芸人だろうが何だろうがね、結局、なんか好きなんだよね、うん。明日の舞台、最後にその笑顔をみんなにも見せてあげて欲しいな。みんなにも好きになって欲しかったな。あれだけ心配だったのに、変に余裕が出てるわ、私。

「何、どうしたの、ニヤついて」

「別に〜」

だってさ、これからはずっと、ずっと見ていられるんでしょ、私。まぁ、解散しない限りはね…。

頭上に覆い被さる暗幕の中、真の輝きを放つ星(スター)の存在はひと握りしかない。でも私が呼吸する街には、星屑のように散らばった数多(あまた)の夢たちが、違う形で光り続けようともがいている。その方がとても尊いものに感じた。

天空では輝けなかった星の1つが今、私の隣で真摯に瞬いている。そして向かい風の中、懸命に目を広げて歩き出してくれた。今度は天を見上げるのではなく、私と同じ目線で、同じ道を歩くその先の未来を見つめながら。今夜の五反田の風は少しばかり優しく感じた。

ーRE:スターと。(リスタート。)完ー

読んで頂きありがとうございました。

中川秀樹


小説「いつか、あなたと」幻冬舎
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小説「四季折々」竹書房
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