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自分は自分でしかない
「HSP」「繊細」
この言葉に囚われすぎてしまった時期があるなぁとふと思った。
初めてこの言葉を知ったとき、確かに私の光に見えたし、生きてきて知らぬ間に抱え込んできたたくさんの「困った」や「どうして」が、紐が解けるようにすっきりしていって、そこから自分を見つめ直し始めた。
自分が今まで、どうしてもまわりと分かり合えなかった部分を、そこにいるひとたちならわかってくれる。それはとても気持ちがいいことで。
自分が苦手なことを認めていい。自分が好きなことを認めていい。私にとって、それはそれは大きな許可を自分に出してあげられたような。
とてもいいことだったんだけど、そのうちそこしか見ない時期がやってきた。何をしても、何を感じても、「私はHSPだから」「HSPの感覚だから」と、結局は自分ではなく「HSPである自分」としてしか認められてなかったんだなぁ。
「HSP」というくくりを俯瞰で見始めて、今になってようやく「自分は自分だし」とちゃんと自分を認められるようになってきた気がする。
HSPだから音楽が好き、じゃなくて、私は音楽が好き。
HSPだから満員電車が苦手、じゃなくて、私は満員電車が苦手。
HSPだから頑張りすぎないようにしよう、じゃなくて、私は私を大事にするために頑張りすぎないようにしよう。
「HSP」ってさ、5人に1人って言われるとさ、なんか特別感あるじゃん。その特別感が、存在してもいいんだって気持ちにさせてるような気がする。でもそうじゃなくて、別に特別じゃなくたって、私はここに生まれて生きてきているし、大好きな友達も、特別だから好きなわけじゃない。ただ好きだから好き。それ以上でも以下でもない。
きっと当たり前のことなんだろうけど、私はこう思えるまでに時間が必要だった。「HSP」という言葉と出会わなければ、自分と向き合えていないし、その枠組みに入ってみた時期があるから、結局自分なんだっていうところに行き着いたと思うし、全部全部必要だった。
社会復帰ももうすぐできそうな予感がする。でも焦らずに、とにかくのんびり楽しんで。
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