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【恐れるモノの正体】

こんにちは
前回は後ろ向き、ネガティブなパワーに包まれた心のうちを吐露しました。今日もそのパワーから抜け出しきれてはいないのですが、出口の扉に手をかけたような感じがしたので書いてみたいと思います。

自分を覆っているネガティブなパワーの正体は、「人に嫌われたらどうしよう」という不安だと気付きました。
子どもの頃から大人の顔色を見て「イイ子」でいました。それは「イイ子」でなければ振り向いてもらえないと思っていたからです。少しでも大人ので評価を得て自分のことを好いてもらおうと、大人が求める振る舞いをしていました。顔色を見て大人が求めることを察してましたが、完璧には察することはできません。当たり前ですが… そしてその推察が間違っていたとき、(しなくてもいいのですが)自分自身を責めていました。自分の判断が間違っているからダメなんだと。好かれないのだと。
今ならわかります。誰だって気分によって人との接し方は変わると。同じことをされても何とも思わないときもあれば、そうでない時もあると。
だけど幼かったのでそう思うことができず、自分を責めていました。そんな自分の振る舞いが蓄積し、無意識に自分を支配してしまっていました。

簡単にはその蓄積されたものは払拭することはできません。相当長い時間をかけて蓄積されたものですから。

もう一つ、「愛された、好かれた」実感が乏しいため、そういったベクトルを向けられたときに信じることができないのです。そして、そのベクトルが偽りのものであるかも見分けられません。結局「人を信じられない」自分に自己嫌悪。加えて、信じようとしても、アクセルの加減がぎこちなくなってしまう。ましてや、偽りのベクトルを信じてもしまうこともあり、裏切られたことと自分の不甲斐なさのダブルパンチ。

これってどう解決すればいいのか。そういう自分を受け入れて、最低限の人間関係で暮らし、かつ、深入りしないことで自分を守るしかないのか。それとも…
答えはわかりません。ただ今言えることは、「誰かの評価に振り回されない」こと、自分を信じることが大切なんじゃないかなって。
他人は好き勝手いろいろ言います。それに振り回されずにいることがやるべきことなのかなって思います。

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