見出し画像

【しなやかな思考へリセットする】

 「大阪メトロ今里筋線だけでは市内中心部に直接行くことができない。だから不便であり、乗客はそれほど多くなく、今里筋線の建設は失敗だ」と言われることがある。
 何をもって失敗と言うのか。今里筋線単体で利益を出すことができず赤字を垂れ流すことになっていると言う点、経営的な視点では残念な結果であるかもしれない。しかし、2006年に開通し丸17年が経過し、沿線に暮らす人々の生活に馴染み、利用されるようになっている事は明白である。その視点で見ると建設は失敗したとは言い切れない。
 なぜ公共交通は黒字で経営されなければならないのか。公共交通機関が黒字経営すると言う事は、世界的に見るととても珍しいことである。そう考えるようになったのはどうしてなのか。その考え方がを否定するわけではない。同時に、その考え方が唯一の考え方ではない。ある程度の赤字であっても、公共と言う名の下のサービスは、市民生活にとって必要なものは提供されるべきものとなる。
 電気・ガス・上下水道といったものだけでなく、ゴミの回収や学校も人びとの暮らしの中で必要な公共サービスだと思う。そして、それらサービスを行うための仕組みもインフラも公共サービスの一部であると思う。それらすべてを公共、すなわち、行政で行わなければならないと言うわけではないが、たとえ民間が供給するサービスであったとしても、人々の暮らしのために必要なものであるのであれば、公共機関がそれらサービスの提供に対してサポート/補助する事は当然なことになるだろう。
 そして考えなければならないは、どこまでそのサービスをサポートするのかを決めることだと思う。それは行政単独で決めるのではなく、議会で議論して基準を決めていく必要があるのではないだろうか。ひいては、それが市民参画であり、民主主義であると思う。
 民間企業であるから、税金を投入する事は不公平だ、おかしい、と言うのも一つの意見であるだろう。ただそう考える、そう判断するのは、とても安直な考え方ではないだろうか。他の意見もきっと存在する。サービスを行う企業の立場、利用する市民の立場、行政の立場。そして忘れてはならないのが、市民や企業を俯瞰的に見て最適解を判断するマネジメントをする立場。階層的なマネジメントを行う仕組みが欠如していること、加えて、その仕組みについて考えることをしない「思考停止」をしていることが大きな問題では無いのだろうか。
その思考を養うためにも、教育というものがとても重要になってくると思う。教育と言うものは、学校で学ぶ教科を単に学習するものだけではない。一時目的としては学習することが目的になるのと思うが、その学習を通じてその先に何があるかを考える、想像すること、それら思考力、想像力を養うために学習することが二次的な目的となる。それらの力を養うこと、経験することが教育ではないだろうか。それをせずにして教科の点数だけを上げる事は、教育ではなく、学習の一部だと思う。
 現在学校の場では、探究学習を深めることが進められていると聞く。思考力、想像力を養い、柔軟な考え方を持つ子供たちを育てていくことを目的に取り組まれているのだと思う。そのために、今大人が何をしなければならないのか。大人がマインドセットを変えなければならない。これまでの常識を否定するのではなく、今の時代に合わせて、現象を柔軟に解釈しなければならない。そうしなければ、時代感覚のズレたままの社会が続いてしまうと思われる。そういった危機感がある。なぜなら、マインドセットを変えずに過ごした何十年と言う時間の結果が今の日本ではないかと思うからだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?