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「与える」人になる

ふと目に留まったYouTubeの投稿から、「与える」ということについて考えました。

たまーに見る大愚和尚のチャンネル。一問一答形式で気軽に説法を聴くことができます。

今回のお悩みは「結婚もせず子どももおらず、務めていた会社も辞め、現在無職。就職活動もうまくいかず、将来を考え不安」というもの。30年以上働き続けてきたものの、今は就職活動に難航している現状で、和尚はそこに対してのお返事をしていました。

「与える」意識を持って働いている人には、雇用主としては「長くいてほしい」と感じるはず。相談者さんは長年働きながらもどこかで「もらう」意識があったんじゃないか。仕事に限らず、「もらう」ではなく「与える」意識があれば、人生は好転していく。

私なりに要約するとこんな感じ。


ずっと、「いつか与えられる人になりたい」と思ってきました。私はいつも与えられている。与えてもらっている。でも返せるものなんてない。だからいつか、与えられる側の人間になるんだ、と。

自分が十分に満たされていないと人に与えることなんてできないし、与えるよりも「ほしい」気持ちが多い私は、到底そんな人間にはなれない。

私にとって「与えてくれる人」は、大きな愛情を持っている人、自分をしっかりと持っている人だとばかり思っていました。それは私が愛情を欲しがっているからで、自分の軸が弱いからです。ほしいものをくれる人を、「与えられる人なんだ」と思い込み、いつかそんな人になれるように「今はもらうことが大切なんだ」とそう考えていたのです。

でも和尚の言葉を聴きながら、「いつか」じゃなくて、「今から」でも与える人になれるかもしれない、と思い始めました。


28年生きてきて、私の視点で見てきた世界がある。感じてきたことがある。仕事もそれなりに一生懸命やってきて、身に着けたこともそれなりにある。愛情を与えることは難しいけれど、自分のなかにある言葉を与えることはできる。

今の取引先との関係もそうです。私はどの会社に勤めても、どの会社と取引しても、「何もできなくて、こんなポンコツな人間で申し訳ない…」と思いながら、何か返せないかと過剰に自分を追い詰めてしまう癖があります。「与える」なんて発想は皆無。

でも思い返せば、「いつも丁寧な校正をありがとうございます」「赤字を見て勉強させていただいています」「これからもよろしくお願いします」と十分すぎるぐらいの言葉をいただいているのです。ありがたい言葉を与えてもらえるということは、私も相手に与えているからなんじゃなかろうか。


この結論に至って、少し肩の力を抜いてみようと思いました。なんならすでに、私は与える人になれているのかもしれない。だったら、こんなにも自分を責め続けなくてもいいはず。もう少し楽しんでもいいはず。

そしてこの「言葉を一緒に考える」仕事も、私なりの言葉を与えていけばいい。言葉のプロを目指している一人として、深い思考をもって生きてきた一人として、私として、浮かぶ言葉を与えていこう。


ということで、2024年のテーマは「与える」にしたいと思います。毎年テーマを決めているわけでもなんでもないんですが。たまたま今日が大晦日なので、こんな締めくくりにしてみました。

皆様が穏やかに新年を迎えられますよう、お祈り申し上げます。

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