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言葉を使わないとき

「人に寄り添う」にはいろんな形がある。

先日、友人に「お茶でもしようよ」とLINEを送った。いつもはすぐに連絡がとれる人。いつもはすぐに連絡がとれる人だけれど、そのときは「何かあったのでは」と心配になりはじめた頃に返ってきた。

「友人が急逝して余裕がないから、落ち着いたらこちらから連絡するね」

やっぱり大変な状況だったみたい。

こんなとき、なんて声をかけたらいいのだろう。

「お悔み申し上げます」とか「ご冥福をお祈りします」とか、一般的な挨拶が浮かびはするものの、私のなかではあまり言いたくない言葉。なんていうか、心が乗っていない気がしてしまう。私はその亡くなった方とは面識もなく、ただ友人にとって大切な人だということはわかる程度。

それに、「急逝して余裕がない」状態の相手に、死を突き付けるような言葉を押し付けているようにも感じられて、私には使えなかった。


以前にも別の友人が身内を亡くしたとき、同じようにかける言葉に悩んだ記憶がある。

そのときは、なんて声をかけたか覚えていないのだけれど、そっと歌を残したのは覚えてる。星野源の「ここにいないあなたへ」。その友人とはSNSで仲良くなりよく話す仲だけれど、会ったことはなく、物理的にそばにいることはできなかった。それでも、彼の悲しみに寄り添いたかった。


結局、友人への返事は、「大変なときに連絡を返してくれてありがとう。落ち着いたらまた」と送った。

「落ち着いたよ」と連絡が来て、2時間ほど話をしたけれど、そのなかでも私は何も言わずにいた。

私は基本的に、相手が出さない話題には自分からは踏み込まない主義。人との別れ。あまりに重く、でもいつかは来る、避けようのないもの。それに軽々しく触れることは、私にはできなかった。

話して楽になることもあると思う。声をかけてくれたから話せたということもあると思う。このあたりは人それぞれだろうし、また関係性にもよるところだろうし。

でもその後、触れないことのほうが無神経だったかなと不安になった。

友人の身に大変なことが起きていたという事実を知っている。「大変だったね」の一言くらい、伝えるべきだっただろうか。伝えたい気持ちはあったけれど、もし友人が「考えないようにして落ち着いている」だとしたらと思うと、引き金になるような言葉はかけたくないと思った。

いつでも正解を探してしまう私は結局、それをそのままLINEで伝えることにした。あえて触れなかったのだけれど、逆に無神経だったかなと考えている、と。

友人は「思い出すと泣けるから、ありがたい気遣いだったよ」と返してくれた。つらいのは友人側のはずなのに、こんなときでさえ優しい言葉をくれて、なんて大きな人なんだろうと思う。

言葉が好きな人間として、あえて言葉を使わない選択も、人を大切にしたいからこそ前向きに使っていきたい。

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