世代の常識

「シラケつつノリ、ノリつつシラケること、これである。」(浅田彰『構造と力』より)

なんだかふざけているみたいで面白い。こうしたいわゆる”ニューアカ”の思想を皆が共通して浴びた世代がいるのだから、もっと面白い。『構造と力』は83年の著作なので、主に58年~65年生まれあたりだろうか。すると2020年の今は、55〜62歳といったところか。


僕は、階級や階層よりもむしろ、世代による思想の違いに関心があるタイプの人間である。

そして、未来に架空の視点をとることによって自らの思想を相対化できないかと画策している。つまり、「自分の世代が後世にどう定義されるだろうか」という観点から現代の思想状況を眺めるということである。


たとえば、ネオリベ批判が批評空間において、そしてメディアにおいて一定の地位を占めるようになったのはいつ頃だろうか?

少なくとも僕が気づいた頃には、「年越し派遣村」が憂慮すべき社会問題として報道され、小泉=竹中路線が「負の遺産」として顧みられ、首相が「自助」を唱えることがTwitter上で疑問に付される時代だったように思える。


そうした時代の人間である僕には、「ネオリベ批判をちゃんとやらなきゃいけない」というような数年前に書かれた文章を読んでも、あまり面白いとは思われないのだ。「いやまあ、そうなんだろうけど、分かってますよ。みんな言ってるし。」となるわけである。


「ミレニアル世代」「Z世代」といった現存する区分を批判的に検討しつつ、自らの”世代的バックグラウンド”を、上の世代のそれと比較するということ。つまり、自らの世代の常識を客体化し、流れの中に位置づけなおすということ。

鍛錬が必要で、骨の折れる作業である。

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