【ネタバレあり】『ニンフォマニアック』のラストシーンについてだけ考えてみた

リバイバル上映に行ってきた

映画好きではあるものの、新作映画ばかりを漁り、
映画ファンになった2016年以前の映画には
とんと詳しくない映画不信心者の私。

映画好きにもかかわらず、集中力が雀の涙ほどしかなく
自宅では映画のえの字もない生活を送っており、
およそ快楽のためにしか映画を摂取していない可哀そうな生物なんですけども
まあ、映画館でやってくれさえすれば旧作も観ることができる。

ということで、現在、胸糞映画の大家として知られる
ラース・フォン・トリアー監督の特集上映がやっております。
「ラース・フォン・トリアー レトロスペクティブ2023」
というイベントで実に14作品を劇場でかけてくれる。
激しい映画が好きなのでトリアー監督の作品は好きなものが多い
といっても、ほぼ新作しか鑑賞できないセルフ縛りプレイで
生きてるので、有名な「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と
「ドックヴィル」と最近やってた「ハウスジャックビルド」
くらいしか観てない。
せめて、「奇跡の海」、「イディオッツ」、「ニンフォマニアック」、
「メランコリア」、「アンチクライスト」くらいは観ておきたい
ということで、この機会にできるだけ観に行こうと思います。

「ニンフォマニアック」を観た

そんな気持ちを胸に、まず手始めに「ニンフォマニアック」を観に行った。
何分、vol.1と2に分かれているうえに、
今回、ディレクターズカット版だったので147分と177分という遥かなる旅路。
こんなもん家だと観れるはずもない。哀しい哉。

えらく長かったですが、これが驚くほど面白い。
章立てて進んでいくので長いわりに観やすかった。
映画ファンは初めて観たバージョンを親だと思う傾向があるので
ここから30分と50分強削られてる通常のバージョンで
何がどう削られるのか皆目見当もつかない
必要十分だったから何が削られるんだって感じだ。

まあ、簡単に言うと「ニンフォマニアック(色情魔)」の女性の
一生と懺悔を振り返っていくという話。
色にまみれて生きてきた結果、これだけ周りの人間をないがしろにしてきた
責められても仕方がない、責めてくれ。
というような語りで過去を振り返っていく。
意味もなくセックスをしまくり、他人の家族を踏みにじり、
子どもの世話を怠り、中絶をする。
奔放に生きてきたように描かれつつも、そのことで自分を責めている。
でも、よく考えるとこれだけ罪を背負い、他人からそしられ、罪悪感を背負うのは女性だからだという見方を最後に提示される。
その隣にいた様々な男たちは同じようなことをしているが、
責められるのはその女性ばかりなのだった。
ということを気づかされる。

最後のシーンについて

さて、アウトラインは説明したけれど、
この映画を観て、一番気になったのはラストシーンだ。

ラストシーンは女性の一生を夜を徹して聞き役にまわっていた
聡明で性に興味がないといっているステラン・スカルスガルド演じる男性が
女を寝かしつけた後、下を脱いで夜這いにくる。
「これまでいろんな男とヤッてきたんだからいいだろ」と言いながら
男は女に撃たれて映画は幕を閉じる。

まあ、なんとなく女性の問題を解きほぐしていった作品で
イイ感じで終わるかなぁというところで冷や水をぶっかけてくるのは
トリアー監督らしいといえばらしい。

だけど、このラストについては少し考えたい。
本当に必要だったのかと。

いや、理屈ではわかるんですよね。
最後のシーンが表す意味が非常に多いことが。

1個は男の加害性ですよね。
男は「どしたん、話聞くよ」と言って、
親身になって話を聞いたフリして、
結局、性を振りかざしてくる。
相手の状況を顧みず、傷心からの性行為という謎の方程式でもって
関係を迫る。
これだけ、ゆっくりと長い時間をかけて信頼を勝ち取り、
それを一気に崩すことでこの加害性がより浮き彫りになる
っていうのはわかります。

もう1個は女性がニンフォマニアックから立ち直ったことが描ける
これまで性行為ばかりに耽溺してきた女が、
このたった1回の性行為に強い嫌悪感を催し、それを拒否する。
これまでの状況を打破したのか
それまでこれほどの嫌悪感を味わってこなかったことが今の状況につながっていたのか
そのあたりはわかりませんが、目の覚めるような経験をして、次に進む。

とても重要なシーンです。

まあ、私は友達が急に男になる嫌悪感を痛々しく表現しているなとも感じました。
この男性は主人公に唯一出来た友人とまで言われます。
男性諸氏は女性から「友達にしか見えない」と言われたことがあるんじゃないですか。
なんなら、恋愛アドバイスで「男をたまに見せていかないとダメだよ」という文句もよく聞く気がします。
それは、急に男になるとキモいということがあるんですね。
この映画のこのシーンは急に男になったキモイやつを痛々しいほどに感じます。
男性はこれを客観的に見ることがないので、それを眺めるのはとても嫌かもしれませんがよいシーンだと思います。

とまあ、とても重要だと思う反面、
ほんとのあのラストは必要だったのかとも思います。
なぜかというと、これまでゆっくりと時間をかけて描いてきた内容を
あまりにも最後に簡単にちゃぶ台をひっくり返すからです。
聞き手の聡明そうな男性に加害をさせる。
この急転換がとても暴力的に感じるのです。
いや、確かに映画的に暴力的な表現が男性の豹変を表現していると言われればその通りだと思います。
映画の性急さと豹変のオーバーラップが美しいとも思います。
それでも、なんだか映画的なサービスにも見える気がするんです。
このシーンをみて、「ふー、こうじゃなくっちゃ!」みたいに思い得るとも思うんです。

やりたいこともわかるし、
映画もめちゃくちゃ面白い。
でも、なんだかひっかかっちゃう部分もあるなぁと感じたり。

いろいろ考えましたが、
長い時間観続ける価値がある面白い作品であることは確かです。
観てよかったなと思います。
ニンフォマニアックもまだギリギリやりますし、他の作品は全然やります。
ぜひ劇場で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?