【映画感想文】『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』 ちゃぶ台返しの卑怯者
なんだかあまり評価されていない映画『ジョーカー』シリーズの2作目。
微妙に長いし、二の足を踏んでいたらこんなに観るのが遅くなってしまった。
酷評をさらってみていると、前作とトーンが違うことや思ったものとは違うという内容での批評が目に付く。
自分の目で判断しようと思って観てみると、作品的には結構大胆なかじ取りをしていて悪くはない。
だが、そんなものはどうでもよいくらい、卑怯で人を馬鹿にした作品だとぼくは感じた。
映画のプロフィール
監督:トッド・フィリップス
出演:ホアキン・フェニックス、レディー・ガガ、ほか
138分 英語
☆2.5
あらすじ
社会を震撼させた事件を起こした「ジョーカー」ことアーサー
事件後、囚われの身となり、精神病棟兼監獄で裁判を待つ。
ある日、監獄でリーとの運命的な出会いを果たす。
ジョーカーを崇拝する集団の昂ぶりやジョーカーとしてのアーサーに強く惹かれるリーの期待を背負い、裁判が進んでいく……。
感想(ネタバレあり)
ぼくはこの映画に強い忌避感を感じとります。
こんなもんちゃぶ台返しの卑怯者でしょう。
前作は家庭では虐待を受け、その場しのぎの仕事だけをする社会的弱者に堕してしまったアーサーを救おうともしない社会に対する一撃的に観ました。
自己責任論を加速させ続け、アーサーのような弱者を無視するどころか
笑いものにして、みんなで楽しむような日常が続いている。
そんなことを社会がやり続けようものなら、社会は無敵の人を産み、
手痛いしっぺ返しを食らう。
前作を犯罪者予備軍に錦の御旗を掲げてしまったとみる人もいたけれども、
その実、システムを強者の有利に作り替え続けるその姿勢に、いつか大きな代償が訪れるという映画だったと感じたわけですよ。
まあ、間違ったメッセージを受け取ってしまい、扇動されてしまった人がいたという点では確かに表現的にミスマッチがあった可能性はあろう。
今作はこういったメッセージをちゃぶ台返しでひっくり返す。
どころか、そういった弱者に寄り添わず、ぶん殴る作品じゃないですか。
アーサーは監獄と裁判所を行き来するなかで、リーに励まされて、ジョーカーとして裁判を進めていく。
その姿に大衆は気炎を上げていく。リーもアーサーの姿にご満悦。
だが、最後の弁論の前に調子に乗るなと看守にボコられて、心が折れて、裁判で弱音を吐いて負けていく。
リーもそれをみて、アーサーを見捨てる。
大衆は熱狂したまま。といった形。
まあ、怒りに身を任せ、身の丈に合わないことすることや周囲の過度の期待を問題視するというのもわかる。
そういった、熱狂型の集団は確かに危険だ。
だが、こんなのあんまりではないか。
前作で本当に問題が起きてしまったから、そんなことしたらそっちに問題が起こるからやめようねと急にこちらに諭してくる映画になってしまった。
弱者に寄り添い、弱者が牙をむくことがあることをゲームメイカーに伝えた映画だったのが、
そんなことして社会に迷惑をかけちゃあ、あなたも自分との違いに苦しみますよ。やめようね
と言ってくるひ弱な映画になってしまった。
ひ弱くらいならいい。
この映画に問題があるのは、権力者側の問題を一切問わずに、
立ち上がるしかなく、怒り狂った弱者の牙を丁寧に一本ずつ抜いていく。
あなたが立ち上がったのは無駄というか迷惑でしかなかったね。
身の丈に合わないことしたね。
怖い看守という社会の番犬の攻撃に屈して、失敗を考えて、裁判で折れる。
こんなの得するのは権力者だけじゃないの?
問題が起きたから、そういうことしたら迷惑ですよ~って伝えるためだけに2作目作ったんですか?
最後はリーにも見捨てられて、警察に捕まっておしまい。
あなたは人を期待させることも満足させることはできません。
それが、社会に激震を与えるほどの行動をしたあとでもです。
あなたの功績をよくわかっていない連中に崇められ、よくわからない人に殺されてあなたは終わります。
なんですか、このちゃぶ台返しの展開は。
心底腹が立ちました。
作る意味はあるかもしれません。
でも、その意味は誰のための意味なんだっつう話ですよ。
作品としては楽しめるし、ミュージカルに転換したのはいい。
だが、思想が気に食わん。