誰しも他人を”動物”と捉えている

コロナが5類に引き下げられ、かつて毎週のように行われていた
友人との語らいの場がようやく戻ってきています。
飲み会を企画し、久しぶりの人と話す。
あーこういう機会が昔は山ほどあったなぁと感動する。
こうやって他人とかかわるのが遠い昔だっただけに
どぎまぎとしてしまう。

こうやって親しい他人と再び相まみえるのは久々。
人間を人間として対峙するのが懐かしい。
人間を人間として対峙すると言ったけれど、
我々人間は動物と接するときに、
ちょっと汚いかもとか病気を持ってたらどうしよう
といった具合に触れあいに少し躊躇する場面がある
魚類を触れないとかそういった感覚から来ているのだろう。
動物とは一定の距離を感じる。

その逆に、人間は同種の生き物なので”動物”と捉えていないと
思い込んでいる節もある。
触れ合いに躊躇することはないと思い込んでいる。
だけど、ふとした瞬間に自分が他人を”動物”的に捉えていると感じる瞬間がある。
風呂に髪の毛を入れないでほしいとかはそういったことの延長なのではないだろうか。
スキンシップを取られるときなどにも感じるだろう。
人は人間をも動物的に捉える瞬間がある。

この問題は人間と動物を過度に切り離し過ぎていることからスタートしているのではないか。
人間は動物の一種だが、動物は別のカテゴリーの生き物と思っている。
いまだに動物園は動物の権利問題の枠組みに入れられることがあるけれども
産業革命期に登場した見世物としての動物園は
人間と動物の距離を決定的に大きくしたのではないか。
人間の動物としての自覚を奪ってしまったのではないだろうか。

自分が動物であると感じることは全然ない。
他人を動物とも全然思っていない。
だけど、ふとした瞬間に人が人を動物だと思っているんだなぁと感じる。
面白いものを見つけた気分になる。

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