じもと
僕は地元が大嫌いだ。
常々「お金持ちになったら、地元にダムを建てたい」と冗談混じりに語っている。つまりこの文言に、少なくとも半分は本心を含んでいる。
そう思うのには色んな経緯がある。思い出すのも不快で腹が立つのであまり詳しくは書かないが、特に小学校・中学校の同級生に対する嫌な思い出が大きな原因である。
家族も嫌いだ。食わせてもらって何だが、大学を出たらすぐに上京するのだろう。それまでに、1人で生きる術を予習しておかねばならない。矛盾するが、それもまた面倒くさい。
皮肉なことに、僕が語るエピソードは小中学生の頃のものが多い。不道徳で非倫理的な話の宝庫である。大抵のエピソードは、数名の友人にしか語ったことはない。これから語る機会があるのかどうかもわからない。
今思うと、これらのエピソードが、今の僕の芸風・台本の傾向・面白いと思うもののルーツであるように思う。彼らが今の僕を作ったと思うと、感謝の思いと、なんてことをしてくれたんだという侮蔑の感情の2対がせり上がってくる。
そんな僕は、最近教育実習としてその小中学校を訪れた。
実習前は、不愉快で仕方がなかった。当時の同級生と会う可能性があることが一番嫌だった。その次に、当時の僕を知る教員が残っているかも知れないことが嫌だった。
教育実習はせねばならない。行かなければ必修の単位を貰えず、卒業できないからだ。それでも嫌なら学部を転部するしかないが、それはそれで面倒くさい。はっきり言って、教育実習を合計1ヶ月半もする教育課程は、教員を目指す人にとっては最高でうってつけの教育課程であり、目指さない人にとっては迷惑極まりないものだと思う。僕が前者と後者どちらであるのかは想像に任せる。
さて、そんな教育実習も全て終わり、あとは数個の講義と卒論に尽力するだけになった。教育実習を経て、改めて僕はこの地域が嫌いであることを痛感させられた。
実習が嫌だったわけではない。むしろバイトに行くよりかはずっと楽しくて、充実していた。現職の先生方は僕なんかにも優しくしてくれる。児童生徒も僕のことを慕ってくれる。それでもなお、昔の輪郭を保ったままの校舎が、今の僕を嘲笑うように夜な夜な僕に押し迫ってきた。
指導案を作り終わり、電気を消して廊下を出ると、吐き気をするような悪寒と黒い蝶の群れを天井に見る。これは幽霊がでるとかそういうのとは違う恐怖であり、親が「本当に怖いのは人間だ」としきりに言っていた台詞に近い。
小学校は、いやにちっぽけに見えた。廊下の隅が黒く汚れている。階段が廊下の両端にある。何度も悪夢に見た階段の構造である。ただ、夢とは違って終わりがないことはない。
他にも書きたいことは沢山あるが、大学のルールで実習先の実情を書いてはいけないことになっている。ただ、実習の時に支えてくれた教員方と児童生徒、そして一緒に支え合った実習生には感謝してもしきれない、ということだけ書いておく。
僕は性格が極めて悪い。それ故に、僕以外の性格の悪い人間は大嫌いである。そして、性格の悪さは本人が隠してても視える。それと同時に、僕のことも、同じくらい性格の悪い人間にはバレているんだろうとも思う。
僕を"こう"であるようにせしめたのは、言わずもがな同級生の彼らである。
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