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34.進学とインターアクト

高校2年生の終わりころから大学受験を考えるようになったのだが、中学生の時もそうだったように、私は皆と同じことをするのが嫌いである。だから当初はアメリカの大学に進学しようと思っていた。出来るものならMIT(マサチューセッツ工科大学)に行きたい。当時は全く世間知らずだった。怖いものなしである。考えるだけならタダだ。そこでアメリカの大学入試に関する本を買ったり、TOEFL(Test of English as a Foreign Language = 「外国語としての英語のテスト」、その名称の通り非英語圏の出身者のみを対象としており、英語圏の高等教育機関による入学希望者の外国語としての英語力判定のために用いられる)やSAT(アメリカ合衆国内にある大学が世界中どこからの受験生にも大学に進学する際に受験させる共通テスト)などの参考書やアメリカの大学の分野別ランキングの本を実家に帰省した時に大阪の大型書店で買ってきて勉強せずに、頭の中だけで妄想していた。また、3年生になって寮の寮母さんとの面接の際にも、アメリカの大学に進学したいとは言っていたのだが、後にこの妄想はアメリカの大学の学費の高さによって本物の妄想だけに終わってしまう。
アメリカの大学入試試験の成績の判定にはSATテストや高校の成績を用いるが、課外活動や人格の評価には、小論文や推薦状が参考となり、全米優等生協会(National Honor Society)のメンバーは良い評価を受ける。成績優秀者協会と訳されることがあるがこれは間違いで、正確には学業に優れ、課外活動に積極的に参加し、スポーツや生徒会でリーダーシップを発揮し、ボランティアなど社会情勢に敏感で熱心な奉仕精神を持ち、品性ある学生だと評価された者が加入を許される全米規模の団体である。つまり、課外活動も大きく評価されるのだ。
そのため、2年生の時は担任の世界史の笹原先生に頼んでクラスの会計係にして推薦してもらったり、インターアクトクラブにも参加した。インターアクトクラブは、ロータリークラブにより提唱された、14歳から18歳までの青少年または高校生のための社会奉仕クラブである。日本においては、高等学校の福祉・ボランティア系のクラブ活動(部活動)・サークルとしておかれることが一般的であるが、高校に属さない「地域クラブ」として活動するクラブもある、ロータリー直営の青少年奉仕活動プログラムである。
それまで入っていたスキー部は、シーズンスポーツなので3年生になると実質的な活動は終わっていた。そこで、インターアクトクラブである。しかし、社会奉仕活動と言っても、実際には何もしなかった。ただ、函館山の麓の宿泊施設での合同合宿や、駒澤大学附属岩見沢高等学校での日帰り研修に参加しただけである。ちなみにインターアクトクラブの顧問は倫理社会と日本史を担当していたあの遊佐先生である。遊佐先生とは何かと縁がある。
合同合宿では、地元の学校である我が母校が最初に到着し、他の学校の到着を待った。各校が合流すると郊外でのジンギスカンパーティーやダンスパーティーがプログラムされていた。ジンギスカンパーティーは難なく終わったのだが、ダンスパーティーは、遊佐先生は当初、ソシアルダンスの講習をする予定であったのだが、皆恥ずかしがって誰も講師に従わなかった。ところが、他校の女の子が持ってきていた、当時はやっていたレベッカ(1985年発売の4枚目のシングル「フレンズ」が大ヒット、同年発売の4枚目のオリジナルアルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』が、当時のロックバンドのアルバムとしては異例のミリオンセラーとなる。)のテープをかけたところ、たちまちディスコパーティーになってしまった。その後、女子部屋に潜り込んでは深夜まで四方山話で盛り上がったり、翌日はラクロア校長のスピーチや地元のロータリアンの紹介でお開きになった。未だにあれはなぜ合宿しなければならなかったのかよく分からない。


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