19.アルコールから向精神薬へ
小杉記念病院からは受診拒否を受け、そこに代わる病院探しを行ったが、なかなか受け入れてくれる病院がなかった。私がアルコールの問題だけ持っていれば受け入れてくれたのだろうが、薬物の問題もある。両方の依存は対処しきれないのだろう。その中でも、少し相談に乗ってくれた病院のケースワーカーが、
「薬物の問題があるなら大阪府心の健康総合センターに相談したらいかがですか?」
と親切に言ってくれた。そして住所と電話番号を教えてもらい、急いでその病院へ向かった。病院探しをしていた時は両親の車に乗っていたので小回りがきいたのである。
今までのアルコールと薬物の問題を一通りそのセンターのケースワーカーに話すと、薬物依存症として診察してくれるらしい。しかもれっきとした大阪府立の精神科専門の病院である。そのセンターには今も通院している。私もそのセンターの主治医の助言によって家族から解放され、一人暮らしに戻ることができた。一人暮らしの復活は私の精神状態にとって非常な安寧をもたらしてくれた。昔から親とは話が合わない。
それだけでなく、自宅で好きなだけインターネットができる環境になったのも大いに寄与している。実家であれば時間を愚痴られ、チャットなどの非生産的なネットの使い方にも嫌味を言われたものである。父親は、
「インターネットをするなら就職活動に使え。」
が口癖だった。働いていない者は人間扱いしてくれない。母親も同調するだけだ。
「新聞配達や郵便配達の仕事くらいあるでしょ?」
実は大阪に帰ってきて一度だけ本気で職探しをしたことがあった。それは小杉記念病院の受診拒否を言い渡された直後のことである。このままではいけないと思って、町中に置いてある無料の就職・アルバイト情報誌を片端から調べて、何とかやっていけそうないくつかの会社の面接を受けてみた。しかし、いざ病気の話になるとどの会社も良い顔をしない。それもそのはずである。どこの会社もアルコール・薬物依存症者など採用したくはないのだろう。精神病者の就職の道は限りなく狭い。
しかし、その中でも1社だけ採用してくれる会社が見つかった。しかも正社員である。給料に関しては以前の設計時代にはるかに及ばないが、無いよりはましである。ダメもとでも一度採用してもらうことにした。職種は営業だ。
仕事内容は電話でアポイントを取った公立高校進学希望の家庭に訪問して高額な教材を売りつけるというものである。会社の棚にはどこから調べたのか全国の小学校5年生、6年生の児童を持つ家庭の住所と電話番号が記載された名簿が山のように積まれてある。営業マンたちの仕事はまずその名簿に載っている電話番号に電話し、訪問してもいいかアポイントを取ることである。その会社の教材の売りは主要5教科以外の4教科の対策もバッチリだということである。
英・国・数なら学習塾でも受講できる。だが、後の科目は自習か参考書程度の副教材で済ませなければならない。特に後の4教科は参考書すらない状況なので教科書だけの学習になる。この会社の教材が公立高校進学希望の家庭用に作られているのは高校進学時の内申書の存在である。3教科、5教科なら受験で実力がわかるが、音楽・体育・技術家庭科・美術、実技などは内申書でしか判断できないからだ。
人と話すのが苦手な人間がテレアポをするとどうなるか、その会社で嫌というほど味わった。確実に病状は悪化し、摂取するアルコールと睡眠薬の量が増える。出社時間は昼の12時からで、残業も無いので深酒しても問題はなかったが、それでも耐えられない。
その上、その会社の体質が思いっきり体育会系だったのがきつかった。返事は全て「押忍」である。社長と部長は堅気の家業の人間には到底見えなかった。何とか10日間だけ我慢して務めたが無理だった。同時に入った社員や私より後に入社した後輩たちもいつの間にか辞めていた。今時の若者に体育会系の「押忍」は通用しない。
謎だったのは、フルセット100万円強の教材が毎日売れるわけがないにも拘らず、その割には社員も十数名いて、テレアポだけのアルバイトのおばちゃん連中も大量動員していたことである。売上高と固定経費が合わないのだ。どこから給料が出ているのか???
そういうわけで就職は一時中断し、アルコール・薬物依存症の治療に専念することにした。解決すべきなのはまず経済的な問題よりも自分の心身の問題である。一般的に薬物依存と言うとヘロインやモルヒネなどの麻薬や覚せい剤、大麻など、違法薬物のことだと認識している人は大半であろう。しかし、依存性薬物はそれだけではない。アルコールがドラッグであることは何度も繰り返した。
睡眠薬、抗不安薬は処方薬だが、医原病として薬物依存症を引き起こすケースがあり、医療関係者自身が薬物依存になるケースも問題化している。乱用目的の非合法な流通もある。実際、私自身も依存していたし、その非合法な流通にも関わってきた。
一部の咳止め薬が依存性薬物だということを知っている人は少ないだろう。1980年代半ば、咳止め薬のひとつ「ブロン」の乱用が問題化した。「ブロン」は合法的な市販薬である。主成分は、塩酸メチルエフェドリン(エフェドリンは覚醒剤の原料)と、リン酸ジドコデイン(コデインはモルヒネ型の薬物)だ。現在、この製品からはエフェドリン成分が除かれており、2000年には、ブロン液の濃度が二分の一に薄められる処置がとられた。
タバコは今でも吸っているし、辞めるつもりもない。しかし、以前よりは吸う本数は減っているだろう。それは、タバコに含まれるニコチンが依存性薬物だからではなく、単に経済的な問題である。