見出し画像

21.都市論

グッドデザイン賞インテリア、吉岡賞(現新建築賞)・住宅建築賞などの受賞歴をもつなど意匠設計者として評価されると同時に、サステナビリティ (持続可能性) を考慮した建築作品群により、工業的側面からも評価を得ている難波和彦先生の都市論の授業を2年生の時に受講したことがきっかけで、その後の私の人生の生き方を大きく変えることになった。建築家としての難波和彦先生の代表作としては、「箱の家」シリーズがあり、「箱の家」は、標準化・多様化・サステナビリティをコンセプトに掲げた都市型住宅のプロトタイプとしてデザイン・開発され、多様な敷地・意匠・構造のもとに百数十棟が建設されている。
都市論とは、「Urban semiotics」の日本語訳で、直訳すれば都市記号論となり、都市環境の分析評価や都市設計手法の研究と実践などを扱う都市工学とは異なる。記号論なので、授業を始めるにあたって、1980年に発表された画期的歴史小説「薔薇の名前」の著者であるウンベルト・エーコの名前を出したのは象徴的である。
この授業にハマるきっかけになったのは、1989年に公開された映画「ブラック・レイン」に言及されたことであり、授業の中でもこの映画を観たように記憶する。難波先生は「ブレードランナー」が好きで、「ブラック・レイン」がリドリー・スコットの最新作で、松田勇作の遺作となったことを熱く語っておられた。「ブラック・レイン」はまた、私にとっても思い出深い映画で、大阪が舞台で、ちょうど撮影されていたころに大阪でエキストラが募集されていると予備校でもっぱらの噂になっていた。
都市論の授業で思い出に残っているのは、「そしてチュちゃんは村を出た」というNHKドキュメントのやらせ事件と、1990年10月2日からおよそ5日間にわたって発生した第22次西成暴動である。
「そしてチュちゃんは村を出た」は、タイ東北部の農村の子供たちの出稼ぎの実態をルポし、NHKスペシャルで放映されたドキュメント番組でやらせがあったという話である。番組ではブローカーに連れられてバンコクへ向かい、早くても1年は村に帰れないと紹介された少女が、実は出稼ぎにも行っておらず、その日のうちに実家に帰っていたことが朝日新聞ですっぱ抜かれたのである。
同様の有名な事件として、1992年にNHKスペシャルにて放送されたドキュメンタリー番組「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」のやらせ問題がある。朝日新聞のスクープによって大きな社会問題となったこの事件ではヒマラヤの気候の厳しさを過剰に表現した点、スタッフに高山病にかかった演技をさせた点、少年僧の馬が死んだことにした点、流砂や落石を人為的におこした点が主に問題とされた。皮肉にも同番組は高い視聴率をマークし、評判も良かった。ニュース・報道・ドキュメンタリー番組において高い評判を得ていたNHKの信用を大きく傷つけた不祥事となった。1993年2月3日付朝日新聞朝刊は、「主要部分 やらせ・虚偽」の見出しをつけ一面トップで、金銭を渡して住民に雨乞いをさせたり、取材スタッフに高山病のまねをさせるなど、番組制作にあたって数々のやらせ行為があったことをスクープした。これに対してNHKは、2月5日夜「内容の一部に事実と異なる点やゆきすぎた表現があった」として放送法にもとづく訂正放送を2分30秒おこない謝罪した。さらに、「ムスタン取材」緊急調査委員会(委員長は放送総局長の曾我健)を設置、2月17日調査の結果を報告した。調査委員会は、事実と異なる点3点や行き過ぎた表現3点などを挙げ、番組の基本テーマの描き方に誤りはなかったものの、番組を面白くしたいと思うあまり、過剰な演出をし、また事実確認を怠り誇張した表現をしたことが批判を招いた原因である、と分析した。スクープ直後の新聞各紙の報道で繰り返し「やらせ」の語が登場するのと対照的に、NHKの20ページ約19700字に及ぶ報告書に「やらせ」の文字は皆無であった。
NHKの不祥事はこれだけではない。また、やらせはNHKだけの問題でもない。民放でも数多くのやらせが報告されている。やらせの背景としては、過度の視聴率至上主義があるのであろう。公共放送のNHKも視聴率とは無縁ではない。
一方の、第22次西成暴動であるが、暴動の発端は西成警察署刑事課の刑事が暴力団から賄賂を受けていたことが発覚し逮捕されたという報道による。事件そのものは労働者と直接の関連はないが、労働者が西成署員に対して普段から快く思っていなかった事や自分達の日当を暴力団にピンハネされ、その暴力団から賄賂を受け取っていたことから、日頃の不満や怒りが爆発したもの。事件報道を受けて西成警察署前に集まり始め謝罪と説明を要求ののち、警察とにらみ合いの末に暴動に発展した。これを契機として、あいりん地区の各地に暴動が飛び火する事態となる。
さらには報道で暴動騒ぎを知った区内外の若者達(主として暴走族)も便乗して参加、火炎瓶の使用や投石、店舗からの略奪などを行って暴動をエスカレートさせたが、これはそれまでの西成暴動には見られない出来事であった。西成署は機動隊を配備(のち、各署にも応援を要請)し、放水車を使って暴動に対処。逮捕者は数十名に上った。暴動自体は発生から6日後に自然に鎮静化したものの、阪堺線南霞町(現・新今宮駅前)停留場が放火されて全焼(後に仮設停留場で営業を再開するが、元の位置には戻ることはなかった)した他、近隣店舗が破壊されるなど傷跡は深く残った。
大阪生まれ大阪育ちの私は、西成の釜ヶ崎という町は知っていたし、大学に入る前に松下竜一の「狼煙を見よ」という東アジア反日武装戦線の大道寺将司へのインタビューをもとにしたノンフィクションも読んでおり、大道寺将司も、釜ヶ崎で1年間暮らしたことがあり、高校卒業後、大阪に出て大学受験に失敗すると、翌年に上京するまで、この労働者の街に居ついたことも知っていた。しかし、暴動のことは全く知らなかったので、「これが日本か???」と驚いたものである。

学生のころは、同じ大阪と言っても釜ヶ崎とは無縁だと思っていたが、病気になって会社を辞め、大阪に帰ってきてからは、なぜか、磁石にでも引き寄せられたかのように釜ヶ崎をしょっちゅう徘徊することになる。ただ、今の釜ヶ崎は、30年前に暴動を起こした労働者のエネルギーもなく、一時、インバウンドが盛り上がった時に欧米人バックパッカーが釜ヶ崎の激安ホテルに入り浸っている雰囲気もなく、興味本位で集まってくるユーチューバーのたまり場になっている気がする。確かに、「せんべろ」と言われる激安の飲食店や立ち飲み屋がいっぱいあって、その独特の雰囲気が日本の他の町にはないので、注目されるのは分るのだが、最近も「新今宮ワンダーランド」が炎上したように、撮り方によったら「ホームレスを見下している」、「貧困をエンタメにしている」、「“エモい”読み物にしている」などとバッシングを浴びることになる。また、悪質な貧困ビジネスもはびこっていて、西成マザーテレサ事件とも呼ばれる大阪西成女医不審死事件も未解決である。
ところで、都市論のレポートでは、ハウスミュージックの多様性から、主体は絶えず揺れ動く(固定できない)ものとして、ドゥルーズ=ガタリの「アンチ・オイディプス」を引用して「欲望する諸機械」と論じた。それは、主体は、欲望する機械の傍の残りものとして、すなわち、その機械の付属物、あるいはその機械の隣接部品として生みだされ、離接点が形成する円環のあらゆる状態を通過して、ひとつの円環から次の円環へと移ってゆく。主体自身は中心にいるのではない。中心は機械によって占められている。主体は周縁に存在し、固定した一定の自己同一性〔身元〕をもたない。それは、常に中心からずらされ、自分が通過する諸状態から引き出されてくるものでしかない。つまり、主体は絶えず揺れ動く。一定の自己同一性をもたず、欲望機械のもとで消費を行うたびにその姿を明らかにし、それと同時に、つねに生まれ変わって現れる。主体は欲望機械の周りに存在するものであり、それが通過する状態から引き出されるものでしかない。主体は中心に存在しない。中心に存在するのは欲望機械だ。普段私たちは意識を主体と見なしているが、それは誤っている。なぜなら無意識から欲望が生まれ、主体はこの欲望の流れの残りカスでしかないからだ。私はここで言われる主体をハウスミュージックと言い換えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?