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抵抗

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1950年からの中国の侵略に対するチベット人の抵抗の歴史です
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21.抵抗は続く

1950年代に始まるチベット人の抵抗運動は場所や形態を変えながらも現在に至るまで続いているが…

PEMA
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20.そしてチベット青年会議へ

ゲリラ部隊の瓦解とSFFの無力化が相乗効果となって、チベット難民青年たちは、チベットの解放…

PEMA
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19.現在の状態

第三次印パ戦争後の1973年、SFFの元監察総監は退職し、移動を命じられた。また、1975年にはSFF…

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18.1971年の第三次印パ戦争

その存在は秘匿されていたものの、インドのマスコミに「ムクティ・バヒニ(自由の戦士)とあだ…

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17.中国の作戦

1951年、中国とソ連は協定を結び、中国側がソ連に対してウラン鉱を提供し、その見返りに核技術…

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16.エスタブリッシュメント22

1962年の末、中印国境紛争が終結に近づくと、インド情報局(IB)による忙しい工作議会の後、ネ…

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15.ムスタン、ゲリラ基地

ゲリラ戦活動を継続し、チベットの自由と独立を求め、チベットの内外で生きているチベット人の闘争の精神を維持するために、インド到着後すぐにチュシ・ガンドゥクの組織の指導者たちはゴンボ・タシ司令官とゲリラ基地の設置とその可能性のある場所に関する協議を開催した。ゲリラ戦基地でチュシ・ガンドゥクを助けることを喜んだ古い友人CIAに加え、台湾の国民党政府からの新しい申し出もあった。当時、中華民国を代表する元軍のパイロットのツェパック・ ドルジェ氏は、彼の政府に代わってチュシ・ガンドゥクに

14.亡命、民主主義

1959年4月29日、インド北部の丘陵地ムスーリーで、以前ルンツェ・ゾンにおいて樹立された臨時…

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13.ショタ・ロスムと他の場所への空中投下

中国は最終的に民衆を鎮圧し、ゴンポ・タシ司令官の軍をチベットからインドへ駆逐することに成…

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12. 法王の脱出

3月12日、チベット政府の数名の役人が民衆の中から選ばれた代表とともに緊急会議を開き、17…

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11. 蜂起とラサの危機

首都ではすでに中国がダライ·ラマ法王を誘拐し、中国に彼を連れていくと言う中国の計画の噂が…

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10. CIAとの接触と空中投下

CIAは反共産政策の一環として、チベット人にゲリラの訓練を受けさせることに合意した。これを…

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9. 計画と運動

チュシ・ガンドゥクを形成したすぐ後に、様々な戦線で中国に対抗するための詳細な計画が練られ…

PEMA
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8. 結成

その法要の間、カルマパ16世の義勇軍の指導者たちは、将来の計画や戦略をレイアウトする秘密会議で忙しい時を過ごしていた。1958年初め、ラサにあるゴンポ・タシの家で会合が開かれ、一部を除き、ほとんどの族長が、カム地方にある金沙江(長江)、瀾滄江(メコン川)、怒江(サルウィン川)などの大河と横断山脈の褶曲山脈などの山脈にちなんで名づけられた「チュシ・ガンドゥク(4つの川と6つの山脈)」という運動を組織することに合意した。そして、各グループが活動する地域、指揮官の任命、武器、馬、ラ