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19.現在の状態

第三次印パ戦争後の1973年、SFFの元監察総監は退職し、移動を命じられた。また、1975年にはSFFにかかわる新規則が発布された。この新規則は明示的な指示の下にSFFがインド-中国国境から南に10km離れた地域内で展開することを禁止した。この新規則は、SFFがインド外務省(MEA)に多くの困惑を引き起こした認可されていない国境を越えた襲撃や諜報活動を行ういくつかの事件の後に制定された。
またSFFは、インドの国家非常事態宣言を終わらせた1977年の選挙中に、インディラ・ガンディーの「私設部隊」と言う悪名を馳せさせられた。後に暴露されたことであるが、国民会議派の党首は、野党の暴動が拡大した時、それをSFFが鎮圧する目的を持っていた。インディラ・ガンディーはまた、サルサワのSFFのパラシュート降下部隊に、軍用機AN12を常に待機させていた。彼女の生命が危険にさらされるような場合は、指令によってこの軍用機が彼女をモーリシャスに運ぶ手はずになっていた。
ジャナタ党の勝利後は、SFFの先鋭部隊はニューデリーのパーラム空港でテロリズム対策に配置された。そしてSFFの残りの部隊は、究極の目的を達成することが出来ぬまま、山奥の基地に留め置かれたのである。
SFFは、1984年10月31日に2人のシク教徒の警護警官により銃撃を受けてインディラ·ガンディー首相が暗殺された後、VIP警護のために一時的に使用されていた。現在、SFFの大隊は、カラコルム山脈東部にあるシアチェン氷河に駐留している。1985年から1986年にかけて、何人かのSFF兵士は、世界最高所の戦場であるシアチェン氷河での彼らの行動によって勇気のメダルを与えられた。
現在のSFFの兵力は約10,000人である。もはやすべてのチベットの存在は、それが1960年代初めに比較するほど秘密ではない。任意の時点で、SFFには約700人のゴルカ兵もいる。ほとんどの訓練はまだチャクラトで行われ、持続的に9ヶ月間実施し、インド軍の訓練に似ており、追加としてゲリラ戦術、山、ジャングル戦のコースがある。すべての隊員には、毎年3回のジャンプ補習があり、5回のジャンプを行った後、パラシュート降下の資格が与えられている。

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