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採点する人

わたしは「役に立って喜ばれたい」という呪いにかかった子どもだったんで、観察して不足を見つけ出して補い「気がつかなかった、流石だね」というポイントを集めるのが喜びやった。だから、足りないものを探すようになる。持って生まれた能力が環境によって人にはそれぞれ違う特徴が備わる。とても幼い頃から始まるので、自分がどんな特徴を持つかは自分では決められない。

わたしはせっせと観察して役に立った。本当はどうだったかわからないけど、そのつもりでいた子どもの頃を思い出す。望ましくない状態があり、優れたもの、正しい姿、より良い在り方があるのだと思っていた。小学生の頃から愛読書は「暮らしの手帖」と「マーガレット」だった。世の中には問題があったし、美意識が足りないと思ってた。

そして、わたしは大人になって社会に出た。
たぶん、わたしは採点する人になってた。

全てを観察し、分析して、足りないところを補うプランを用意する。良さそうやん?喜ばれそうやん?役に立ちそうやん?実際よろこばれるわけ。さらにはりきって取り組むわけよ。でも、取り組むものが大きくなってきて、順番苦しくなってくるんよな。わたし自身が足りないことだらけで非常にがんばって行き届く人になる努力をしていたから。役立ちたかったのだけど「や、いくらなんでもわたしに頼りすぎやろ?」と、思うことが増えてきた。

限界を感じて、抱えていたことを終わらせた。ギリギリまで終わらせた方が損害が少ないことに気がつかないでいたので、取り乱した終わらせ方になった。これまでの人生を終わらせるみたいに、大部分を。なんとも報われなくて、とても落ち込んだ。

ひと昔近く経って、落ちこみの沼の濁りが少し晴れて、わたしは思い出しながら分析していった。新たに人生を始めたのはいいけどね、いちいち困難。「前に進むならば飛び降りるのじゃぁ」と現れる清水めっちゃ高いし、トラウマか知らんが、お化け屋敷みたいに苦手なお化けが出てくる。自分が回復するのを一番邪魔したのは「採点する自分」やった。

分析したからわかってるけど、わたしも下手だったんだけど、「しこたまがんばってきて、まだ反省が要るなんて人生ってそんな厳しいわけ?生きる気力も湧かんわ。一体どういうことよ、神様出てこい!」ってくらいやさぐれたわけよ。頑張れアレルギーよ。わたし、この性格自分で作ってないもん。カルマとか知らんし、自己肯定とか持つのが苦しいわっ。自分で自分が心配なのに、まだ何かが足りないって叱られるわけ?

「何人も、神であろうが宇宙の何かであろうが、わたしを採点するでない」っという猛烈な怒りが湧いてきたわけです。かなり強烈に。いちいち、ちょいちょい、何度も。

とにかく、これ以上、わたしに何も要求しない方法がないとおかしいと思ったんよ。こんなに嫌だってことは、他があるから探し出せるってことだって気がしたんよな。だから、ほんとはもう足りてて採点はいらなくて、辛抱や努力や我慢はしなくてもOKだと仮定してみた。じゃないと、もう無人島へ行きたい気分やったった。ダメだからやらなかった「あの人のせい」もやってみた。やったら0点になること、何だったら減点になることをいっぱいやってみた。

ちょうどその頃、絵を描くわたしは自分の描いた絵が勝手な動きをするのを興味深く観てた。わたしの意思に関係のない喜びを見つけられて予想もつかないポジションにつくわけよ。これって、何のチカラやろうって考えると、受け止める人の感受性の担当やんね。アーティストと、その作品に触れる人が、その時その人との間でしか生まれないものを感じ取っているわけやん。人気とかでくくっちゃいかん、その関係でだけ成り立つ、共同で制作された唯一無二な作品なわけよ。そういうのがうじゃうじゃうじゃ〜っとある作品が話題に上るだけで、作品だけでそう在るんじゃないわけよ。で、あ、そっかぁ〜って思った。

そもそも、

生き物は楽しむことの天才で、対象をどうにでも見立てる。

この想像力を使って自分の世界を創造しているのに、材料の採点はできないんやと思う。けれど、自分じゃなっくて対するモノやコトやヒトにチカラがあるから自分が反応するんだと思っているから、採点を当てにしてより良いものを見つけようとする。でも、そうじゃなかった。「何が良いのかさっぱりわからない」ものが在ると思う。「ここが好き」「ここにしびれる」「優れている」「素晴らしい」これはその人の好みや。たくさんの人が喜んでも、少ない人しか喜ばなくても「あなたの喜ぶもの」なだけで、個人それぞれの好みでどれも同じ誰かの好みのかわいいさん。

偉大なものや、崇高でなくても、善でも悪でもなくていい。とても素敵な感覚「好み」でいい、『好み』はもっと大切にされるべき感覚と思う。

そして、お膳立てしてスマートに行くことと、トラブルがあっててんやわんやしたことに差が出るのは、見つめる心模様が関係していて信頼して自由にさせてあげれば失敗しても成功しても、のびのびと反応して考えてその人にしかみつけられない嬉しいものを手に入れてくる。実験して検証した。

だから自分を信じる。今まで知ってた基準や設定と違う世界が本当にあるんだとわかった。採点する必要も効果もない。必要ないと知るのには必要なのかな。

なんと、結局はどうでもいいんですよ。採点も採点しないことも。全てにおいてとらわれる必要がないみたい。

採点が嫌いなのは自分こそ採点してたからや。採点を嫌いながら、採点してもらう列に並んで評価に振り回されるのはお終い。「もういらんよぉ〜」って教えたかったんだと思う。自分を解除すれば他人へも解除される。他人にだけ解除はできないから、自分に自分で。

積み上げないで、横に並べて行くような感覚。何につけても。

描く行為が好物、つくることが快楽。境界線なくイラストを提供したくなる病。難しいお話をやさしく描くのも得意。生きることすべてを描きデザインする。旅をして出会って描きたいつくりたい。だからサポートは大歓迎です。 ( ・◇・)ノ