逃げようが進もうが、どこかには着くという話
人間というものは、どれだけ一生懸命生きてても何かしら忘れてしまう。『あー、これは覚えておきたい!』『 この考え方すごい!』 数日後には朧気。
日々の貴重な経験を、「忘れたことすら」思い出せないのは勿体ないな。自分による自分のためのメモである。
初めて視聴した回は千日回峰行だった。平日の遅い時間にも関わらず深酒をしていた僕は、グラスを持つ手がテーブルから離れていないことに気づくまでにしばらく時間を要した。
“クレイジージャーニー”
世にも奇妙な生業を取り上げ続け、たちまち話題となった深夜バラエティ。ここをきっかけに活動を広げた人や、知名度を上げたカルチャーは少なくない。それほどまでに様々なメディアから注目されていた番組だった(現在は終了している)。
その中で準レギュラーと言うべき活躍を見せていたフォトグラファー、ヨシダナギ。
世界の辺鄙な土地に居を構える少数民族を取材し、そのきらびやかな姿を写真に収めて世に送り出している女性である。
テレビを通しても非常に魅力的な女性で、正直僕は今まで見た中で最も美しい人だと思っている。今日、それが確信に変わった。
やりたくないことをやってこなかったら
福岡県の最南端で講演会が開かれると妻から聞き、すぐさまチケットをコンビニで発券して約1ヶ月半。今か今かと待っていたその日は、意外と早くやってきたように思う。
「1人で話すのは苦手。だからマネージャーとの対談形式です」
「これから話すことは皆さんの役には立ちません。だから期待しないで聞いてね」
冒頭から、『ああ、寸分違わずヨシダナギだ』と、自らのイメージとの齟齬の無さに震える。それもそのはず、講演が進めば進むほど確信する、裏表の無さ。テレビで見せるマイペースさ、そのまんまの女性がステージでのんびり語っていた。
「そうだねえ」「ほんとだねえ」「ありがたいよねえ」
間の抜けた相槌を繰り返す可愛らしい姿。間違いなくマネージャーの発言量の方が多かったであろう。しかし、聞き手に勘違いさせたくない話題に対しては、人並みに饒舌だった。
「夢に見たものをそのまま描いていた。テーマが決まっているイラストは苦手だった」
「笑わせればいいんだ。重圧がなくなった」
「カルチャーショックを受けたくて海外に行くようになった」
「番組で写真家と紹介された瞬間、写真家になった」
「ひたすら隣にいるだけで仲良くなれるんだよ」
とりわけ印象に残ったのは、将来の夢は無かったと前置いてぽつんと放った、終盤の一言。
「やりたくないことをやってこなかったらこうなった」
美しい言葉だった。90分強の講演会の全てがそこに凝縮されていた。「やりたいことだけをやり続けていた」のではない。似て非なる能動。
とても共感している自分がいた。
やりたくないことをやってこなかったから
中学3年生。受験勉強が嫌で、当時の学力で受かる高校を探し、地元の商業高校に入学した。
高校3年生。周囲の友人が内定をもらったり志望校を決めたりしている中、就職活動もセンター試験も面倒くさかったので指定校推薦で地元の大学の新設の学部に進学。
大学4年生。教員採用試験のためにひと夏を潰すなんて馬鹿らしく、バンド活動に勤しみながら適当に受けた隣県の企業に就職。
とにかくやりたくないことから、逃げて、遠退いて、通った道が今に繋がっていた。
全てが今に活きている。
「やりたくないことをやってこなかったらこうなった」
僕もそうだった。ハッと気づかせてもらった。
「先生は、やりたくないことをやってこなかったから先生になったんだ」
教室でそんなことを嘯く姿を、酒を片手に反芻する。
こんなこと、子どもたちには言えないなあ。
向かいで妻が、僕が買ってきたサドゥーの長の写真を一瞥し、
「何それ、ダンブルドア?」と呟いた。
「違う違う」やんわり答えながら、自然と笑みがこぼれる。
やりたくないことをやってこなかったから、今の幸せがあるんだ。
やりたくないこともやらなければならない、今はそんな立場だけど、いつか思い切り投げ出したその時に、今日の話を思い出したい。そのための、覚え書き。
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