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【自己紹介】 なぜ”自分軸を探す”お手伝いをするのか

はじめまして、ぺくです!
自己紹介記事をまったく書かないままnoteを使い続けてきましたが、新しい一歩を踏み出す前に、きちんと自己紹介記事を書きたいと思い、筆を取りました。

「自分軸に従って、自分らしく生きる人を増やしたい」

それが私のライフミッション。
今回は、「なぜその思いを抱くようになったのか」について、「ぺくってどんな人?」を織り交ぜながら、少しお話できればと思います。

少し長いですが、読んでいただけると嬉しいです!

いつも「周りの期待に応える」が最優先、「自分」がない子だった

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3人兄弟の長女として生まれた私。
振り返ると、物心ついた頃から「お姉ちゃんだからしっかりしなきゃ!」という意識を強く持っていたように思います。
何かをするときも、自然と「下の子たちのお手本になるように」とか「下の子たちが困らないように」とか・・・そんな風に考えていて、年齢が上がるごとに、その使命感のようなものは大きくなっていった気がしています。

親や家族、周りが求めることを自然と汲むことができて、その通りに動こうとひたむきに努力する「優等生」
ちょっとした反抗期のようなものもありましたが、基本的に真面目な学生生活を送り、高校卒業までは着実に結果も出していました。
中堅の進学校に進学した高校時代、「とにかく勉強して良い大学に行くことが正義」という学校の方針(と今の私は捉えている)にも、なんの疑いや反抗心のようなものも持たず、ただただ周りの期待に応えたくて、一心に頑張り続けていました。
*注:我が家はそこまで教育熱心な家庭ではなく、おそらく親はさほど期待していなかったと思います。あくまで私が勝手に「親の期待する姿」を想像して動いてしまっていたんだと振り返って思います。

高校3年間のほぼすべてを勉学に費やし、大学に進学。
これまでの学生生活とは違って、何にどのくらい時間やエネルギーを使うも自由という環境のなかでも、私は「周りと同じように」とか「勉強もアルバイトも、サークルもすべてそつなくこなすのが良い」という考え方をしていて、どこにいても”そこそこ真面目”から抜け出せないまま、4年間を過ごしてしまいました。
*今となっては、もっと自分の「やりたい!」という気持ちに従って、いろいろなことにチャレンジできたら良かったなぁと思うんですが・・・!

そんな風に、ただただ「真面目だけが取り柄」のような私だったので、就職活動ではかなり苦戦。
「高校を卒業したら、大学に進学して、3年生の後半(当時)から就職活動を始めて…」という、いわゆる”普通”の生き方というレールから外れないように、何社も書類選考で落とされ、挫けそうになりながらも、とにかく必死で頑張り続けました。

なんとか掴み取った仕事は、メーカーの営業職。
内気で引っ込み思案な性格なのに、なぜか営業職でしか選考が進まず、「本当に私が営業職で大丈夫なのか?」と、不安いっぱいで社会人生活がスタートしました。

ここでも真面目で、「周りの期待に応えたい」という自分から抜け出せなかった私。
当時は業界的にもまだ女性の営業職が少なかった時代で、地方の営業所に配属された私は、「営業所初」の女性営業マンでした。

もし私が「これだから女性の営業は・・・!」と思われてしまったら、未来の後輩の活躍の場所を減らしたり、世の中の女性に対する評価を下げてしまうかもしれない・・・。

そんな気持ちで、社内でもお客様先でもいつもピンと気が張り詰めた状態で、深夜にまで及ぶ残業や仕事上のお付き合い、早朝出勤や休日出勤もさらっとこなし続けた3年間でした。
もちろん、お客様とは良い関係を築くことができ、いろいろと任せていただけることも多く、仕事に対するやりがいも大きかった反面、気がつけばどんどん消耗している自分がいました。

25歳、人生に悩む。 転機は1週間のセブ留学

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社会人3年目、25歳。
縁もゆかりもなかった土地に配属されて3年目。
ようやく休日や仕事終わりを一緒に過ごせる友人もでき、仕事も自分なりにどんどん効率化しながら取り組めていて、それなりに充実した毎日を送っていました。
でも、”何か”が欠けている、足りない・・・。
そんな感覚が拭えない日々が続いていました。

この年の最も大きな転機はセブ留学でしたが、ほかにもいろいろなことが立て続けに起こり、自分の今後の生き方をとにかく考え続けた1年でした。

1つは、2016年の熊本地震。
当時震源地からは遠かったものの、九州で一人暮らしをしていた私は、度重なる余震や緊急地震速報のアラート音がいつ鳴るか分からない状況に不安と恐怖が募り、軽くノイローゼ気味に。
当時は「会社で出世=成功」という考え方がすごく強かったのですが、これを機に、「もっと家族や周りの人たちとの繋がりを大切にできる生き方をした方が良いのではないか」と思い始めました。

もう1つは、その直後に経験した、1週間のセブ留学。
これがこの年の最大の転機だったのではないかと思います。
当時留学したのが、今もお世話になっている語学学校”CROSSxROAD”(*注:現在はコロナ禍で一時休校中)。
ここには、これから世界を舞台にした冒険の旅に出る人たちがたくさん集まります。

「これから世界一周に行く!」
「英語を勉強して、海外でこんなことがしたい!」

当時はまだ海外旅行も一人では行けなかった私にとって、「え、世界一周って夢の中の話なんじゃないの?」が最初の感想。
同時に、誰もがそんな風に、自分の目標や夢をキラキラした目で語る姿を見て、素直に「なんだかすごい!」とか「カッコいい!」と感じました。
私も「こんな風になりたい!」と思う反面、「じゃあ、私って本当は何がしたいんだろう・・・大した夢なんてないし。」と悩み始めることに。

というのも、これまでいわゆる”普通”の生き方をし、誰かの期待に応えることだけを考え続けてきた私です。
基本的に頭で考えるだけで、自分の気持ちに耳を傾けたことなんてほとんどなく、「私は〇〇したい!」と言えるものなんて、すぐには出てこなかったんです。

ただ、漠然と「海外で働きたい!」という気持ちだけはずっとありました。
このセブ留学も、海外駐在や海外と関わりの持てる部署への異動を目指して、2年ほど英会話スクールに通い続ける中で出会った友人に影響されたところがあったので・・・。
そんな中、ちょうどCROSSxROADで「アジアで働く」という選択肢を知りました。
セブ留学を通して、1週間という短い期間でしたが、初の東南アジアでの生活を無事に(しかも楽しく)乗り切れたことが、小さな自信になったこともあり、「海外就職」にチャレンジしたいと思い始めました。

とはいえ、レールから外れてしまう恐怖で、何度も周りに相談しては諦め、周りに相談しては諦め・・・の繰り返しで、かなり長い間悩みました。

そんな矢先に起こった3つめの転機は、当時住んでいた自宅マンションの火事。
早朝の火災報知器の音で目覚め、そこからマンションの外に出るまでに考えたことは、「とにかくお金だけは持っていかなきゃ!」、たったそれだけ。
幸いにも、火はすぐに消し止められたことから、大事には至らなかったものの、「非常時に心配することがお金しかない」ことがなんだか虚しく感じてしまいました。

「仕事も好きだし、大事だけど、もっと人間としての幅も広げていきたい!」

その後も随分悩みましたが、”CROSSxROAD”で出会った、スタッフの大輔さんに「やらない後悔より、やって後悔!」と言われたことを思い出し、最終的に「海外で働く」というチャレンジをすることになりました。

海外就職に失敗。 再び「自分」のなさに悩み始める。

送別会 copy

(ハノイ時代の送別会の写真)

さて、「海外で働く」というチャレンジの始まりは、フィリピン・セブ島での海外インターン。
語学学校(当時はCROSSxROADとはまた別の学校)のスタッフとして勤務しながら、実践的に使える英語力を伸ばしていきました。

起業家やフリーランスとしてご活躍されている方も多いセブ。
上司や同僚にも恵まれた上、プライベートでも常にたくさんの出会いがあり、刺激的で本当に楽しい毎日を過ごしました。
いつも明るく、笑顔いっぱいのフィリピン人スタッフや友人のおかげで、私自身も以前より大らかで、よく笑うようになったと思います。

「英語だけでなく、人間としてもセブで一回り大きくなったと感じたからこそ、海外でもう少し長いスパンでチャレンジを続けたい!」

そう思った私は、引き続き海外で正社員として就業する道を選ぶことに。
このときも、転職活動ではかなり悩み、苦しみました。

心の中ではセブに残りたいという気持ちはなんとなく持ちながらも、頭で「ここじゃない、もっと他のどこかで成長したい!」と考えてしまい、どうしていいか分からなくなっていた国選び。
もともと既存顧客向けの営業担当をしており、地道に信頼関係を構築していくのが得意だったこともあり、「同じお客様と継続的に信頼関係を構築できる仕事」かつ「誰かのサポートをする仕事」という軸は漠然とあるものの、「何がしたいか」がまったく見えず、苦戦し続けた選考。

最終的に、訪れたときの雰囲気がセブとよく似ていたベトナムで、契約企業向けのカスタマーサポート職として旅行代理店に就職。
今考えると、本当に決断を急ぎすぎたと感じています。

転職活動をしていた当時は毎日遅くまでインターン業務が終わらず、あまり時間のない中、エージェントの方との面談や選考に臨む毎日。
振り返ると、自分ときちんと向き合いきったと言えない中、「先が決まらないのが怖い」とか「無職のまま日本に帰ったら、他の人がどう思うんだろう」とか、ここでも他人の目を意識し過ぎていて、「なんとなくこうだろう」で意思決定をしてしまいました。

その結果、半年くらい経った頃から自分の仕事に対して、モヤモヤするようになってしまったんです。
それまでずっと仕事が好きで生きてきたので、毎日に充実感がなく、仕事に行くのもイヤだと思っている自分がどんどん嫌いになっていきました。
悩み過ぎて、一時は朝も起きられなかったぐらいです。

そこから「なんでこうなってしまったんだろう・・・?」と徹底的に自己分析。
ひとりで何度も自分と向き合ったことはもちろん、東京で開催されている統計心理学の講座を3ヶ月間リモート受講し、統計学的な観点からも自分を見つめ直してみたり・・・。
講座を受けていても、どんどん周りが自分の軸のようなものを見つけていく様子に焦り、”空っぽの自分”がイヤで、画面越しに何回もボロ泣きしてたなぁと、今となってはちょっと懐かしく思い出します。

その結果、分かったことは・・・
まず、「同じお客様と継続的に信頼関係を構築できる仕事」はたしかに満たせていましたが、旅行代理店のカスタマーサポート職だと、基本的にお客様とはメールと電話でのやり取りのみ。
私は対面でお客様と会えないことに不安や無機質な感じを抱いていて、本当はお客様と”会える”仕事がしたいと気づきました。

次に、「誰かのサポートをする仕事」も、旅行代理店では満たせていましたが、もっと自分の経験が活きるような領域で、誰かをサポートできた方が自分のやりがいも大きいのではと思いました。

迎えた3ヶ月の講座の最終月。
当時の私が導き出した答えは、「失敗も含めた自分の経験をシェアしたい!」でした。

それまでは、誰かからの見られ方を気にしていて、「先が決まっていない中で会社を退職するのは怖い」とか「1年で辞めるなんて・・・」と思っていましたが、一旦は自分の導き出した答えを受け入れ、それが「本当に正しいかどうか」をじっくり見極めるためにも、会社を退職し、少し時間を取っていろいろな方とお話をしながら考えることに。
ちょうどそのタイミングで、今の所属先であるBEYOND THE BORDERのアシスタント兼ライターとしてセブへ戻ってこないかという、とてもありがたいオファーをいただいたんです。

少し今までとは違った環境で、新しくやり直したいと思った私は、セブへ再び移ることにしました。

旅するインタビュアーとして活動

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セブに再び戻った私は、「失敗も含めた自分の経験をシェアしたい!」を実現させるにはどうすればよいのか、とにかく試行錯誤しました。
ライターとして、アシスタントとして、語学学校のスタッフとして・・・「自分に何ができるか」を徹底的に問い、行動に移していく日々で、自分と向き合う時間を取れるようなワークショップの開催、語学学校で英語学習やキャリア・生き方などでモヤモヤを抱えている方の個別相談に乗ったり・・・「やってみよう!」と思ったことはなんでもやってみました。

その中のひとつが、セブで働く人へのインタビュー。
語学留学先として人気の高いセブでは、すでに生活状況に関する記事はたくさんあります。
そのなかで、ライターとして「自分の価値をいかに発揮するか」を考えたとき、現地で働く「人」に焦点を当てて書いてみたらいいのではないかと思ったんです。
道半ばで挫折してしまった私自身にとって、他の人が海外でどんな喜びや困難と向き合いながら、仕事をしているのかを知ることが何かヒントになるように感じましたし、読者の方にとってもなるだけ多くの方の話を知ることはきっと意義がある・・・。

そんな思いで始めたインタビューの活動。
これが予想以上に楽しく、ハノイで「仕事が好き!」という気持ちを失ってしまって以来、久しぶりに仕事が楽しいと感じられるようになりました。

インタビューを通して、

「自分の価値観や強みが整理されました!」
「今回お話したのを機に、次の目標が見えてきました!」

という嬉しいお言葉をいただくことが多く、海外でご活躍されている方たちを微力ながら応援できることも大きなやりがいでした。
ここで、「インタビューは人の軸や大事な価値観、今まで気付けなかった強みを明確化・言語化する力がある」と気づき、記事を通して発信をすることで、インタビューを受けてくださった方の挑戦を応援しながら、読者の方に一歩踏み出す勇気を与えたいと思うようになりました。

そこから、「セブ以外でも、海外でご活躍されている方のお話を聞きたい!」と思い、「旅するインタビュアー」として、アジア各国を旅しながら1年間で100人の方にインタビューするチャレンジに挑戦。
*現在このツイートに添付されていたモーメントは別のものに移行しており、削除されています(これまでのインタビューはこちらから)。

各国でご活躍される方のお話は、学びや刺激が多く、私自身も大変勉強になりましたし、「自分を振り返る良い機会になりました」と言っていただけることが喜びや楽しさでもありました。

タイからスタートし、ベトナム→マレーシア→シンガポール→フィリピン(セブ)→インドネシア→フィリピン(マニラ)→インドとアジア7ヶ国を廻りながら記事を執筆。
途中からは、友人の勧めもあってラジオでの活動もスタートさせ、声を通してさまざまなライフストーリーをお届けすることで、自分の中での充実感もさらに高まっていました。

そんな風に半年間活動を続けた2020年3月、新型コロナウイルスの影響で旅はやむなく中断せざるを得なくなりました。
その後も一時はめげずにオンラインでも活動を続けましたが、さまざまな事情が重なり、一旦休止することに。

頑張って続けてきたことが、いろいろな事情で続けられなくなり、最終的に一時休止を決断する頃には、かなり自分を見失ってしまっていて、無気力状態に陥っていた時期もありました。

「これから一体何をしていこうか」

コロナ禍で帰国してから、過去を振り返りながら、何度も自問自答を重ねてきました。
そして、やはり何度問い返しても変わらない私の思いは・・・

「自分の軸に従って、自分らしい人生を歩める人を増やしたい」

いつも誰かの目を気にして、周りからの期待に応えるために生きてきて、「私には”自分”がない」と何度も悩んだからこそ、同じような思いをしている人がいるのなら力になりたいし、一人でも多くの人が”自分らしく”生きられるような社会を作りたい、今も変わらず、そんな風に思っています。

これからやっていきたいこと

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「自分の軸に従って、自分らしい人生を歩める人を増やしたい」

その思いと、これまで記事執筆やラジオでの発信を通して、100人近くの方たちのお話を伺った経験を活かしたい・・・!
そこで、みなさんの「過去→現在→未来」をじっくり伺うことで、大事にしてきた価値観や自分ではなかなか見つけられない強みを発掘したいと思っています!

はあちゅうさんの著書『自分への取材が人生を変える』に、こんな記述があります。

夢をかなえている人たちは、例えるなら「自分への取材」がきっちりとできているのです。
自分に取材ができている人は、自分を客観的に把握できているからこそ、他人に自分の言葉で語ることができるのです。

でも、なかなか取材される経験ってないですよね・・・?

インタビューを通して実感したのが、「人は問われると、答えを出そうとする」こと。
そして、自問自答ではなく、自分が持っていない「問い」を人から投げかけられることで、今まで考えたこともなかったことを考えるきっかけにもなります。
それこそが自分を深く知ることに繋がり、そこにインタビューの価値があると思うんです。

今後はインタビューセッションを通して、そのプロセスをサポートしていきたいと思っています。

長くなりましたが、ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!
私もまだまだ発展途上ですが、これを機に多くの方と出会い、一緒に頑張っていけると嬉しいです。


=====2021.01.18 追記=====
この記事を初めて書いた日から、およそ3ヶ月半。
いろいろと考えた末、”らしさ”見つけるインタビュアーとして活動を始めました!

現在、以下2種類のセッションを提供しております!

▼30分/60分のインタビューで、「アタマ」と「ココロ」をスッキリ整理しよう!

*なお、「海外就職」に関するご相談につきましては、個人では承っておりません。あらかじめご了承ください。
ご希望の方は、「海外就職のBEYOND THE BORDER」よりお問い合わせください。


▼純度100%のあなた”らしさ”発掘セッション(90分)

たまには、「自分」にスポットライトを当てる時間を作りませんか?
「役割」という鎧を脱いだみなさんのありのままの心から溢れ出た言葉を、真心込めて受け止めていきます!


=====2021.05.31 追記=====
上記セッションは、2021年5月31日をもちまして、廃止いたしました。
今後の活動については未定ですが、もっと力まず、等身大の私で発信活動を続けていきたいと思っています。

”普通”の人の”普通”の話に価値がある

長くインタビュアーとして活動するなかで、そんなことを思っています。

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