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また会う日まで

ずっと更新できませんでしたが、ようやく動けるようになってきたので。

前回の投稿から5ヶ月近く。

父を見送り、夏が終わろうとしています。

ずっとnote更新したい、と思っていたけどどうしても、自分の中のことは書けなくて。書きたいネタもたくさんあったんだけれど、やっぱりここの区切りを書いてからスタートしたくて。
ようやく文章にできるようになりました。

今年3月後半から4月中旬まで、1ヶ月弱の入院期間。
毎日仕事終わりに病院に行って、お母さんには内緒だよ、と言いながら2人でベッドの上でお菓子パーティー。
1時間ほどの時間で話すのは、聞いたことのなかった母への想い、兄の話、趣味の話。

そして、仕事の話。

小さい頃、お父さんという人種は残業がないものだと思っていた。
毎日18時に帰宅、一緒にごはんを食べて、土日は趣味に明け暮れて。
仕事忙しくないのかな、まわりの友達のお父さんはみんな帰りが遅いのに。

「嫌なことは嫌、恭順なんてしなくていい。」
そんな人だから、転職を繰り返して仕事が減っていたんだろう、そう思っていた。

入院までは。

ある日、父が定年時に在籍していた会社の方がお見舞いに来られるというので同席させてもらった。
その時に「お父さんはワーカホリックだからねえ」と言われて、キョトンとしてしまった。

あの?父が?ワーカホリック?

父が在籍していた会社はかなり酷い状況で、よくその中で仕事してたな…私だったら一瞬で辞めるわ…と転職を勧めたくなるくらい。(業績というわけじゃなく、人間関係がそんなかんじだった)

そこで踏ん張っていただけで尊敬するのに、話に出た父の仕事観に驚いた。

与えられた8時間でいかに成果を出すか。
残業時間の自分のクオリティは信用しない。
インプットは通勤時間に。
帰宅後・土日は家族と自分の時間。

「24時間働けますか?」の時代のサラリーマンなのに、そんなことを考えて仕事をしていたなんて。
知らなかったよ、お父さん。

考えてみると、5回も6回も転職をして、その途中で独立をして、それでも定期的に車は買い換えていたし、子供2人を私大に入れている。
裕福な家庭だと思ったことはないけれど、本は欲しい分だけ与えてもらっていたし、部活の遠征も行かせてもらっていた。
(なんなら兄は浪人して留年して新卒入社は24歳だった)

年収を変えずに転職を繰り返しているのに仕事が減ってるはずもなく。

そんな父が私の仕事ぶりを聞いて、話してくれた言葉は、きっと私の中に残り続ける。

頑張らなくても、素直なあなたなら人生はいい感じで進むから。

旦那さん、友達、あなたの周りには素敵な人がたくさんいるでしょう?
あなたが素敵だから、素敵な人が集まってくるんだよ。
周りの人に感謝して、笑顔でいられるように、それだけは努力しなさい。

そんな父と話した最後の言葉は「ありがとう」だった。

朝ドラで号泣して、真っ赤な顔で一緒に朝ごはんを食べたこと
酔っぱらって三角コーンを工事現場から持って帰ってきたこと
競輪選手に間違えられるくらい自転車にハマっていたこと
散歩中に犬に逃げられて泣きそうな顔で帰ってきたこと

思い出すことはたくさんあるけど、全部これからの私を作るもとになる。

神さまがいるかどうかは分からないけど、最後の1ヶ月を与えてくれて、本当にありがとう。

お父さん、私は素敵な人たちといい感じの人生を笑って過ごすよ。

そんな私をどこかで笑って見ていてね。

本当にありがとう。

いつかまた会う日まで。






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