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“世界一の料理人”が“世界一の水餃子”を作れない理由から迫る“おいしさの素”

世界一の料理人

世界一の料理人は誰だろうか?
アラン・デュガス? ジョエル・ロブション?
それともジャンポール・エヴァン?

特に統計を取ったわけではないが、意外とこう答える人は多いのではないか。

僕もそんな1人である。
小学校6年間の給食と、時々する外食を除き、27年間に渡って母の料理を食べ続けている。少なく見積もっても、2万食を食べている計算だ。

中学受験で塾に通っていた頃も車で弁当を届けてくれたし、食堂がある中学・高校・大学・大学院に通っている際も、欠かさず弁当を作ってくれた。
就職した現在でも、朝6時半には家を出る僕のために、前日の夜から支度をして、朝5時に起きて、弁当を作ってくれている。

喧嘩をした翌日も、お互いに顔も合わせず、口も聞かないが、必ず玄関に弁当は置いてあった。
そして「美味しかった。ごめんね。」と仲直りできた。

もはや、母の手料理が僕の味覚を形成し、「これが、“おいしい“」と脳にインプットされているといっても過言ではない。

こんな話もある。
母が食べたものの成分は、羊水や母乳の成分にも影響し、それを摂取する子供は、自然と母と食事の趣向が似やすいのだそう。

ただ、そんな理屈っぽい話を抜きにしても、
母の料理はこだわりが詰まっていて美味しいのは間違いない。

例えば、カレー
スパイスの調合から母が設計した家でしか食べれない一品だ。

生地の発酵から手がけ、本場びっくりの本格ピザが出来れば、パーティーになる。

そして、今回の話題である水餃子も、皮・餡・タレ 全て母が1から作る絶品だ。
(写真がなかった....。いつか撮ったらUPします。)

ただ、水餃子だけは、母よりも美味しい味を知っているのだ。
それは僕だけではなく、母も。

世界一の餃子

母の実家は、秋田県。小さい頃は、夏と冬に新幹線こまちに乗って、僕も母の実家に訪れていた。
(最近では、両親を乗せて車で8時間運転して訪れることもしばしば...)

生まれも育ちも東京の僕は、年に2回の秋田での体験をとても楽しみにしていた。
山で大きなオニヤンマを捕まえ、鉱山近くの川辺で水晶を拾い、満点の星空を天体望遠鏡で覗き込み、視界に収まらないくらいの大きな花火を見て、フカフカの雪でかまくらも作った。

全国花火競技大会「大曲の花火」

そんな非日常的な体験以外に、秋田に行くのを毎回楽しみにしていた理由がある。
それが、“秋田じじの水餃子”だ。

秋田に滞在している間は、母の実家で過ごすのだが、そこには母にとっての父、僕にとってのおじいちゃん(通称:秋田じじ)がいた。
秋田じじは、大のギャンブル好き。
孫そっちのけでよくパチンコに出かけていたし、時々遊んでくれると思えば、ポーカーや花札だった。そして生粋の負けず嫌いであり、僕に負けそうになると小学生相手にイカサマを仕掛けてくる、スパイシーなおじいちゃんだった。

そんな秋田じじだが、料理が大の得意で、秋田滞在中は3食ご飯を作ってくれていた。
そこで必ず僕が行くと振る舞ってくれたのが、
水餃子だ。

その水餃子が、本当に本当に本当に美味しいのだ!
(どうやら戦時中に満州で覚えたという本場仕込みの餃子らしい。)
あまりにも美味しくて、中学高校の食べ盛りの時は、1日50個以上お腹がパンパンになるまで詰め込んでいた記憶がある(笑)

見た目は至って普通、なんならちょっと崩れていて男の料理感が漂っている。
高級食材を使っているわけでも、隠し味が奇をてらっているわけでもない。
秘伝のタレがあるわけでもないようだ。
でも、とにかく最高に美味しいのだ。

そんな最高の水餃子を食べている中、ワガママな僕が思うことはただ一つ

(東京でも食べたい!そうだ!世界一の料理人に作ってもらおう!)

こうして、母が(に)世界一の水餃子を作る挑戦が始まった(を始めさせた)。

この頃の僕は、母が、しっかりした食材とレシピで作れば、
“秋田じじの男臭い水餃子”を遥かに上回る水餃子が誕生することを疑いもしなかった。

しかし、かれこれ20年以上、秋田じじの水餃子よりも美味しい水餃子を食べれていない。

なぜ、世界一の料理人は、世界一の水餃子を作れないのだろうか?

世界一の料理人はこう語る。
「食材も作り方も一通り教えてもらったが、絶対何か隠しているに違いない…

どうやら、負けず嫌いは遺伝するようだ。

おいしさの素

僕は現在、化学メーカーの研究者として働いている根っからの理系である。
(文章表現が乏しいことからもお察しかもしれません…)

日々仕事をする中で思うのは、
“化学と料理は似ている”ということだ。

材料を計量したり、混ぜたり、熱したり、溶かしたり、人の生活を支えたり。

でも、化学と料理には決定的な違いがある。
それは、“曖昧さ” だ。

化学に曖昧はない。
材料の分量、混ぜる時間、熱する温度、溶かす濃度、全てに意味があって、精確に制御されることが求められている。
曖昧さは、薬を毒にする。

料理はどうだろう?
僕が、料理に挑戦する時、1番頭を悩ませるのが

「〜を少々」「サッと〜」「〜で味を整える」
「一口サイズに〜」「大体〜まで〜」etc...

こんな曖昧なレシピを見ていつも思う。

(はっきり定量的に書いてくれ…)

そんな悩みは、どうやら僕だけのものではないらしく、最近では、理系のための料理本なども出版されているようだ。

でも、これまで美味しい料理を作ってくれた多くの人達は、共通してその曖昧さを大切にしている人ばかりのように思える。
つまり、その“曖昧さ”こそが“おいしさの素”になっているのではないだろうか?と考えるようになった。

料理の曖昧さが完全に制御されてしまったら、味が厳密に定義され、想像の範疇に収まり、人々は食への関心を失うだろうと思ったからだ。

じゃあ、その曖昧さはどこから生まれるのだろう… それは料理人の生き様にあると思う。

塩を“ひとつまみ”

この“ひとつまみ”は、果たして人類共通だろうか。答えはNoだ。

僕には僕の、母には母の、秋田じじには秋田じじの、ジョエルロブションにも彼の“ひとつまみ”があるだろう。

秋田じじは、長い人生の中で、
戦争で必死に生を掴み、平和の中で家族の手を掴み、花札で孫にイカサマして勝利を掴んだ手で料理をしている。
そんな手に刻まれたシワの数や深さ、皮膚の硬さ、指先の動き、握力などの複雑な要素が絡み合って、秋田じじにしか出せない“ひとつまみ”が生まれる。

「少々」も「一口サイズ」も「サッと」も同じだ。それは作り手の主観であり、=生き様だ。

そんな生き様の違いが、料理の味を変え、食感を変え、色を変え、香りを変える。

だから、料理人の半生はドラマや映画になり、人々を魅了するのだろうと僕は思う。

母は、世界一の水餃子には、まだ隠された秘密があると言う。果たしてそうだろうか?

僕は、世界一の水餃子のレシピに秘密は隠されておらず、秋田じじの歩んだ長い人生で醸成されたスパイシーな生き様が、料理に溶け込み、最高の旨味を引き出しているのだと感じている。

最後に

秋田じじは、7年前に他界した。
だから、もう世界一の水餃子を食べることは叶わない。
でも、この世界一は暫定であり、いつか母の水餃子が世界一になることだってあると思う。

だって母の手は、看護師として多くの命を救い、僕という1人の人間を育て、そして、これからも様々なことを成し遂げる手だ。

だから、僕も母も、暫定世界一の餃子の味を忘れることはないし、その作り手の生き様も忘れることはないだろう。

そして、時折こんな果てしない空想をすることがある。

僕が今後誰かと結婚し、子供が生まれたとしよう。秋田じじの水餃子を知らない我が子は、僕の母の水餃子を世界一だと言う。
そして僕の妻を世界一の料理人と呼び、水餃子を作らせるが、僕の母の水餃子には勝てない。
そして我が子もいつかは結婚し…
そんな繰り返しが、この先何十年、何百年と続いて、我が家の小さな伝統になったら面白いだろうな…
その伝統が、我が家のおいしさの素になればいいな…

こんなことを考えながら、
今日も僕の手は、箸を持ち、母の料理を取り、口に運ぶ。
この手がいつか、家庭を持ち、小さな手を取り、その手を幸せな未来に運ぶことを想って。

秋田じじと僕

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