「素朴に生きる」ということ

はじめて投稿します
うめ文庫のたかひろと申します。
「あるもので、つくれる、あそべる、たのしめる」を
モットーに創作活動をしています。
これからnoteでは、主に次のことをテーマに書いていこうかなと思っています。
「素朴な創造性」
「ブリコラージュ」
「アフォーダンス」
「ネコ暮らし」
ちょっと欲張りですかね。

「うめちゃんのお月見」 たかひろ作


素朴な創造性について

文化人類学者でKJ法の創始者「川喜田二郎」先生の著書に、「創造と伝承」という本があります。私にとってのバイブルのような本です。
その中に、「文明社会では、大人になると生きる上で大切な素朴な創造性を見失っているのではないか。・・技巧 より素朴という原点へ帰れ」という一文があります。 予想もしない出来事が起こったとき、急に何かを作ることになった時、素朴な創造性が役に立つ、というのです。また川喜田先生は、著書『素朴と文明』(この本もかなり読み込んでます。30年くらい)の中で、野蛮とか未開とかには、軽蔑した意味がしばしば含まれるとして、文明的に対置される意味で「素朴」という呼び方をされています。また、文明人に対し「素朴人」ということばを使われています。素朴人の方が豊かな創造性の素質を持っているのに、文明人は自分たちの方が、創造性が高いと思い込んでいるとも述べられています。私は、この「素朴」という言葉、考え方に強く惹かれています。

野生の思考を目覚めさせる

ここでちょっと、レヴィ=ストロースさんに登場していただきます。
レヴィ=ストロースは、『野生の思考』として「人間の根源的な思考」をとらえ、西洋文明人たちが、未開人と呼ぶ人たちの知識や思考方法について次の観点から批判を加えています。「栽培思考(文明化された思考)に対する、野生の思考であって決して野蛮で未熟なものではなく、それ自体精緻な感性表現による自然の体系的理解の仕方である。また、自然界から送られてくる豊かなメッセージを、コード(記号)を使って解読し、自然界と人間界の具体物を用いて思考し、感覚的な能力を総動員しながら世界を知的に認識している」と。
このような視点で素朴を捉えていくと、素朴というものが決して単純な思考によるものではなく、単に飾り気がない自然のままのものでもないはないということに気づかされます。

素朴とは未熟でもなければ未開でもない。五感を通して行われる自然との「ナマのヤリトリ」を根底にした創造性豊かな世界がそこにはあるのです。

素朴という原点に帰れ

そこで私は、「素朴」について次のように定義してみました。
「素朴とは、大地と共に在り、土の匂いする野生的で生命の躍動する様」
猫と暮らし、ものづくりを通して世界を観ていると、今日の世界、現代文明社会の在り方についてたくさんのギモンが湧いてきます。

私たちが「知っている」と思っている世界は、この広い宇宙の中の、ごくごく一部に過ぎません。庭先の木々とそこに住む虫や微生物の豊かな世界のことなど、私はほとんど知らない。
私自身、なかなか「素朴という原点」に帰ることが出来ていないと、反省する今日この頃です。

これからも、こんな感じでつぶやき程度の話ですが、書いていきたいと思います。よかったら、これからもよろしくお願いします。

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うめ文庫 たかひろ





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