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北斎館「あなたは信じる?摩訶不思議」展レポート

河童を見たという原体験をして以来、私は幻獣的なものに関心を抱いています。

そのため、幻獣・異界・民話・妖怪(ホラー要素が少ないもの)・妖精・精霊などのキーワードが入っている企画展には直感的に惹かれ、「思い立ったが吉日!」「企画展を観ることができるのは今しかない!後悔するから即行動!」の精神で、ふらっと旅に出てしまいます。

美術館を訪れる道中では、様々な発見があります。風景や街並み、人などなど…。写真や図録を見返すと、展示の内容以外の思い出も含めて鮮明に蘇ってきます。故に「美術館へ行く」ことと「旅に出る」ことは、私の中ではニアリーイコールのようになっています。

そんなふうに「旅と美術館」を楽しんでいる私は、数週間前に全国の美術展情報が掲載されているサイトで長野県小布施町にある「北斎館」で3月26日まで開催されているという面白そうな展示を発見。なかなか連休がなかったためずるずると日にちが過ぎてい会期も迫ってきてしまったため、あいにくの天候ではありましたが「これは行くしかない!」と3月25日に出掛けることにしました。

長野駅までは久しぶりの新幹線。そして小布施駅までは長野電鉄に乗車。長電は以前善光寺を訪れた時に乗ったことがありますが、小布施までは初めて。かつて関東圏で活躍していた電車たちが現役で使われており、撮影はできませんでしたが「小田急ロマンスカー」として活躍していた赤と白の電車とすれ違った時は子どもの頃の思い出が蘇ってきて不思議な気持ちになりました。

かつて成田エクスプレスとして活躍していた車両と小田急線の「ロマンスカー」として活躍していた車両は、長電の特急「スノーモンキー」として第二の人生を歩んでいます。
こちらは営団地下鉄時代の車両。今回小布施まではこちらの電車で行きました。

小布施の風景

小布施駅で下車し、お目当ての北斎館までは徒歩10分ちょっと。歴史的な街並みがとってもおしゃれで、歩いているだけで心が癒されました。

小布施駅の風景。街並みとマッチしていて綺麗な駅舎でした。

興味深かったのが、街中に「物語ボックス」というものが設置されていること。地域に伝わる昔話へ手軽にアクセスすることができ、日常的にイマジネーションの世界を感じることができそうです。街中に民話や歴史の要素を宿すヒントを得ることができました。

こちらが「民話ボックス」。ふすまのように横にスライドさせることでページをめくることができます。
小学校の前には「子どもの好きな如来さま」という民話ボックスがありました。
名物である栗に因んだ民話があるのは小布施町の特徴なのだろうと思いました。
狐の民話は至る所にありますが、その中身がその土地の様子を反映していて面白いです。

北斎館の近くには「市神」が祀られていました。山川草木八百万の中に神を見るという、日本人が本来持っているはずの心。個人的にとても大好きですし、大切に守り続けたいです。民話や歴史、文化を大切にする様子が街並みから伝わってきて、初上陸ではあるけれど小布施町が好きになりました。

こちらが「市神」。
自然石をご神体として大切にしていた先人の心が素敵だなぁと感じました。

いざ、北斎館「あなたは信じる?摩訶不思議」展へ

小布施の街を歩き、いよいよ北斎館へ到着。楽しみにしていた「あなたは信じる?摩訶不思議」展へ入場しました。受付の方に館内の撮影が可能かを尋ねると「SNSにもどんどんアップしてください!」と快くオッケーしていただきました。本当に嬉しいですし、ありがたいです✨

「あなたは信じる?摩訶不思議」展のポスター。わくわくします✨

展示は「霊」「妖」「火」「水」「蛇」「龍」「鬼」「術」のジャンルに分かれ、それぞれに因んだ北斎の作品が飾られていました。

こうしたジャンルごとに北斎の作品が展示されていました。

見えない事象から想像を膨らませた先人たちの想像力や、こうした言い伝えを絵という形に(しかも墨だけで)変換・変容させた北斎の〝技〟に感動。

霊の気配や異質性を表すために薄く描いたり、この世のものではないことを表すために火の玉を添えたりするという工夫は、きっと当時の世の中では斬新で先駆的な表現方法だったことでしょう。こうした〝技〟を編み出した北斎も素晴らしいですし、北斎の〝技〟を受けて想像を豊かに膨らませたであろう当時の人々の感性も素晴らしい。きっと社会の中に「センス・オブ・ワンダー」的なものを分かち合う雰囲気があったのだろうなぁと思いました。

現代の日本社会は様々な技術に加え、「ホント」か「ウソ」か、「現実」か「虚構」か、などの二項対立的思考が強くなってしまったように思います。そこで、仮に北斎の〝技〟が「最新の表現」として生み出され発信されたとしても、当時の人々ほどのわくわく感や、半信半疑ながら盛り上がる雰囲気にはなれないのではないかと思うと、なんだか寂しい気持ちになります。

左側の絵をよく見ると、上側にうっすらと「船鬼」が写っています。
左側の絵を見ると、火の玉が描かれています。どういう効果を加えれば異質なものを表すことができるのか、きっと北斎は探究し続けたのだろうなぁ。

「闇」には何もないわけではない

展示を観て印象的だったのが、「闇には何もないわけではない」ということ。妖怪が現れるのは物陰や人里離れた薄暗い森や山、水辺などが主ですが、今回の展示を通して「闇」だからこそ様々な想像が膨らむのではないかと改めて感じました。例えば「北斎漫画」に登場する海の生き物たち。

現代のように写真付きの図鑑なんてない状況で、得られた断片的な情報を混ぜ合わせながら描くというアプローチが素敵。
現実に存在する生き物の要素を混ぜ合わせながら生み出すキマイラ的な幻獣、個人的に大好きです。

現代のように様々な技術が発達していない時代だからこそ、当時の人々にとって海は何者かの気配を感じつつも未知の部分が多い「闇」として感じられたことでしょう。

そして、そんな「闇」と向き合う中で当時の人々は、聞こえる音、流れ着いたもの、その場の匂い、周囲の温度や天候、誰かの目撃情報などといった断片的な情報を混ぜ合わせながら、こうした幻獣を想像したのではないでしょうか。そもそもが未知なのだから「正解」も「不正解」もなく、情報間に優劣や序列もない。このような点で、未知や「闇」から始まる想像過程は極めて民主的で魅力的だなぁと思います。

さらに、こうした人々の想像が、北斎の〝技〟すなわち艶やかな色彩を用いるのではなく墨の濃淡のみで描かれることにより、そもそもが仮説であり余白だらけの物語の解釈に加え、幻獣のビジュアルの解釈さえも鑑賞者に委ねられている気がして、一層民主性を増すなぁと感じました。

「闇」だからこそ豊かな要素が詰まっており、「墨」だからこそ豊かな色彩が詰まっている…。それらの要素が人々を想像の世界へと駆り立て、多様な解釈や対話へと誘い、ひたすらにマイナーチェンジを重ねながら時代を越えて想像し続けていった軌跡そのものこそが民話であり幻獣であり妖怪なのだろうなぁ…。そんなことを考えながら展示を観ていました。

どう研究・実証していけば良いのかはわかりませんが、北斎の挿し絵があったことによる民話の拡がりや膨らみへの効果・影響について探究してみたくなりました。

3体の神の仕業だという「かまいたち」の言い伝えと、北斎が描いたイタチ的な「かまいたち」とのギャップを当時の人々はどう受け止め、どう想像を膨らませたのでしょうか…。

まとめ

恥ずかしながら、これまで北斎についてはあまり知りませんでした。また、和の雰囲気や空間からはなんとなく線香の香り(個人的にとても苦手)、死のイメージが連想されてしまい、どこか日本画や日本ならではの表現を敬遠していた部分があります。

けれど今回小布施を訪れ北斎に出会えたことで、古来より日本人が大切にしてきた八百万の神的なマインドや時代を越えて民話が〝動き続ける〟面白さ、「闇」の中に何かを見・感じる想像力、そして北斎が描く黒と白の〝あいだ〟にある趣深さを感じ、さらに日本文化の魅力を探究したいなぁと思えるようになりました。

きっと本や写真で北斎の絵を見るだけでは出会えなかった発見。やはり旅と美術館は良いなぁ、これからも続けていきたいなぁと感じました。

帰りは念願の姨捨駅経由で山梨方面へ。曇ってはいましたが雨が止んだ時間帯での駅到着だったため、眼下に広がる善光寺平や棚田を写真に収めることができました。北斎ならこの絶景の中に何を見て、どう表現するのでしょうね。

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