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【感想】さくらむすび

ブランド : CUFFS      発売日 : 2005-08-05
原画 : ☆画野朗     シナリオ : トノイケダイスケ

⚠️ここからネタバレあり⚠️





▪️ネタバレ感想

世界は優しく残酷で、心は儚げで美しい。
その世界は文章に宿り、心は音楽に宿っている。

★はじめに

プレイのきっかけは美しいピアノの旋律と、さくらむすびという言葉の響き。
2005年にCUFFSの処女作として発売され、ビジュアルノベル界隈では神BGM作品として有名ですよね。
いつ、どういった経緯だったかは記憶していませんが、ある時に聴いたメイン曲「さくら」のピアノの旋律があまりに優しく儚げで、強烈に惹きつけられたことを覚えています。
そこから作品に興味を持ち、いつかプレイをと思って何年経ったでしょうか。

本作はDL版が配信されていない為、なかなか見つからないパッケージ版を探すという高いハードルを超える必要があって、プレイ難易度を上げてしまったんですよね。

それから再びさくらむすびに出会ったのは、Xの相互フォロワーさんのプレイ感想ポストと紹介ブログから。(ひたすら感謝してます)
そこには溢れんばかりの情熱的な愛が綴られていました。
好きな作品に出会えた喜びっていうのは自分自身の実体験からも共感できますし、それを誰かに伝えたいって思いもまた同じ。
その溢れる愛に背中を押され改めてパッケージ版を探してみると、ネット通販で運良く新品を見つけ即購入。

これはプレイしろというエロゲ神の天啓なのでしょう。
そのまま甘やかで優しい世界と、愛しい切なさを存分に満喫して、作品を終えた今この感想を綴るに至っています。
感情のままに綴らせていただきましたので、どうにも伝わりにくい事があるかもしれませんが、ご容赦いただき、どうかお付き合いください。


★すべては愛に溢れている

世界は優しく残酷で、心は儚げで美しい。
その世界は文章に宿り、心は音楽に宿っている。
冒頭にも記したこの言葉は、自分が感じたさくらむすびの全てであったと思っています。

世界は文章に宿るとは、鮮やかな薄紅色で咲き誇る桜が舞い散る花弁の如く。
桜の下には死体が埋まっていると喩えられた桜の国と桜結びの如く。
そして主人公の一人称で綴られた独白。
彼の語る言葉こそが、さくらむすびの優しくも残酷な世界そのもので、幻想的かつ美しい言葉を尽くして魅せてくれました。

心は音楽に宿るとは、誰よりも妹を愛し、家族を愛し、友人を愛した主人公自身の心象風景の如く。
優しい人たちの想いの尊さの如く。
美しいピアノの旋律は、暖かくもどこか切なげに歌い上げるようで、愛する人を守り抜くという覚悟、歪んだ愛に傾倒していく葛藤、正体も朧げなバケモノへの無力感を音楽が代弁していたかのようです。
親和性という言葉では表せないような空気感は、本来あるはずのない作品の匂いのようなものさえ感じました。

どの結末に至るとも、すべては愛に溢れている。
それがどんなものであったとしても、愛以外には置き換えられないもの。
抽象的な物言いだと分かってはいますが、この作品を語るには感情そのままを語るのが相応しいと思えたんです。
自分に酔ったような感想になって心苦しいですが、さくらむすびを愛する方達にシンパシーだけでも伝わってくれたら嬉しく思います。



★余白の美学

さくらむすびという作品の美しさは、敢えて描かなかった余白が大きく関係していたと思っています。
これは「余白の美学」と言えるかもしれません。

ここで言う「余白の美学」とは、一般的な解釈の無駄なものや二義的なものを一切排除するという意味ではなく、人間性や心の美しさを描く事で、物語の完結よりもテーマの確立に重点を置き、敢えて想像の余地を残すという意味。
ライターであるトノイケダイスケさんの心意気と捉えて下さい。


本来は美術的な作品に用いられる言葉のようですが、結末の先にある語られなかった未来であったり、圧倒的なバケモノの正体であったり、プレイヤーに想像の先の余韻を物語に与えたことも、同様に余白の美学なのではと思うわけです。

紅葉ルートで物語の全容をある程度察する事はできますが、考察の範囲を超えることは出来ないので、絶対的な余白はある意味で永遠の存在となります。

永遠といえば「永遠はあるよ」で有名な『ONE 〜輝く季節へ〜』が思い浮かびますが、この作品にも同じような余白の美学が存在していました。
『ONE 〜輝く季節へ〜』の余白の個人的な見解は”難しい事は考えるな”と結論づけましたが、さくらむすびも同様で、かなり感覚が近かったように思えました。

余白というのは捉え方によっては未完、もしくは中途半端とも言い換えられます。
ただ、それを含めて完成だと思えてしまうような不思議な魅力って確かにあるんですよね。
共通するのは余白にマイナスな感情を抱く事なく、素直に受け入れられるという事でしょうか。

この時に伴う感情こそ神聖不可侵な美しさで、言語化が非常に難しいもの。
作品を思い返す際の精神的な拠り所にもなり得ると思います。
だから安易に美しかったで完結させてしまうわけですが、作品を愛した方たちが発する「美しい」には、それぞれの情念が込められたような、言葉以上の何かがあるんだと思います。


★物語から受けた印象について

なんと言葉にすれば良いでしょうか。
決して完璧な物語ではないのに、ただ愛しいという気持ちで心が酩酊しているかのような感覚でした。

まず物語を語る前にこの話を。
ビジュアルノベル作品とは絵と文章と音楽、そして声が大きな構成要素とされる中で、さくらむすびは珍しくボイス無しの作品です。
ボイスが無いという事は、声の演技で心の機微が伝わらないという事。
でもこれが不思議なことに、一切の違和感を感じない。
盲目のピアニストの表現力が研ぎ澄まされるように、ボイスが無い事で文章と音楽から伝わる感覚が研ぎ澄まされていたんですよね。

作品自体が歌であったと喩えるなら、メロディーはそのまま音楽で、歌詞は文章。
そこにほんのりと優しく柔らかなイラストが色を添える。
ボイスは脳内で再生されるので、想像の余地を残し、心の機微の受け取り方は人それぞれ。
この余白が作品の世界観を決定づけていたように感じました。

物語に話を戻すと、複雑な事情を抱えた少年が、愛する人を守り切ると決意を固める物語であったと感じています。
その愛する人はもちろん3人のヒロインたち。

歪な愛に戸惑いながらも、唯一の少女であると心から欲した、妹の桜。

あまりに一緒にいることが当たり前だからこそ、好きという言葉の重さを教えてくれた、幼馴染の紅葉。

歪な愛から逃れ、朧げなバケモノに立ち向かえなくても、不確かな愛を信じて逃避した、妹の親友の可憐。


人によって解釈は違うかもしれませんが、主人公視点で見ればこのように感じました。

この作品には余白があると述べましたが、亡くなった両親の存在、迫り来るバケモノの正体、歪な愛の真実と、結末までにはっきりした答えを描いていません。
だからこそ、描かれなかった空白は想像で補完するのが正しいわけで、テーマの本質を見せるための手段であったと自分は思い至りました。

三送会に向けたさくらむすびの演目の原案。
これは過去の告発を主とした独白ですが、登場する過去の3人と、今を生きている桜、紅葉、可憐の3人はどこかリンクするんですよね。
もちろん状況も立場も違いますが、ボタンを掛け違えてしまえば、もしかしたら同じような未来があったようにも受け取れる気がします。

主人公と父であった亮一との大きな違いは、愛する人を守り切ると決意していたか否か。

紅葉ルートでのさくらむすびの演目は、まるでお互いの愛を確かめ合うように桜結びを交わし、桜の国から旅立っていく。
そこに並ぶのは美しい言葉たちと、「さくら」の美しい旋律。

どうやっても心奪われてしまいます。
この意味の重さを考えれば考えるほど、幸せってありふれたように思えても、目を凝らしてよく見ないと見誤るし、両手でしっかり受け止めないと、指の隙間からこぼれ落ちてしまう儚いものなんだなって思うんです。
この作品からは、優しくも残酷で、愛しくも切ないという靄がかかったようで、それでも鮮明な愛の形を見せてくれたことに大きな価値があったと思えてなりません。
次の項目では各個別について。


★可憐ルート

クリアしたと同時に涙が溢れてきました。
でも何が琴線に触れたのか理由が分からなかったんです。

ただ分かっていたのは、桜や紅葉が主人公を思いながらも背中を押してくれた事、大事な妹のため、一緒にバケモノに立ち向かう覚悟を決めた聡明なもう一人の兄がいたこと。そして、それを包んでくれたたくさんの優しい人たちがいた事。

最初にクリアしたルートだったので、卒業式の日の桜の成長には涙腺が崩壊しました。
笑って、でも心の中ではきっと涙して、誰よりも大好きなおにいちゃんを送り出す。
好きなCGを一枚選ぶならこの時の桜の笑顔かもしれませんね。

このルートは穿った見方をすれば、主人公が歪な愛から逃れ、自分を慕う妹の親友に鞍替えするとも取れますよね。
でも苦しみの解放も愛の祝福だったように思えるんですよ。
姿の見えないバケモノにも立ち向かえない無力な少年が、己を思い知る過程がよく分かるんです。
絶望にのたうち回る状況を察すことが出来るんです。

バケモノの気配は全ルートの中でも直接的なために時間もない状況。
それでも愛する人を守り切る決意を固めた彼はやはり強いんですよね。
最善策ではなかったかもしれませんが、可憐の卒業を待たない2人の逃避は感情だけ切り取れば大きな意味があったと思います。

この逃避を現実の中に落とし込めば甘っちょろい選択で、現実は見えてないし何も分かってないと笑う人がいるかもしれません。
そんなことあるかと思って普通です。

でも、でも‥‥二人の覚悟の重さは計り知れないものだったってことですよね。

全部投げ出しているけど、無責任かもしれないけど、きっと二人は理解している。
誰かが悲しむことも、自分たちのエゴであるということも。

その意味、その決意、その想い。
理解してあげたいと素直に思えたんです。
だからこの二人が愛おしくてたまらない。
もしかしたらクリアした時に涙した理由は、この尊い想いへの憧れだったのかもしれませんね。

ちなみに紅葉の描写はもっとこう・・・去っていく好きな人を思い裏で泣いてて欲しかったですね。
これはワガママということで。


★桜ルート

美しい物語だった。
自分にはこの言葉以上に伝える語彙を持ち合わせていません。

歪んだ愛、いわゆる近親愛への葛藤とそれを受け入れる覚悟、その先の茨の道の予感を描いていました。
桜の幼さは罪ですね。
もっともらしい理由もありましたが、それにしても幼い。
でも、幼いからこそ愛おしさが溢れるようで。
詩的な言葉で綴られた物語の味わい深さは極上で、優しい中に圧倒的な絶望を描くという、まるで毒に侵されるような気持ちを抱えたまま読み進めていました。

二つあるエンディングは対を成し、ささやかな希望を見つける事ができた桜の成長エンドと、バケモノの気配を感じながら桜の国へ取り込まれる退廃的なエンドは受け取る気持ちがまるで違いました。

ただ共通するのは、愛に溢れていたということ。

桜の成長は素直に心に響きますし、どうかこの先に幸あれと願いたくなるもの。
きっと茨の道に続いています。
でも何があったとしても大丈夫だろうという不思議な安心感もあるんですよ。
主人公の決意は揺るがないですから。
そしてその決意を桜は信じてますから。

もう一つの桜の国に飲み込まれるエンドはやるせないですね。
全てを敵にまわし、孤立無援の二人の向かう先にあったものは一体何だったのか。
桜のお化けの仕業なのか。寂しいからと二人を迎えにきたのか。
何もかも憶測で考察の範囲を超える事はできませんが、切ないって気持ちだけは本物だったと言えます。
桜のお化け関連は多くの謎を残し完結するので、モヤモヤするのが正直な気持ちですが、重要だったのは愛する人を守り切るという決意だったはずなので深入りすること自体が蛇足かもしれません。

余白の美学に従い全てを受け入れ、心に燻る切ない気持ちと相対して導いた答えが美しい物語だったという感想になります。
自分はこれだけで十分です。

あ、でもこれだけは伝えねば。
えっちシーン良すぎましたね。なんか泣けてきたんですよ。
こんなに尊くも拙い愛の交換を見たことなかったので。
じっくり尺をかけて、言葉を尽くして、丁寧に描写された名シーンだったと思っています。


★紅葉ルート

正真正銘のグランドルートでした。
桜のお化けからの解放を予感させる、希望に溢れた帰結であったと捉えています。
色々と語りたい事はありますが、文字数が凄い事になってしまいそうなので2つのエピソードだけ。

クリスマスパーティーの夜。紅葉と交わす言葉と主人公のモノローグ。
ホワイトクリスマスのささやかな白い祝福と駆け出す二人。
このシーンには静かな感動に包まれる感覚がありました。
無敵となった二人の歩む先が幸せに続いていると信じさせてくれる。

この時の言葉が本当に本当に素敵なんですよ。

彼女の世界には、僕たちの世界には見たくない未来などありえないと、こんなにも幸せに溢れていると、二人で転びそうになりながら手を取り支え合い、息が上がるまで走る。
若者ならではの根拠のない自信、それを見つけるために走るんだって思えたんです。
さあ、行こうかーーの言葉と共に。

大好きなキミ、大好きな紅葉。
おはよう、こんにちは、こんばんは。
いらっしゃいませ、さようなら。
バイバイ、それじゃあまた明日。
昨日も、今日も、明日も、来週も。
来月も、来年、何十年間後の今日。
これからも、ずっと。
キミと二人、僕たちのこの道を。
ーー手を取り合って。

さくらむすび 紅葉ルート本編より引用

こんな素敵な愛の言葉があったなんて・・・。
まさに感想を書いて本編を振り返っている今でも涙目になってます。
本作の中で一番好きな言葉でした。

もう一つのエピソードは卒業式の日、桜並木を二人で歩むモノローグ。
これ凄くないですか?

もう自分はボロ泣きでしたよ。

主人公の心情を伝える文章には、胸に刻んだ桜結びは立派な大人になりたかった想いと、無邪気な子供のままでいたかった想い、何かが得られると希望を持っていた桜の国で何ができ、何が残り、何を得たのかという自問自答が語られました。

繋いだ手の先には紅葉。
全ての答えはその温もりだったのでしょう。
無敵の二人への愛の祝福。
プロポーズの雰囲気はロマンチックというよりも、自然体。
桜や可憐を思えば少しの切なさが胸をチクリと刺しますが、二人は無敵ですから敵うはずがありません。

エンディングで流れる曲のタイトルは「別れ、そして出会い。」
このタイトルに最もふさわしいエンディングであったように思えます。
どうか全ての優しい人に愛が溢れますように。


◾️最後にまとめ

心に深く深く刻まれる愛に溢れた美しい物語でした。
こういった素敵な出会いを果たすと、やっぱり誰かに伝えたいし、自分の中に溢れる思いを知ってほしいと思ってしまいますね。

作品評価だけで言えば賛否が分かれているようなので、全ての方に刺さるとは言えないのでしょうが、刺さる方にはトコトン刺さる作品だったのでしょう。
そして自分は刺さる側だったので幸せでした。

美を語る際に、多くの言葉は煙のように濁ると『サクラノ刻』が伝えたように、これ以上語るのは蛇足となります。
ただ、体が濁っても魂が濁るわけではない。
それでもキリがいいので、この辺りで感想を締めさせていただきます。

胸に刻まれる大切な作品との出会いをくれたCUFFSの皆様、作品に関わられた全ての方に感謝を。
また、この感想にお付き合いくださったあなたにも最大限の感謝を。
ありがとうございました。


2024-05-20追記。
再走して新たな気づきがありましたので、追記の感想記事を投稿しました。
良ければこちらもご覧いただければ嬉しいです。

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