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【感想】さくらむすび・追記

この感想記事は、前回投稿したさくらむすび感想記事の追記になります。
再プレイして新たに気づきがあったので、その事について語らせていただきます。
もし良ければ、前回の記事を貼っておきますので、そちらからお読みいただければと思います。

美しい物語に潜む魔物。
なんて恐ろしく、儚いのだろう。

前回さくらむすびの感想記事を投稿した後、なかなか余韻が抜けず、再び作品を最初からプレイしてました。
改めて話の全体像を掴むために読み進めていると、ふとあることが気になったんです。
いや、気になったと言いうよりは、気付いたと言いますか。
どうしてもっと深く考えなかったのか、重く捉えなかったのかと。

さて、この話をする前に一度振り返らないといけないですね。
さくらむすびの物語を初見で読み終えて、何が一番重要だったのかと考えた時、物語の結末では無く、結末に至る過程で見出した「愛する人を守り抜く決意」であったと思い至りました。

その覚悟は尊いもので、過去の告発となった原案「桜結び」の登場人物である亮一、つまり主人公の父との覚悟の違いをその理由としていました。
これを「余白の美学」に従い、想像の余地を残したことに美を見出していたわけです。

今も概ね考えがブレることはありませんが、ふと改めて作品のパッケージ裏面を見ると、涙を流しながら兄の手に縋り付く桜がいたんです。
その横には「僕には両親がいない」から始まる主人公の独白が書いてあります。

この文章は作中にも登場していました。
どうして兄妹なのに離ればなれで暮らさないといけないのかという二人の想い。
それは世界の神様だとか、魔法だとか、見えない力の仕業なのかと。
理由も分からないままでも、ただ、兄であり続けることが精一杯で。
早く大人になって桜を守るんだと、ずっと側にいてあげるんだと。

この独白の先に物語がスタートするわけですよね。
卒業を控え、真剣に将来を見据えなければならないこの時になっても、自分はまだ子供のままで、いつかの幼い誓いを果たすことが出来ていないと、罪悪感のようなものを抱えたまま。

さくらむすびには4つのエンドがありました。
想像の先を暴くつもりはありませんが、幸せなもの、儚げなもの、退廃的なもの、そのいずれもが愛に溢れた美しい物語でした。

この全てのエンドに至る過程では、桜との関係に向き合う事になります。
歪な愛に傾倒しそうな自分に葛藤しながらも、何が幸せの最善策なのか、愛する人とは自分にとって誰なのか、そしてその人を守り切る決意に至るまでが美しい言葉で綴られています。
つまりは、桜との関係にどういった答えを出すかで物語の帰結は枝分かれしたって事です。

主人公と桜。
幼い頃から早く大人になって桜を守るんだという、ずっと側にいるんだという誓い。
ずっと大好きなお兄ちゃんと一緒にいたいと言う無垢な想い。

兄と妹。
想い合ったとしても、決して許されない。
なんで許されないの?私が妹だから?

かなり勿体ぶった言い方になってしまいましたが、何が言いたかったかというと、さくらむすびという物語は、近親愛という禁忌をどう受け止めるべきかという問いかけだったのではないかと、改めて思ったという事です。

物語の中心は桜なんですよ。

この幼くも愛しい妹はいつまでも無垢なままで、兄の愛に疑いがない。
この純粋な想いにどう向き合うかの物語だったんだなって改めて思ったんです。
その過程に愛する人を守り抜く覚悟があったのかなって。

この答えに至る理由はいくつもありますが、やはり考察の域を越えられませんので、感想に記すのは蛇足。
敢えて言うなら、主人公の独白の中にある毒と、過去の告発の「桜結び」に関わる解釈とでも言っておきましょう。

この作品のテーマは、もしかしたらかなり深く暗い場所にあったのかもしれません。

気づいてはいけないもの。

もし気づいても、目を合わせてはいけないもの。

そして、絶対に触れてはいけないもの。


社会の禁忌なんですよね。
これもバケモノの正体の断片。
近親愛というテーマは数多の創作物で取り上げられてきたポピュラーな難題。
これの答えを出す事自体が禁忌に触れるというもの。だからこそ、想像の先に答えを委ねかのかもしれませんね。

他ブランド作品ですがWaffleの『妹と彼女』という作品は、この近親愛という難題に真正面からぶつかったセンシティブな傑作でした。
近親愛をあそこまで負の方向で描き切った作品は他に無いと思えるほど衝撃的でした。

この二つの作品に共通するのは、圧倒的に言葉が美しかったという事。
『さくらむすび』のトノイケダイスケさんは幻想的に、『妹と彼女』の間崎俊介さんは叙情的に言葉を尽くして魅せてくれていました。

美しい言葉は時に残酷なんですよ。

話しが若干脱線したので戻します。
はっきり申し上げると、近親愛という禁忌に対しての答えを自分は持ち合わせていません。
ただ、どうか愛し合う人達が幸せであってほしい。
願うのはそれだけです。

これまでの話しを考えて当てはめてみれば、紅葉ルートのグランドエンドは救済にもとれます。
愛の祝福の先にある桜並木、舞い散る薄紅色の花弁。
手を取り合って歩く光の道。
愛の形はより豊かに育つ、家族としての未来ある帰結です。
禁忌にも触れていない。

ほら、僕は今、こんなにも幸せだ。

でも一つの疑問も生まれるんです。
桜の本当の想いを、自分はどれだけ理解出来ていたんだろうって。
きっと想像も出来ない悲しみがあったのかもしれないと。
でも、大好きなおにいちゃんを、大好きな人達を想うからこそ、笑っていようと。

漠然と分かってたつもりだったのかなって。
この桜の悲しみと幸せは、深い深い世界を見てきた結果なんじゃないかって。

パッケージイラスト表側のビジュアル。
2年後の卒業式の日、桜の木の下で大好きなおにいちゃんの手をそっと頬に添えて優しく微笑む桜。
パッケージ裏面のビジュアルとは同じ構図ながらも、対照的な色使いと柔らかさ。
この優しい笑顔がどれだけ尊いものだったのか。
胸に手を当てて思い返すべきなのかもしれません。

はたしてこの笑顔は、どのエンディングの先にある未来だったのでしょうか。
そんなことを思いながら、作品を振り返っていたと言う話でした。

それにしても、おまけで入ってた布BOX?みたいなやつのSDイラストが可愛すぎますね。
グッズ出ないかなーとか今更思っても遅いですよね。

さて、今回は以上です。
お読みいただきありがとうございました。

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