信じることは疑うことか?
あたしにとって信じるっていう行為は
ありとあらゆる悪い裏切られ方を想定して、
それらが事実であっても後悔しないとすること。
だったようです。
え、それ信じてなくね?
はなから全部疑ってかかって、
悪い真実でも最悪でなければ良かったって思えるし、
もし最悪の予想が真実だとしてもダメージを軽減できるってだけ。
最悪を常に頭に入れてることで、何が起きてもそれを責めずにいられる。
極端な悲観主義は180度まわって楽観主義に変わるんですね。
それ、世間一般では妄想って言わね?
あと、あれよ。
感情って、どう頑張ったって言葉にすることはできないと思った。
それでもどうにかして伝えようとするとき、近いと思う言葉を慎重に選んで並べるんだけど、その過程できれいに飾っちゃうことがあるような気がする。
悪く考えると「ものは言いよう」って感じ。
なまじ国語のテストで点数稼げる人はそうなる気がする。
この中身の薄い日記のようにね!
「嘘にならないように、でもできるだけ誤解なく伝わるように」ってやってるとさ、もう、ほら、無理ーヽ( `皿´ )ノ!!
100考えてても1の言葉で済ます日常です。
ほんとに何も考えてないこともあるけど(笑)
。。。哲学思考はキリがないからさー、
いつも適当なとこで「わかんね」って引き返すんだけどもね。
つまり(の後ろは要点って習ったっけ?)、
いろいろ捨てたもんじゃないってことかな。
そんな週末★
(この記事は2009年に書いたものの再録です。)
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