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2021年12月7日の日記「生きるのにいちいち理由なんていらないって言うけど、やっぱりいるよ、生きる理由。」

日記2本目。1本目の自己紹介とケーキの話を読んでいただいた方、スキしていただいた方、とても嬉しかったです。ありがとう。

会社から帰る電車の中で読んでいた漫画に、表題のセリフが出てきた。
仕事をやめて休養中の主人公が、風邪を引いて家に閉じこもっている(引いてなくてもわりと閉じ込もってるタイプの主人公だったけど)。1人暮らしの寂しさもあいまって、仕事もないし家族もいない自分って、果たして生きてる理由あるんやろか……と微妙にセンチメンタルに引っ張られた後で、いや、生きるのにいちいち理由なんかつけないでも私は生きるんだ、とちょっぴり開き直って元気を出すという、そんな場面だった。

主人公のその言葉を読んで励まされる人もいるんだろうなあと思いつつ、でもなあ…と考えていた。

生きてくのってそれを保つだけでコストじゃないですか。自分で生活している人なら、お腹がすいたら食べられるだけの食べ物を買わなきゃいけないし、その為に頑張って仕事を続けていけばだんだん勝手に先輩、年長者扱いされるようになって、責任も期待値も上げられていく。
そのうち体も無理がきかないから趣味の時間より休養優先になったりして、それだけですめばいいけれど、気を遣っててもいつしか健康診断の数値も変わり、今度は健康を買うためにぼちぼちお金が出て行く。

まだ一人立ちしていない子供なら関係ないかというとそうでもない。
大人なら自分で踏ん切りさえつけられればズル休みだってできちゃうけど、先生やら親御さんの目があればしんどくても学校に行かなきゃいけないとか、毎日のタスクも人間関係も、子供の方が自由のきかない中で頑張らなきゃいけないこともたくさんある。

そういう生(活)を保つだけで必要になるものを賄いきれなくて、そのことに苦しんでいる人もたくさんいる。それだけじゃない、その上にさらに何か抱えてるものがあって、それでも頑張ってる人もいる。そういう時はやっぱり、それに釣り合うだけの理由がないと辛いのは当然だし、逃げ出したくなっても仕方ないと思う。
生きているだけで価値があるんです。理由なんてなくても生きてていいんです。そう言えたら良いのかもしれないけど、その生を保つことがそもそも難しいとき、そのために頑張ることが嫌になるくらい日常が辛いとき、そんな言葉は空しく響くだけだ。

だから、理由なんて無くても生きるんだ!って言える人は、気付いていないだけで生きる理由がしっかり有るか、ことさらに理由を意識しなくても生きるコストを支払ってもいいと思えるくらい恵まれた状態にあるか、どちらかだと思う。
最初に話した漫画の主人公だって、おひとりさま寄りの生活してるとは言え友達(描写からして多分ネットで繋がった人)と通話すればそれなりに楽しいし、時間かけて作ってみたご飯はおいしいし、そもそも辞める前に働いた分の貯金がとりあえず数年生活に困らない程度にある、って状態の人だったし。

ここまで読んでくれた人の中にもし、そんな風に前向きになれない人がいたら、そうなるのは普通にありうることだし、だからといって他の人より劣っているとかダメだとか、そんな風に思う必要もないんじゃないかなと言いたくて、今長々と文章にしてみている。
だけど天秤の幸せ側に乗せられるものもないと辛いと思うから、小さくても何か見つけられたら。好きなアイスを食べるでも、YouTubeか何かで推しの配信を見るでも、お気に入りの漫画が明日連載されるでもいいから、1つ1つは小さくても5個6個と重ねていけば、しんどい側に力いっぱい傾いてしまった天秤を少しは揺らがせる効果もあるだろう。
そうしたらきっと明日1日くらい、しのげるかもしれないじゃないですか。

今日もお付き合いいただきありがとうございました。ここまでが冒頭の、でもなあ…の中身。
ちなみになんでタイトルの画像がトンカツの絵なのかというと、今日の夕飯がトンカツだったからで、食べ終わってぼんやり電車に乗っているときに上の話をずっと考えていたからで、でも食べ終わっていたから写真を撮れなかったからです。
これからはなるべく写真を撮るようにした方が、ここに何か書きたいことができたときに困らずに済むかもしれない。





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