いつから夢を持つことが幸福だという錯覚を抱いた?

皆さんどうも。

今回は夢を持つことが苦痛なら、捨てることも選択肢にあるんだよという話をしようと思います。

毎度毎度のリマインドですが、あー流行んねえかなこのパワーワード。ぼくの記事はすべてぼく個人の主観による解釈を伝えているだけなので、誰かの思想や信条を否定するわけでもなく、絶対普遍の真理を伝えるものでもありませんので、理解した上で読んでください。

皆さんは夢をお持ちでしょうか。

人々を病から救うために医者になりたい、スポーツで大活躍して有名になりたい、たくさん稼いで豪華な家を建て、高級車を乗り回したい。政治家になって世の中を変えたい、弁護士になって社会的な悩みを持つ人々を支えたい。活動家になってNPO法人を建てたりボランティアで恵まれない国や人々の支援をしたい。

うーん、良いですね、社会はこのように夢を持つ人々のエネルギーによって支えられていると言って良いでしょう。

しかし!

もしあなたが今、この夢を追いかけるが故に苦痛に苛まれているなら、いつまでもその夢に依存するのは注意した方が良いでしょう。

もちろん、目標を達成させるには苦難が付き物で、それを乗り越えないことには人は何者にもなれないのは確かです。

が、本当にキツくて挫折して、もう精神的に追い込まれて、なんか飯は喉を通らないし夜も眠れない、みたいになってきたら流石に投了した方が良いでしょう。

あなたが無理してやらなくても誰かがやってくれます。

そしてよくある思い込みの一つに、「夢を持つことは良いことで、人を幸福にさせるものだ」という狭い考え方があります。「人生とは夢を持つこと」みたいに考える人も居ますね。もちろん、それが自分の活力になるなら良いと思いますが、重荷になっているなら本末転倒です。

ストレートに言えば、夢は人を幸福にしませんし、人生は夢を持つことでもありません。人を幸福にするのは神経の分泌成分(ドーパミンとかセロトニンとかノルアドレナリンとか)で、人生は夢を持たずとも、その日暮らしをしても構いません。

こう聞くとなんだか冷たい気がしてきますね。誤解しないでいただきたいのは、夢を持つことが希望になり、自分の活力になるのなら推奨です。しかし、夢に依存して現実とのギャップに苦しんで生きるのが辛いならそれは本末転倒です。

あまりの苦痛に薬が無きゃ生きていけないほどになるなら、そんな夢捨ててしまいましょう。

人間、モノを多く持てば持つほど幸せだと考えがちですが、意外とそうでもないです。モノを持って幸せになるのは一瞬(脳内麻薬の効果)です。そのくせ、持ったモノを維持するのは途轍もなく長く苦労させられます。

つまりモノを持てば持つほど、維持に神経を注がなければならなくなるのです。

これは壮大な夢だけの話じゃなく、ちょっとした夢でも同じことです。ムキムキマッチョになってモテたい、痩せて綺麗になりたい、イケメン(美女)になりたい、もう少し稼いで生活を楽にしたい、今より技術を磨きたい、お菓子を食べたい、アレが欲しい、コレが欲しい、もっと欲しい、あいつに勝ちたい、負け犬でいるのは嫌だ、ワイはもっと評価されるべきだ・・・・・・どれも同じことです。

もう一度同じことを言いますが、夢を持つことが希望になり、自分の活力になるのなら推奨です。しかし、夢に依存して現実とのギャップに苦しんで生きるのが辛いならそれは本末転倒です。

べつにボヨボヨの醜い身体でも良いじゃないすか、ブサメンでも良いじゃないすか、稼ぎが少なくても良いじゃないすか、技術が拙くても良いじゃないすか、お菓子が食べれないならパンを食べれば良いのですわ、アレが無くてもコレが無くてもそんなに無くても困りません。むしろ維持が大変になるだけです。あいつに負けてもええやないすか、勝ち負けに拘るのが負けですよ。評価されなくても良いじゃないすか、評価に拘るのが負けですよ

結局のところ、評価されようがされまいが、勝とうが負けようが、そんなもの関係無いんすわ。

人間、脳内とか各種神経や内臓の分泌成分(主にセロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリン)のバランスが整ってて、それらがどぴゅどぴゅ出てれば幸福です。出なければ幸福になれず、バランスが崩れたら病気になります。ただそれだけです。

だもんでそもそも、何が問題かっていうと、快楽の為に夢を求めるのが問題ってことです。夢は快楽の為にあるのではなく、目標を達成するための活力としてあるのです。

活力としてあるものを追い求めて病気になるとか、ただのコントでしかないです。要するに、手段を目的にしてしまってるってことですね。

あなたが現実と理想のギャップに苦しんでいるならその考え方は今すぐ捨てましょう。あなたがやらずとも誰かがやってくれますし、あなたは賞賛されようと笑い者にされようと、あなたはあなたに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないです。

また、あなたを称賛している者も、馬鹿にしている者も、あなたなんて見てません。あくまであなたの肩書や属性を見て言っているだけです。

あなたがその肩書や属性を無くした途端、誰も称賛も馬鹿にもしなくなるでしょう。

あなたのことを本当に見てくれている人は、褒めもしないし馬鹿にもしません、理由も掛け値もなく一緒に居てくれます

逆に言うなら褒めたり馬鹿にしてくる者は相手を表面でしか判断しない愚か者なのです。

夢に固執して自己嫌悪に陥るのも、夢を達成して慢心してしまうのも、どちらも感情やペセル(偶像)に支配されているだけです。

真の愛のカタチとは、感情やペセル(偶像)に支配されず、支配することです。

感情やペセル(偶像)は人を支配します。愛は人を支配せず、感情やペセルを支配します。


夢に支配される者は愛を失うのです。夢を支配しましょう。

以上、夢を持つことは幸福というわけではないというお話でした。


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