『雨上がり決死隊の解散』って宮迫が悪いの?
先日、雨上がり決死隊が解散した。
今年の1月に宮迫が闇営業での謹慎中にYoutubeを始めたことで、蛍原さんとの間に気持ちのズレが生じたらしい。
今年の4月に蛍原さんが解散を切り出し、宮迫が受け入れたとのこと。
8月17日に解散会見が放送されると、それをテーマに報道番組がこぞって議論を展開していた。
その一連の様子を見ていて、僕はものすごく違和感を持った。
最終的な感想は、
「テレビの人ってYoutube嫌いなんだな。」
だった。
「宮迫」ではなく「Youtube」が嫌いなんだと思う。
今回の解散について色んな芸人やらタレントか
さまざまな持論を展開していた。
一方で
「蛍原さんのことを考えると、宮迫が悪い。」
っていう意見はほぼ一致していそうだった。
確かに蛍原さんからしたら、闇営業の件で相方が反省して帰って来るのを待ってたら、
向こうはYoutubeでブレイクしてよろしくやってるわけだから、良い気持ちはしないだろう。
だから蛍原さんが解散を切り出したという気持ちは分かる。
では、宮迫側からしたらどうだろう。
無期限の謹慎(これは自業自得だけど)となって収入がない中で、Youtubeの話が舞い込んできたら、それに飛びつくのってそんなにおかしいことなのかな。
宮迫が蛍原さんにYoutubeのことをあまり連絡してなかったりと至らない点はあれど、
宮迫の立場で考えるとそこまで人間としておかしなことはしていないように思える。
つまり蛍原さんも、宮迫もそれぞれの言い分・立場があって、それぞれ至らない点があった。
だから解散する。本来それで良いはずじゃないか。
僕が違和感を持ったのは、
それにもかかわらず周囲の人はほぼ全員「蛍原側」に立っていたから。
宮迫には闇営業の件で周囲にも世間にも嘘をついていたというビハインドが確かにある。
でもそれが世間的に今も許されていないのであればYoutubeの登録者数が140万人を超えたりはしない。
それなのにテレビの人達は彼を許す気はさらさらなさそうだ。
実際、宮迫は解散会見後にYoutubeの活動を休止することになった。
これには蛍原さんと宮迫という2人を超越した問題がある気がした。
つまり、蛍原さんは言ってみれば「テレビ」の象徴。
一方、宮迫はYoutubeで名を上げた「Youtube」の象徴。
芸人やら報道番組タレントは、
口をそろえて「蛍原さんのことを考えると」と言うのに、誰一人として「宮迫さんのことを考えると」とは言わないのは、
彼らが皆、「テレビの人達」だからなんじゃないか。
彼らは蛍原さんを擁護し、宮迫を攻撃しているのではない。
彼らは、2人を通して無意識的に
「テレビ」を守り、「Youtube」を叩きのめしたかったのではないか。
国民のテレビ視聴時間は毎年横ばいなのに対して、Youtubeを始めとするネット動画の視聴時間は年々増加傾向にあるという。
テレビ業界とYoutubeが完全に独立したものではないとはいえ、
テレビ業界の人は無意識的にYoutubeの存在に恐れや嫌悪感を抱いているように思える。
テレビを無期限で追放された人物がYoutubeで大成功をおさめる。
そんな存在をテレビ業界が認めるわけにはいかない。
もし宮迫が成功したのが「Youtube」ではなく「農業」だったら、きっと蛍原さんも気にしない。
「Youtube」を始めたとしても、登録者数が1000人とかだったら、誰も文句は言わなかっただろう。
でも
「Youtube」と「成功」という組み合わせだけはダメだった。
それはテレビの人にとって自分たちの立場を脅かすことに繋がりかねない。
自分がテレビの人間であるという自覚が強い人ほど「宮迫」を許すわけにはいかなくなる。
宮迫の謹慎中のYoutubeでの成功、雨上がり決死隊の解散を通して、そんなテレビ業界の恐れや嫉妬が見えた気がした。
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