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自分のツイートを自分で解説する地獄みたいな記事

これは言い訳なのですが、過去の呟きを遡るたびにそれら関連の記憶が芋蔓式に想起されてしまい、脳内の内部ストレージを圧迫しているようで頗る居心地が悪いです。そのため、ここらでnoteという外部ストレージに転送していこうかなという所存です。


Nullっていうのはドイツ語のゼロを意味し、プログラミング言語においてはデータが空であることを意味する予約語であったりします。そのNullがデータを持っていると思い込んでいるんですね。空なのに。


道路の脇にカラス避けのネットが掛かってあったり、一軒家の庭にCDがぶら下がっていたりするじゃないですか。あれを究極化したらしたらどうなるかというものですね。人類の科学技術は指数関数的、すなわち急激なスピードで進化している訳ですが、それに相対する形でカラスの知能も高度化しているんですよ。多分。いずれカラスはネットを破ったり掻い潜ったりできるようになるし、CDにも怖がらないようになります。その対策として人間は更に強力なカラス避けを開発しますが、それにもカラスは対応してくる。こんな感じで、人類とカラスの全面戦争が勃発します。ちなみに、烏との鼬ごっことはこれ如何に、という意匠もこの呟きには含まれています。


これは非常に分かりやすいですね。日本の民話であるところの『花咲か爺』を仮想通貨でパロディしたものです。この呟きに「仮想通貨バンバンやってます!」みたいな人からいいねが来たときは笑いました。さすがインターネッツ。ただリプで続けた後日譚的なものは蛇足感が否めないので若干の後悔が残ります。


「バカ」って漢字で書くと何故馬と鹿になるのだろうと調べたところ、サンスクリット語で「痴、愚か」を意味するmohaの音写を更に当て字にした為だそう。完全に馬と鹿、巻き添えじゃねーか。可哀想。というお気持ちツイートです。ちなみに、米津玄師さんの楽曲『馬と鹿』のリリース日は2019年8月12日なので私のほうが先です。米津玄師の源泉です。


ひょんなことから弥勒菩薩が下生する年数を調べる機会があったのですが、5670000000年後って乱雑にキーボード打ったみたいな設定だなと思っていたら、実はちゃんと計算した結果だそうです。

前述のように弥勒の下生は56億7千万年後とされているが、この気の遠くなる年数は、弥勒の兜率天での寿命が4000年であり、兜率天の1日は地上の400年に匹敵するという説から、下生までに4000×400×12×30=5億7600万年かかるという計算に由来する。そして、後代になって5億7600万年が56億7000万年に入れ替わったと考えられている。
――――出典:フリー百科事典 Wikipedia『弥勒菩薩』

最後ガバいな。


夏の裏路地とか通ると、熱気と相俟って生ぬるくなった風が室外機から出ているの、感じたことありませんか。あんな感じで、生ぬるくて甘っちょろい人間は社会から残らず排斥されるのかなって。でも意外と日本は器が広いみたいですね。


「もうそろそろ蝉鳴いてもよくない?」みたいな気持ちです。日本人的な空気の読み合いが水面下ならぬ地下で行われているのかな、的な妄想。


「〇〇みたいなバグ」という呟きがあと一つぐらいありますが、これは私がゲーム制作を若干齧っていた時期があって、その影響ですね。受験生の夏休みは基本同じルーティンの繰り返しで、飽き飽きしていました。あと「虚無」という語彙使いすぎ。


東京事変の『閃光少女』という曲の歌詞から引用しています。良いのでまだ聴いたことのない人は是非。これを初めて聴いたときは「よっしゃ、もうスマホのカメラなんて用無しや」みたいな心構えでイキっていたのですが、後から振り返ろうとすると悲しい悲しい。多分、椎名林檎もこんな気持ちを伝えたかったのではない。よって写真は積極的に撮っていくことにしました。撮られるのは嫌いだけど。


先ほどの呟きと関連していますね。時系列的には辻褄が合わないのですが、首里城のデジタル復元みたいに、人々がクラウドに預けていく写真を整合してパラレルワールドが生まれるのではという発想。しかも楽しい思い出がおおかただから、Instagramの映えだけを集めたみたいにかなり理想の桃源郷になりそう。でも誰かが投じた病み写真で崩壊していきそうだなって感じですね。


字の如くですね。「セミが鳴き始めた」的な呟きにはご注意を。


古代ギリシアにおいてピタゴラスが創設したピタゴラス教団の思想ないしそれへの批判を見ていて、「曖昧勝手で無生産な言葉遊びに堕す」という表現に胸を打たれました。私も混ざりたい。


れっきとした言い訳ですね。ここまで清々しい言い訳は見たことがありません。Twitterが辞められず勉強に手がつかなかった言い訳として皆さんの煩悩を槍玉に挙げたこと、この場を借りて謝罪させていただきたいと思います。


かなり解しがたい呟き。クオリアってのは他人と共有できない色々な質のことです。「苺のあの赤」って言われて想像した色があると思いますが、それが他人と完全に一致する保証はありません。客観的に確認もできない。その中で、「待ち合わせしているあの焦れったさ」は子供の頃とかなり違うはず。老いれば一年はあっという間とよく言うし、みたいな雰囲気でしょう。でも「高二の教室に転がってる清涼飲料水のあの青」は当時とだいぶ印象違うしな。「唯一」って点は薄まっている気がする。ちなみに、ウロボロスってのは自分の尻尾を噛んで輪になっている龍のことです。輪廻の象徴になりがち。昔その名前のヤクザドラマやってましたよね。


校外学習の班のグループ名に対する義憤です。神社と寺の違いは未だに曖昧。


一種の言葉遊びです。「来」の字が四つもあるなんとも珍しい呟き。


「情けない先輩を詰る後輩bot」というアカウントに感銘を受けたことから生まれました。森見登美彦の風味を感じてかなり良い。


アラームとアラートが似ているので語源的な繋がりがあると思って調べたのですが、別の知見を得ました。ちなみに『おどる メイド イン ワリオ』というゲームに出てくる、寝込みを襲いに忍び込んできた忍者を「くせもの!」と枕刀で一刀両断するシーンは好きでした。


数学的に科学技術、進化しすぎでは。幾何級数と等比級数が一緒の意味ってマジ? 数Ⅲやりたい欲がまた沸々と。ともかく、また出ましたね、虚無。受験期を熟語で示せって言われたら間違いなくこれだと思います。座標平面的に記述された概念的グラフ、良いですね。


フレーズ的呟き、私は好きです。左脳は思考・論理的で右脳は知覚・感性的な役割を負っているという説が有力なのでそれに則ると、私は随分と感性的能力を乏しくしている自覚があります。思い浮かべた画を表現できない。てなわけで右脳に圧力をかけてその能力の発揮を仰いでいたわけですね。こんな短文で伝わるわけないやろ。


これ確か、実際にトイレで打ってます。稀に見る激痛の腹痛。トイレに篭もってまでTwitter開くとか、もう立派なツイ廃ですわ。


ダブルミーニング的な効果を狙っています。説明するのは野暮なので、伝われ。


かなり好きなフレーズなのですが、如何でしょう。夏はかなり良いですね。蒸し暑さを排除した、あのノスタルジックな夕暮れだけを摂取し続けたい。


ここ最近もひしひしと感じました。某フリマアプリ然り、某位置情報共有アプリ然り、アカウントの登録にSMSの認証コードを逐一要求してきやがるんですね。本人確認が大切なのは分かるけれども、かなり切なかったです。もう電話番号は入手したので問題ありません。ちなみに、某位置情報共有アプリは結局やってないのでよく知らないのですが、積極的にお互いの個人情報共有しあってどうしたいんだ? 監視社会到来か? ディストピアものか?


人気タレントの名前などを検索窓に打ち込むと、サジェストで「ドラマ」とか「恋人」とかのサジェスト、つまり一緒に検索しそうなワードがズラッとリスト化されてるじゃないですか。それはいいんですけど、そこに「病気」とか「薬物」とかが並ぶと萎えるんですよね。人間の醜さをまざまざと突きつけられているようで。どうにかネガティブワードは検索エンジン側で除去してほしいものです。そんなこと思ったことない人が誤った認識をするかもしれないし、という話です。


ネタツイ界隈って凄いなという感想です。一度やってみようとしましたが、どうしても自己顕示欲のほうが優勢になってしまい、うまい具合に混ぜてコンスタントに呟き続けられないんですよね。自己顕示欲は付き合いが難しい。


静かなときって、無音を感じるのではなくて逆に無音の音が聞こえませんか。静寂がピンと糸を引いているみたいに張り巡らされていて、耳が痛い感覚。そんなニュアンスツイートです。


これは本当です。お札からバナナの香りが漂ってきたのです。きっと私の前に所持していた人がバナナの加工工場で働いていたに違いない。気分は常夏。


私達くらいの世代ってかなりネットリテラシーが危ういんですよね。たとえ鍵アカウントに設定していたとしても許可している友達は見ることができるわけで。安易に個人情報を上げまくる人々への警鐘です(自戒)。


電車で前に座っていた方々の会話がつい聞こえてしまったのですが、話し方の癖が凄い。考えながら喋るとああなる気持ちも分からなくないので、自分に向けて気をつけていこうな、という種類の呟きです。後半は伝わるか心配。


何故これがバズらないんだ。思いついたときは天啓にうたれたような気持ちでしたよ。ちなみにJDは女子大学生の略です。かなり市民権も得てるし、ありうるオモロだと思ったんだけどな。


無限に上昇する柄に心惹かれたあの頃。中途半端に大人になってしまった私は、少年の日の思い出など、とうの昔に忘れてきたのです。嗚呼、エーミールよ……。


その日はかなり遅い帰りで、駅のホームには殆ど人も見られない時間帯。あと五分でくる電車を立って待っている気力なんて私は持ち合わせておらず、端に追いやられたベンチに腰を下ろすことに。あてもなく携帯を操作している私の隣に、酒気を帯びたサラリーマンがドカッと座った。他にも席は空いているのに、わざわざ私の隣に座ったのだ。席を移動してもいいが、これみよがしに絡まれる可能性を危惧して私は動くに動けなかった。彼は自分のポケットからゴソゴソとスマートフォンを取り出し何やらしている。面倒な会話などは起こりそうもないので、あと数分をその場で耐え忍ぶことにした。しばらくの静寂の後、彼のスマートフォンからは爆音で曲が流れ出す。曲目は『ラ・マルセイエーズ』。フランスの国家である。陽気な曲調と孕んだ歌詞の暴力性に私は吐き気を催す。いや、ただ単に彼の酒臭い体臭に限界が来ただけかもしれない。とにかく、立ち上がりその場を後にしようとした。やがて曲は止まり、彼の誤操作が引き起こした悲劇だったという希望的観測を私が愛そうとした次の瞬間、彼の手元から流れるは『正露丸』のCMでお馴染み、あのラッパ曲。こいつは私を弄んでやがる。私はその曲の一小節が終わったあたりで彼に殴りかかっていた。という嘘。少し離れた位置から曲が聞こえたのは本当。


これなんだったかな。確かフリー写真素材に吹き出しをつけて無理矢理喋らされていたマリオネットな彼への慈愛だった気がする。


クソおもんないですね。ついにご乱心か? ちなみにBluetoothの名称はノルウェーとデンマークを無血統合したデンマーク王、ハーラル・ブロタン・ゴームソンの渾名「青歯王」に由来するので、以外にも筋は通っている。


音源との距離感って普段は意識しないですが、意外と感覚を支配していたりいます。ツイートの体験をしたときは本気で病院に行くのを考えました。すぐ治ったので行きませんでした。バグか?


共感されて然るべき。あとGUも追加。


Amazonのサービスで「Dashボタン」ってのがありましたよね。今は終了しちゃったみたいだけど。消耗品って買い足すのが非常に面倒なので、かなり画期的なアイデアだと思ってたんだけどな。


順調に滑ってますね。サンドイッチのチョイスよ。多分「過払金」はただの複合語なので名前なんてないですね。


小さい頃にドラえもんを読んで「僕もタイムマシンに乗りたい!」なんていう無邪気な欲求を吐いていましたが、おっさんからしてみれば「まだケツも青いガキが何抜かしとんじゃ、遡る青春もない若人は三輪車にでも乗ってろ」って感じですよね。


単に韻を踏みたかったのですが、シンプルにダライ・ラマに失礼です。謝ってください。


世界史で出てきます、「トリポリ・キレナイカ」。イタリアがオスマン帝国からぶんどった地域ですね。それにしても言いたすぎる。


伝わりますかね、この感覚。「もっと教えて!」とは言えないので、黙って聞いてます。あとたまに同一のTipsが現れる。


先述の強制的に喋らせている一例ですね。


かなり雑になってきたので、一旦このへんで区切ります。反響はない筈なので近々続きをしますね。

追記:続きはないようです

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